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森ゆうこ参議院議員の必勝を期して!
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2013年4月18日 生活の党
小沢一郎代表全国行脚第4弾〜新潟県〜
4月14日、小沢一郎代表が全国行脚第4弾として、森ゆうこ参議院議員の選挙区である新潟県を訪れました。佐渡市で行われた「森ゆうこ国政報告会」に出席した小沢代表の挨拶の要旨は以下の通りです。
【2013年4月14日】小沢一郎代表 「森ゆうこ国政報告会」でのあいさつ
【挨拶要旨】
今日は、皆さんには大変お忙しい中を、こうして私の同僚であります森ゆうこ議員の為に、報告会にご参加を頂きまして、本当にありがとうございます。友人の一人として、私からも皆さんにまずもって、心から御礼を申し上げます。本日は誠にありがとうございました。
そして今日は、私が大変日頃からお世話になっております、佐渡の出身の大庄・庄やグループのオーナーであります平社長からご挨拶を頂戴しました。また、元両津市長川口(徳一)様からもご挨拶を賜りました。本当にこうして大勢の皆様のお力添えを頂いて初めて、政治家はみんなの為に活動できるわけでございます。その意味において、政治家というのは、皆さんの手で作り上げる、というのが、私は本来の民主主義のあり方だと思います。
ましてや、森君は先ほど来話がありましたけれども、私どもの仲間でも、男を含めましても、最高の勇者でございまして、本当に丁丁発止、きちんと筋を通した議論をするものですから、大概の与党の、野党も含めてですけれども、相手が参っちゃうわけですが、そういう筋を通すというのは、言うべくしてなかなか難しいのですね。特に政治家はそうです。やっぱりみんなから選ばれていますから、それぞれの皆さんのご意見も聞かなくてはならない。
森君は新潟全県が選挙区ですから、佐渡の皆さんの話も聞かなくてはいけないし、長岡の方も、上越の方も、各地域のそれぞれ違った環境の皆さんのお話を聞かなくてはなりません。ですからなかなか、自分の「こうだ」という政策を、ただそれだけを押し通すということではありませんけれども、自分の信念をきちんと、それぞれの皆さんにお話しする、ということは本当に難しいです。こっちに行けばその人の意見に合わせて「そうだそうだ」と。そっちに行っても「そうだそうだ」と。みんなに「そうだそうだ」と言って歩いたのでは、これはなお結論が出ません。
そういう意味で、私も本人(森ゆうこ議員)と似たような性格でございまして、「もう少し調子よくやればいいではないか」と友達に言われることもありますけれども、やはり政治家は国民の皆さんに選ばれて、そして自らの信念に基づいて、街づくり、ふるさとづくり、国づくり、それを行う、というのが役割でありますし、そしてまたそれによって、国民の皆さんの暮らしと命を守っていく、そういうことに政治家の役割があるのだと思います。
私どもは、生活の党「国民の生活が第一」ということを掲げております。これは何も国民皆さんにおもねって言っているわけではありません。政治とは国民の生活を守ること。国民の生活を守れなくて政治はありえない。そういう意味において、日本でもこの「国民の暮らしを守る」ということについて古い古い逸話がございます。私は時々話をするのですが。
まさに古代の仁徳天皇の逸話でございます。都の高窓に上がって、都をずっと見渡したら、食事の時間なのに各家からご飯を作る煙が全然立ち上っていない。「どうしたのだろう」と言ったところ、「今本当に国民が生活に困っている」という話を聞きまして、仁徳天皇は「それでは大変だ」ということで、税をなくしました。もちろん限定的でしょうが税金をなくし、そして「民の生活がまず第一だ」ということで政治を行った。その結果、数年経って、また同じように都をずっと眺めましたら、ちゃんと朝餉の時間、夕餉の時間にはそれぞれの家のかまどから煙が出ている。と、こういうお話があります。ところが一方、宮中の費用を全部削ってしまったものですから、宮中は草がぼうぼう生えて、雨漏りがしたりという状況に陥ってしまった。その時に皇后陛下が「こんなになってしまいましてもう大変ですよ」と言いましたところ、「天皇の地位というものは国民の暮らしを守るためにある、これでいいのだ」と(仁徳天皇が)おっしゃったという逸話があります。
