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2013年04月15日 世相を斬る あいば達也
維新が更なる泥沼に嵌り込んできた。大阪の政治においてまでの悪乗り吉本興業風味が、お隣兵庫の2市首長選で敗北をきした。あいかわらず、話題増産装置のように、ツイッター連射で人気を維持しようと必死のようだが、かなり馬脚が現れたようである。参議院選前までは持たない風向きだ。また、地方地盤に盤石の強さを見せていた、自公選挙協力態勢にも関わらず、各地の首長選で取りこぼし現象がみられる。これだけ、メディアスクラムでプロパガンダ報道をして貰い、破竹の勢いであるはずの、自民党と日本維新の会がへたり込んでいる。少なくとも、昨年末のタナボタ的圧勝は、悪魔の手助けが存在したと云うことが証明されているようだ。みんなの党も、ここは本気で野党になるのか、与党になるのか、明確な判断を出すべき時が来ているようだ。
まぁ今夜は政局話は適当に切り上げ、以下に長文の寺島実郎氏の世界観と日本の現実に関するコラムを紹介しておく。すべてが納得とは言えないが、多くの点で思考の手助けにはなるコラムなので一読願いたい。そう、少なくとも政治や経済を考える時は、世界の流れと自分の国と自分の三要素を噛みしめながら、吟味したいものである。では、今夜はこの辺で…。(*改行は一部筆者による)
≪ 世界認識の鮮明なる転換―二〇一二年日本の覚悟
直面する日本の悲劇は二重構造になっている。地震・津波・原子力という三段重ねの「3・11の衝撃」を受け、国民の目線が思いつめたように内へと向かわざるを得ない状況の一方で、世界が構造転換の局面にある。そのことにこの国の指導者もメディアも気付いてはいるのだが、明らかに「適応障害」を起こしている。3・11から年末まで、米国・欧州・中東・アジアと一二回にわたり海外を動き、様々な人の表情を見つめ議論をしてきたが、次第に高まるのは、日本人はここで顔をあげて「世界史のダイナミズム」を直視しなければならないという思いである。
二〇一一年一〇月末、世界人口は七〇億人を超え た。二一世紀を迎える頃、六一億人といっていたのだから凄まじい勢いで増え続けている。国連推計では二〇五〇年には九三億人になるという。日本人の世界認識は、後述のごとく冷戦を前提とした六〇年前のサンフランシスコ講和条約時代の固定観念から踏み出していないと感じるが、一九五〇年の世界人口はわずか二五億人であった。この膨れ上がる人口が、自己認識を深め、抑圧や不公平を拒絶して自己主張し、それぞれの豊かさと幸福を探求し始めている。二〇一一年に目撃した「アラブの春」「中東の民主化」といったうねりも、年末に南アフリカで行われたCOP17における京都メカニズムの実体的破綻も、世界が覇権国による一極支配や先進国主導の多極の枠組みで動く時代ではなく、「無極化」すなわち全員参加型秩序の時代に向かっていることを強く印象づけるものであった。
先進国ブロックを「日米欧トライラテラル」などという表現が定着してきたが、日本は大震災に襲われ、「不幸な自然災害による苦闘」だけでなく「原発安全神話の崩壊」によって戦後日本社会総体の影と政治指導力の虚弱性という現実を露呈した。米国は、「イラクの失敗」による指導国として世界を束ねる「正当性の喪失」と「財政の疲弊」、さらには「リーマンショック」をもたらした米国流金融資本主義の肥大化を制御できぬまま迷走を加速、「冷戦後の唯一の超大国」とまでいわれた面影はない。欧州も「共通通貨ユーロ」への挑戦が金融危機によって苦境に至り、環境問題において主導してきた京都メカニズムに よる排出権取引制度の綻びとともに「欧州の実験」が急速に色あせていることを示した。実に、二〇一一年は先進国受難の年であり、構造的に世界システムが変化していることを認識せざるをえない転機であった。
二〇一一年の歴史的意味の再確認
改めて、二〇一一年という年は歴史的節目の年であったと思う。まずは一九九一年のソ連邦崩壊から二〇年であった。戦後半世紀近く世界を東西に二分して「資本主義対社会主義の戦い」を繰り広げた東西冷戦の時代は終わった。日本も「五五体制」と言われる「自民党対社会党」の対決という東西冷戦の代理戦争のような様相を呈していたが、西側のチャンピオンとして冷戦の勝利を主導した米国の「一極支配」の時代の到来という時代認識が広がり、「唯一の超大国となったアメリカ」が主導する時代として二一世紀をイメージすることが主潮となった。多くの人は「米国流資本主義の世界化」を「グローバル化」と置き換え、時代潮流のキーワードとした。「平和の配当」という言葉が使われ、イデオロギーの対立を解消した冷戦後なる時代に希望を抱いた。しかし、冷戦後一〇年が経過した時点で起こった「9・11」は冷戦後なる時代の死角を衝く衝撃であった。
そして、二〇一一年が終ろうとする今、「冷戦後二〇年」と「9・11 から一〇年」の結末を見たという思いが込み上げてくるのである。この一〇年、米国は六二五九人の米兵をアフガン・イラクで死なせ(一二月八日現在)、直接戦費だけで一・四兆ドルを使い、イラクからの撤退(二〇一一年末まで)に加えアフガニスタンからも撤退表明(一四年末まで)と中東におけるプレゼンスを後 退させた。さらには、肥大化した軍事費の圧迫がもたらした財政赤字の拡大によって、「米国は国内の国づくりに集中すべき時だ」(六月二二日オバマ演説)と大統領が発言せざるをえないほど「内向」と「縮軍」に向かっていることは、本連載の114「9・11から一〇年」で言及したが、年末の三か月で事態はより 一層緊迫してきたといえる。
驚くべきことに、あの超大国米国が、八月には「債務不履行」の危機に追い込まれた。議会と大統領との妥協が成立して、「十一月二三日までに、超党派の委員会が抜本的な財政赤字削減策を策定する」という条件付きで、債務上限を二・一兆ドル引き上げて凌いだ。期限は過ぎたが、赤字削減策での合意はできなかった。このままでは「トリガー条項」が働き、十二年度の予算執行から自動的に「引き金」が引かれて、軍事予算から福祉予算に至るまで赤字解消をもたらす比率で一律歳出削減が実行されることになる。オバマ政権は「五年で一兆ドルの国防予算削減」という方針を発表していた が、それ以上の「縮軍」の圧力かかることは間違いない。
クリントン政権最後の年(二〇〇〇年度)に二九四五億ドルにまで圧縮されていた米国 の軍事予算は、ブッシュ政権で急拡大し、二〇一〇年度には七二八〇億ドルになった。これを速やかに五〇〇〇億ドル水準にまではもっていかざるをえないというのが米国の現実である。一二月の米議会による「海兵隊のグアム移転経費を認めず」という決定も、この文脈にある。
産業の実力以上に軍事力を維持することを可能にした仕組みが崩壊したのである。米国という国は、経常収支の赤字を垂れ流し続けながらも、資本収支の黒字を維持することで機能してきた。つまり、ウォールストリート街を窓口に米国金融市場に世界中の資金を還流させることで、過剰な消費と軍事力を維持してきた。ところが、「金融資本主義の肥大化と歪み」(サブプライムローンに象徴される金融工学を駆使したマネーゲームの自己目的化)がもたらしたリーマンショックを経て、その構造が崩れ始め、〇八年から資金流入過少に変化してしまった。二〇一〇年には経常赤字四七〇九億ドルに比べ資本収支の黒字は二五四三億ドルとなり、これが「ドル下落」のみならず「超大国米国」を可能にしたメカニズムを機能不全に至らしめる本質的要因となっている。
ニューヨーク五番街のロックフェラーセンターに地球儀を背負う大きなアトラス像がある。「世界最強の軍事力で米国の正義を実現する」と、アフガン・イラクへの進撃を叫んでいた「ネオコン」と呼ばれた人達とブッシュ大統領の姿に重なる。冷戦の勝利者とされた米国(アトラス)は、肥大化した役割意識のもたらしたものに耐え切れず、今静かに地球儀を地面に置かざるをえなくなっている。