私はそういう意味で、日本は古来から、まさに「リーダーたる者国民の暮らしを第一に考えて、それを守っていく」というのが政治の要諦であると思っています。それで「国民の生活が第一」「生活の党」ということにいたしたわけであります。
その我々は、この間の選挙でもって、民主党も惨敗しましたけれども、私たちもその一括りの中になってしまいまして、小さな政党になりました。私は、8年前(※10年前)でしょうか、当時我々は自由党、森君も一緒でしたが、という政党で、これまた小さな政党でしたが、そこと民主党、今の民主党の前身ですが、これもそれほど大きな政党ではありませんでした。その時の状態にちょうど、去年の暮れに戻ってしまったのです。民主党も我々の党も、人数から言っても同じようになってしまった。去年の選挙で、みんな仲間の人たちも多く落選しました。みんながっくりして、意気消沈していましたが、私は、「よく考えてみなさい。あの民主党と自由党が合併する前の状態に、振り出しに残念ながら戻ってしまった」と言っている。あの自由党と民主党が一緒になったとき、この政党が天下を取る、政権を取ると誰が思いましたか。多分あの時ほとんどの人が、まさか政権を取るなんて思っていなかったと思います。しかしながら、私たちはあの中から、国民皆さんのお力を得て政権を取りました。
残念ながら、私も先頭に立って日本全国を飛び回ったものでありますので、本当に、せっかくの期待に反することになってしまいまして、残念でなりません。僕は野田(佳彦)さんや菅(直人)さんよりもはるかに、全身全力でもって選挙戦、3年半前ですけれども、戦いましたから、こんな恰好で政権を投げ出してしまうようなことになったのは、本当に誰よりも残念でなりません。
しかしながら、だからと言って「国民の審判だからしょうがない」ということでこのままにしていたのでは、私は、「日本の将来も非常に覚束ないことになるし、また、私ども政治家として、これで諦めてしまったのでは、その責任を回避することになってしまう。」そういう思いで、もう一度、振り出しに戻ってしまったけれども、また政権交代を目指して頑張ろうという決意で、今、森君、みんなとやっているわけでございます。
私ども、本当に3年半前の選挙においては、マニフェストを示して「こういうことをやります」ということで戦いました。ちょうど日本の国内でも、ようやく、長い長い自民党政権のいろんな矛盾が表面化してきました。自民党の政治家、また官僚もその矛盾を克服することができない、なんとかしなきゃいけない、そういう思いだったのだろうと思います。国民の皆さんも我々を支持していただきました。
自民党の政権はいいことも悪いこともいろいろあったと思います。もちろん、何党でも、自民党だろうが、民主党だろうが、生活の党だろうが、何党だろうが、国民の皆さんの生活をきちんと守って、国の将来にわたって安泰をはかってくれればいいのですけれども、半世紀以上自民党政権が続いたわけであります。その中で高度成長もなくなって、バブルも崩壊してということで、いろんな矛盾が出てきた。その大きなことは、日本の国で格差が非常に広がった、ということです。日本は高度な経済成長、奇跡の復興と言われるくらい、経済がうまくいきました、右肩上がりで。それほどの経済成長をしても、世界中で、先進国で最も格差の少ない、平均的な国民の生活レベル、所得の国であったのです。
ところが自民党政権の末期、特に小泉(純一郎)政権以降、どんどん格差が開いた。格差はいろんなことがあります。まず、みなさんも、私も東北のさらに北国の岩手県出身ですから、同じような問題点を抱えていると思いますけれども、まず東京と地域の格差であります。そしてまた所得の格差であります。それから雇用の格差であります。いろんな意味で大きな格差が生じてきました。
日本は世界の先進諸国の中でもトップクラスの格差の少ない国だったのが、この10年間に急速に下位になってしまいまして、20番目、30番目というようなところに落ち込んでしまいました。これをやはり直していかなくてはならない。このままですと、また残念ながら自民党政権になってしまいましたので、元の木阿弥ですが、小泉政権と同じような考え方を今の安倍(晋三)政権も取っています。いわゆる自由競争、自由市場、力のあるものが勝ち残ればいいのだ、という考え方がその背景にありますから、またまた格差が大きくなっていく、ということだと思います。