迫られる世界観の転換 ― 米中対立という表層観察の脱却
二〇一一年一一月のホノルルでのAPEC総会、さらにバリ島でのASEAN首脳会議を巡る一連の動きの中で、日本が示した外交判断とそれを報じる日本のメディアの報道を見つめていると、日本人が抱く世界観の貧困に悄然とならざるをえない。今、アジア太平洋においては米中の覇権争いが繰り広げられ、TPPを主張し、米国主導の枠組みに引き込もうとする米国に対して、「ASEANプラス3」を主張し、米国の影響力拡大を抑制しようとする中国の「綱引き」が展開されており、その中で日本はどうするという構図が基本認識となっているのだ。
米中対立、実はこの構造認識は、日本人の屈折した潜在願望である。サンフランシスコ講和条約(一九五一年)、そして日米安保条約以来六〇年間にわたる日米同盟を常態とする日本にとっては、「ソ連の脅威」を「中国の脅威」に置き換え、極東において冷戦構造が継続しているかの認識は、現状変更を恐れる心理からも受け入れやすく、しかも「米中対立が深刻になれば、日米関係の重要性が高まる」という卑屈な期待感が芽生える。そして日米で連携して台頭する中国の脅威と向き合おうというあたりに、自らの立ち位置を見出し納得する ことになる。
しかしながら、米中関係は単純ではない。歴史の教訓は「日米関係は常に米中関係によって翻弄されてきた」ことを教える。アジア太平洋戦争の敗戦も、米国への敗戦ではなく、米国と中国の連携による敗戦だったことを見失ってはならない。松本重治が言い続けたごとく「日米関係は米中関係である」という認識は今日むしろ重みを増しているとさえいえる。
確かに米中間には懸案の事項が山積しており、決して良好な関係とはいえない。人民元切り上げ、通商摩擦、知財権、人権に加え、国際関係における南沙諸島領有、台湾問題など枚挙にいとま(いとま米)ない。一一月のオバマ豪州訪問に際しての、「海兵隊の欧州駐留」方針表明も、中国を意識して東南アジアの米抑止力期待に応える動きであることは間違いない。ただし、賢明に見抜くべきは、米中関係は決定的な対立を回避する形で動くことである。両国間には日米関係では考えられないほどの意思疎通のパイプが構築されており、相手を「戦略的 交渉相手」として重視し合う配慮が存在するからである。
二〇〇六年に始まった「米中戦略経済対話」は双方合わせて一〇人以上の閣僚が参加するスキームとして定着し、オバマ政権になっても、政治・安全保障をも含めて拡充され、一一年五月の会議でブッシュ政権以来七回目となった。一一年は一月の 胡錦濤訪米、八月のバイデン副大統領訪中を通じて意思疎通を深め、エネルギー戦略において注目されているシェールガスについても「米中シェールガス・タスクフォース協定」を結び、共同利益を探求し始めている。日米間に真の意思疎通のための戦略対話スキームがないのと対照的である。
二〇一〇年、米中貿易は日米貿易の二・五倍となった。一二年には三倍を超すであろう。のAPEC総会で、胡錦濤はホノルルに集まった全米商工会議所の主力メンバーを相手に、米中経済連携の重要性を強調した。これまた日米財界人会議の米側参加者が急速に貧弱なものになっているのと対照的である。 日本の貿易総額(輸出入合計)における対米貿易の比重は、一九九〇年に二七・四%であったが、二〇一二年一〜一〇月の速報値では一一・八%と半分以下となった。 中国との貿易比重は、一九九〇年にわずか三・五%から同年速報値では二〇・五%と、日本にとっても中国との貿易は重くなっている。
ちなみに、アジアとの貿易比重は五〇・五%とアジアとの相関で生きていかざるを得ない日本経済の構造を示している。無論、貿易だけが国際関係ではない。ただ、政治・安全保障における日米同盟と経済における日米関係が乖離(「政治は米国、経済は中国」)してきていることが、基底における日本の国際関係の不安定をもたらしていると認識せざるをえない。
クリントン米国務長官は、外交専門誌『フォーリン・ポリシー』(一一年一一月号)に論文「アメリカによる太平洋の世紀」 を寄稿し、過去十年のアジア地域の顕著な経済成長は「米国の軍事・外交のプレゼンスによって維持されてきた」ものであり、「今後もこの地域への関与を継続していく」ことを強調した。過去四〇年間、米国の外交エネルギーの大半は中東に費やされていた。一九六八年に大英帝国がスエズ運河の東側から引き揚げて以来、ペルシャ湾岸に覇権を確立してきた米国は、七三年石油危機をもたらした第四次中東戦争、七九年のイラン・ホメイニ革命、九〇年湾岸戦争、そして二一世紀のアフガン・イラク戦争とパレスチナ問題、イラン問題など中東での緊張に向き合わざるをえなかった。二〇〇〇年の沖縄でのサミットを中座してまでクリン トン大統領がパレスチナ問題に対処するため中東に向かったことが思い出される。
米国は明らかに大きく変化しつつある。固定観念にとりつかれ 一歩も事態を前に進めようとしないのは日本側である。「アメリカの虎の尾を踏んではならない」かのごとく、鳩山・菅・野田と続いた政権交代後の外交政策に おける委縮は目を覆うばかりだ。普天間問題を「沖縄の負担軽減」という次元でのみ捉えている限り、この国の国際関係は迷走し進化はない。二一世紀の東アジアにおける安全保障の在り方総体をテーブルに乗せ、米国の地域安全保障における「抑止力」を検証し、段階的な在日米軍基地の縮小と地位協定における日本側 の主権回復という国民目標を実現するための「日米戦略対話」を実現するという明確な意思を示すことが一歩である。
私はこの一年間の日米関係 の位相の変化に改めて驚く。二〇一〇年五月、迷走のあげく「普天間の辺野古移転」を確認する日米合意がなされたが、何も進展もないまま年末を迎えた。一二 月にNHKの特別番組『シリーズ日米安保五〇年』が四夜連続で放映され、私も最終回「日本の未来をどう守るのか」に出演し田中均氏らとともに討論に参加した。また、一一年二月には「世界別冊816号、新冷戦ではなく、共存共栄の東アジアを」のため再び田中均氏と対談し、熱い議論をしたことを思い出す。
わずか一年足らずで日米関係を議論する前提は大きく変化した。米国自身の「縮軍」への動きと柔軟に東アジアへの布陣を見直そうという意見の台頭、さらには、 ウィキリークスの情報開示による日米同盟を支える構造の矮小性の露呈(脳力 113「ウィキリークスの衝撃」)など、日米関係は柔軟に再設計されるべきだという認識は次第に高まっている。
本誌一二年一月号の 高嶺朝一氏の論稿「米軍基地計画再考の時―――アメリカの地殻変動を伝える識者たちの声」として、東アジアの安全保障に向けた米軍の布陣に関して、M・モチヅキとM・オハンロンの共同執筆論文「日本のために米軍基地計画の再考を」(一一月四日、CNNサイト)やレビン上院軍事委員長やウェッブ上院東アジア 太平洋小委員会委員長、マケイン上院議員、元国防次官補J・ナイなどの提言や発言等を紹介して、ワシントンの外交関係の識者の中に、「普天間海兵隊の辺野古移転」という枠組みを見直し、柔軟な視点から東アジアへの米軍展開を再構想すべしという意見が芽生えていると指摘していた。私もワシントンを動いて同様の実感を抱く。
問われる日本の自覚
その上で今、ケビン・メア前国務省日本部長の『決断できない日本』(文春新書二〇一一年)を注意深く読むことを薦めたい。「沖縄はごまかしとゆすりの名人」などの発言で職を辞した人物だが、問題となった発言に関する事実関係に踏み込むまでもなく、この書物に溢れ出る「知日派米国人」の思考様式と視界に、日米関係が固定化する一因を確認できるからだ。この人物の記述は日本への親近感と愛情に溢れ、日本との長い縁を背景に、東日本大震災への深い同情と 「トモダチ作戦」を推進した配慮が滲み出ているとさえいえる。