私はこの格差を直していくためには、特に大都会と地域の格差を直すためには、本当に地方主権、地方自治。ずっと前から地方自治、地方自治、と言われましたけれども、実態上はどんどん地方は寂れていく。私どもの方(岩手県)もそうです。過疎、高齢化。なぜこうなるのだ、これを直すにはどうしたらいいのか、ということが最大の問題点だと、皆さんも肌で感じていると思います。これはただ単に、農業政策、漁業政策など個別の政策だけでなんとかしようとしても無理なのです。結局一番の本は、すべてのことを東京霞が関で、金も権力もすべて握って、地域の事を全然知らない人が全部プランを立てて金を配って、いちいち文句をつける、という今日の官僚支配の仕組みであります。ですから例えば市町村でも、自治体でも、あるいは民間でも、東京に行かないと、大きな会社でも最終の決済は皆霞が関ですから、全部大きな会社は結局(東京に)集まるということになってしまうのです。欧米では世界的などでかい会社が、地方に本社があるというところがたくさんあります。なぜかと言いますと、地方でも用が足りるからなのです。
ですからどうすればいいか。要するに、地方にもっと権限とお金をきちんと渡して、地方は地方の知恵、創意工夫でもって皆さんの、自分たちの暮らしを、自分たちの街づくりをやりなさい、と。中央政府は何をするのか。国防とか防衛の問題、外交の問題、危機管理の問題、大災害、この間の東日本大震災のような事もある、治安の事もある、そういう国家レベルでないとできないことに中央政府は特化しなさい。あとの事は全部地元に任せる、そういう国の、行政の根本を、政治の根本を変える改革をしなければならない。そうでなければ絶対、地方自治というのは言葉だけで、本当の地域の振興はできません。私どもはそう言ってきた。
ところがこれは、中央のお役人の権力を奪うことになるわけです。ですから私は一身に恨みを買いました。批判も集中、官僚旧体制で既得権を持っている官僚の皆さんから、「あいつだけは、小沢だけは絶対許すな」という最大限の抵抗にあいました。
その最たるものが、私に対する検察の捜査であります。私は何も悪いことをしていません。不正な金は一文ももらっていない。何の証拠もないのに強制捜査ですよ。突然強制捜査。しかも政治的に言いますと、政権交代の半年前に野党の党首を強制捜査する、ということなのです。こんなことは後進国の独裁国家であれば別ですが、民主主義国家ではありえない。もちろん、私が悪いことをして、ちゃんと証拠もあって、(強制捜査)されるのであればしょうがないですけれども、何もない。しかし3年半、これでもってずっと政治活動を束縛されてきました。そのことは森君がキャンキャンやって、「検察の罠」という本にも著しておりますからおわかりと思います。
私はこれを言い訳で使おうとしているわけではないです。ただ残念ながら、せっかく政権交代をしたその3年間、私は政治的な行動を制限されてしまったものですから、本当に自分も民主党政権の真価を発揮することができなくて終わってしまった。
しかしいずれにしても私どもは、そういう大改革をする。これは今言ったようにものすごく抵抗が大きいです。それは改革ということは、既得権を持っている人たちは、その利権を手放すことになりますから。国民のためだと言っても、それはそう簡単にできる話ではありません。
まして官僚機構というのは強大であります。明治以来でありますから。戦争に負けてもなお生き残ったのが官僚機構なのです。軍部は全部やられてしまったが、行政官僚はずっと生き残りました。そして戦前以上に、私は戦後の行政官の力は強くなったと思います。
あらゆる生活に、全部役所のコントロールが来ています。皆さんもおわかりだと思います。漁業をやるにも、農業をやるにも、商売をやるにも、本当に役所と喧嘩したら絶対何もできないし、役所に意地悪されたら何もできない。そういう社会システムなのです、日本は。お上の力、官僚の力が異常に強い。
そして官僚の裁量権、裁量権というのはそのお役人の当事者の意思によっていいとか悪いとか出す権限ですが、その幅がうんと広いのです。だから「こいつはだめだ」と思ったらやられるし、「まあまあ見逃してやる」ということもある。
ですから私は、「そういうような中で本当の国民の生活に目を向けた政治はできない。だからもっともっと地域社会が、自分自身で自主的に、街づくり、ふるさとづくりをやれるように。そのためには金もなければいけない。権限もなければいけない。これを地方に移そう」ということを主張しております。
私は今度の東北の震災でやられた3県の1つなのですが、このあいだも(岩手に)行ってきましたけれども、いまだ海岸地帯は全部家が流されたままの野っ原です。全然家が建っていないのです。
国のお金を十何兆円つぎこんだ等言っていますけれども、結局今までと同じやり方、今言ったようにすべて霞が関。しかも各省庁縦割り、農水省は農水省、国交省は国交省、みんな縦割りだから、復興庁なぞ作っても何の権限もないですから、手続きが面倒臭くなっただけで邪魔なのですが、全部今までと同じようにです。あれだけの、1000年に一遍の津波、大震災だと言っているのに、全部今までと同じようにしかできないから、いちいち(役所に)行って書類を出して、不備があれば返されて、また行って、という話をあの大災害でも繰り返しているのです。
だからなかなか復興が進まない。金はいったいどこへ行った、十何兆円の金はどこに使ったのか、というくらいに、本当に必要なところにお金が回ってこない、というのがこの官僚支配の現実なのです。ですからこれを、岩手の知事も市町村長さんも、我々が言っているように、「『お金も権限も任せるから。これは非常事態だから特に任せる。お前たちのいいように使え』と言ってくれたら、もっともっとスピーディーに、もっといい復興ができる」こう言っているのです。現に知事もマスコミにも言っています。
そのくらい、非常にムダが多くて遅いのです。仕事がちんたらちんたら、東京に行って帰ってきて、また行って帰ってきて、という話ですから。そういうことを繰り返しているのが、今の震災の対策で最も顕著です。
特に原発。これは時間がないのでやめますが、原発は本当に大変です。政府もマスコミも収束したようなことを言っているでしょ。これはあの福島で起きた事故、放射能の水が漏れた等やっているでしょ。空中にも放射性の物質が毎日毎日出ています。あんなに壊れているのですから、漏れないはずがない。だからしっかりと放射能の封じ込めをやらないと、日本の将来は、私は非常に危ういと思っています。彼らが言っているような簡単な状況ではありません。
ですから世界中でびっくりしているのです。ドイツでは、私もこの前ドイツに行ってきたのですけれども、森君も行ってきましたが、ドイツは旧ソ連(※現ウクライナ)のチェルノブイリの事故でもって、原発に対するいろんな不安や意見が出て、どうしようこうしようという議論になったのですが、福島の原発事故でもってドイツは10年後に(原発を)やめると決めたのです。日本の事でドイツはやめると決めたのです。日本の方では、事故の処理もまだしない。その中でさらに原発推進という安倍内閣の方針ですから、これは意見はいろいろあるかもしれませんけれども、少なくとも原発の放射能事故だけはしっかりとやってもらわないと困ったことになる。
いずれにしろ、そういった大きな問題も、官僚任せの政治と行政の中では、思い切った施策の実行ができない、ということなのです。だから、政治家が最終的にいけないのですけれども、国民皆さんにもぜひ、しっかりと筋を通す政治家を支援してもらいたいのはここにあるのです。結局役人も責任を取りたくないから、むにゃむにゃしているのです。政治家も役人に任せておいた方が無難だからと言って役人に任せてしまう。そうすると本気になって責任とってやる人が誰もいなくなってしまうのです。だからこんな政治ではだめだと言っているのです。
だけれども政治家というのは、選挙という関門をくぐり抜けて初めて活動できるわけであります。私どもも小さな政党になりましたけれども、この7月の選挙は、何としても同士の皆さんに当選してもらって、そして2年後か3年後かわかりませんが、総選挙でもってもう1度、本当に「国民の生活が第一」という考え方の政権を作りたい、そう思っているところでございます。
今日は森君のお願いに参ったわけでございます。どうか佐渡の皆様の温かいお力添えを頂いて、3度目の参議院に森君を送っていただきますよう、重ねてお願い申し上げましてごあいさつといたします。ありがとうございました。
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