しかし、彼の意識に在日米軍基地の在り方を変更する問題意識は片鱗も存在しない。今までのままの東アジアへの米軍の展開を肯定し、それが日米の共同利益だとする認識から一歩も出ようとはしない。私が何度か指摘してきた「抑圧的寛容」、つまり自分が優位であるという認識に立つ時に示す「思いやり」の域をでない日米関係論なのである。そしてメアはお定まりの「分断統治」のレトリックを繰り出し「中国は沖縄も狙っている」と、日本人の不安を駆りたてる。地域における相互不信を醸成して自分の役割を強調するという「安手の用心棒の論理」から日本人はそろそろ冷静な意思を取り戻さねばならないのである。
冷戦期を引きずる時代遅れの日米同盟の現状を固定化することに執着し、柔らかい修正を図るエネルギーを阻害しているのが、米国における「ジャパンハンド」(日米安保で飯を食う知日派)といわれる人々であり、それに呼応する日本側の外務・防衛官僚・メディアにおける一群の「安保マフィア」といわれる専門家であることは明白である。そのことは、ウィキリークスの公開した情報が「舞台裏の本音」を証明した。
世界が「全員参加型秩序」を求めて苦闘し、同盟国米国が大きく変質する中で、日本は依然として「冷戦型思考」から脱却できず立ち尽くしている。いまだに、麻生時代の「自由と繁栄の孤」(中国やロシアを民主主義国で囲い込む)というレベルの外交構想を脱すことができず、「日米同盟の深化」(進化ではなく)が国益だとする考えに沈潜している。「米国を頼りに中国の脅威と向き合う」という安易な固定観念を脱却し、基地とTPP問題において日本が自立自尊をかけて米国と正対して主体的にアジア太平洋に安定基盤を構築することに動き始めること、それが二〇一二年の課題である。
全員参加型時代は旧秩序に郷愁のある人からはカオス(カオス型)に見える。二国間の同盟外交であれば、相手は一人であり過剰依存と期待でも何とか落とし所ろが見つかるだろう。巨大な丸卓を囲む全員参加型の舞台で自らの主張を実現するには、より多くの参加者の納得と支持が得られる政策論でなければならない。この時代における外交やルール造りへの参画には高い理念性と柔らかい構想力がいる。COP17での挫折に直面した環境問題でも、「二〇二〇年までに全員参加型のルールを作る」ことは合意された。これも試金石といえる。「日本の主張も筋が通っている」と多くの国が認識し、日本自身が主体性を持って解決へのビジョンと構想を持って行動していることを示さない限り、「米国周辺国」としか認知されない状況では存在感を失う。
ここまで書き進めて、北朝鮮の金正日総書記の死去を知った。東アジア情勢に新たな変化をもたらす要素が付加されたといえる。北朝鮮という体制そのものが「冷戦が継続中」という前提で成立する「冷戦孤児」のような性格を有しているが、嫌でもこの国も冷戦後という時代に向き合っていかざるをえない。翻って自らの国について思うのは、世界の相互依存が深化し、全員参加型の秩序形成という時代に日本も生きていく時、「独立国に外国の軍隊が駐留し続けているのは不自然だ」という国際常識さえ見失い、戦後六六年を経てもそれを変更する意思を喪失している国が、国際社会で自立した敬愛の対象となることはあり得ない、ということだ。冷戦型世界観を脱し、冷戦後の時代を創造する日本人の意思が問われている。≫(三井物産戦略研究所:寺島実郎の発言:2012.02脳力レッスンより)
http://www.mgssi.com/terashima/nouriki1202.php
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