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政府の法曹養成制度検討会議が、中間提言をまとめ、教育の質が低い法科大学院に対して「公的支援の見直し」を含む厳しい措置で臨む方針を確認し、司法試験の年間合格者数を「3000人程度」とした政府目標の撤回を了承した。
法科大学院の創設、法曹資格者の大幅増員を柱とする法曹養成制度改革は、2001年の司法制度改革審議会の提言で、「平成30(2018)年ころまでには、実働法曹人口は5万人規模(法曹1人当たりの国民の数は約2,400人)」との目標を掲げ、「平成22(2010)年ころには新司法試験の合格者数を年間3,000人とすることをめざすべき」との方針が打ち出されたことに基づいて進められてきたものだったが、今回の政府の検討会議の中間提言により、そのような政府の施策が無残な失敗であったことは動かし難いものとなった。
2004年の法科大学院設置以降の「法曹資格者の大幅増員」をめざして行われてきた法曹養成改革は、文科省から法科大学院に無駄な補助金を出させることで膨大な財政上の負担を生じさせたばかりでなく、拡大する司法の世界をめざして法科大学院に入学した多くの若者達を、法曹資格のとれない法科大学院修了者、法曹資格をとっても就職できない司法修習修了者として露頭に迷わせるという悲惨な結果をもたらした。
法科大学院創設時には、新司法試験の合格率が7割程度になるとされていたが、実際には、当初の前提を大幅に上回る数の法科大学院が設置され、定員も大幅にオーバーしたことに加えて、合格者も当初予定されていた3000人を大きく下回ったため、合格率はどんどん低下して25%程度となり、法曹資格が取れない法科大学院修了者を大量に生みだされる結果になったしてしまった。
そういう状況になると、優秀な人材が、法曹資格が取れないリスクを覚悟してまで法科大学院に入らない。志願者が減少し、人材の質も落ちるので、合格者も増やせない、という悪循環に陥っている。
一方、法科大学院を修了して司法試験に受かって、司法研修所を出て弁護士資格を取っても、弁護士に対する需要が高まらないので、なかなかまともに仕事にありつけない、弁護士の就職難が深刻な問題になり、ワーキングプア状態の弁護士が急増していると言われている。
まさに、法曹養成の現状は、司法制度改革の当初の想定とは全く異なる極めて厳しい状況になっている。
合格者が2000人にとどまっているのは、司法試験で客観的に能力を評価、判定した結果だというのが法務省側の説明だ。しかし、果たして、司法試験による選別が、本当に、法律家として社会の要請に応えられるかどうかの判定として正しいと言い切れるのであろうか。私の法科大学院の教員としての経験から言えば、司法試験に合格した修了者の中には、実務家としての能力・適性に疑問を持たざるを得ない者もいる一方で、最終的に司法試験に合格できず法曹資格を取得できなかった修了者の中にも、法律実務家としての十分な能力・資質を持った者も少なからずいた。司法試験合格者が500人だった時代とは異なり、合格者が2000人にもなると、法律実務家の能力・適性について試験で適切な選別を行うのは容易ではない。司法試験が適切な選別機能を果たしているのか否かについては、関係者からも疑問が指摘されている。
私は、「法令遵守」が世の中にもたらす弊害を説く中で、旧来の司法の世界の構造を根本的に変えることなく、法曹資格者を大幅に増員しても、市民に身近な司法を実現することにはつながらず、法曹資格者の需給ギャップの拡大と法科大学院修了者の就職難を招くだけであることを、かねてから、指摘してきた。
桐蔭横浜大学法科大学院教授として法科大学院教育に関わっていた2005年に、法科大学院の乱立によって司法試験合格率が当初の予定より大幅に低下することが予想される中で、司法試験合格に特化した法科大学院教育は早晩行き詰まらざるを得ないこと、司法試験合格をめざす教育だけではなく、経済社会における様々なニーズに応えられる教育を実施することができるよう、法科大学院教育の内容や司法試験制度を改める必要があることを指摘する新聞への寄稿を行った(「新司法試験 実務経験者に受験枠新設を」(2005年2月3日 朝日新聞「私の視点」)。
2009年1月に出した「思考停止社会」(講談社現代新書)では、最終章でこの問題について、次のように述べている。
旧来の日本では、司法の世界は社会の周辺部分でしか機能していませんでした。それは、社会内の普通の人が普通に起こすトラブルではなく、異端者・逸脱者や感情的対立の当事者など、普通ではない人が起こす特殊なトラブルでした。そういう特殊な問題の解決を委ねられるのが法曹資格者で、そういう人たちに「遵守」させるべき法令の解釈を行うことや適用されるべき法令を示すことが法曹資格者の仕事の中心でした。法廷という一般社会や経済社会からは隔絶された司法固有の世界での争訟に関連する業務が中心で、非日常の世界である水戸黄門のドラマに例えれば、「控えおろう」と言って印籠を示して人々をひれ伏させる「助さん」の役割が法曹資格者の基本的な役割だったのです。
「社会的要請に応えること」をめざしていく場合は、法律家には、従来とは異なった重要な役割が期待されることになります。それは、一言で言えば、個人や組織が法令を使いこなすことをサポートしていくことです。法令と社会的規範の相互関係を把握し両者のインターフェース(接点)の機能を果たしていくことです。
今後、日本の経済社会において、「社会的要請に応えること」をめざす活動によって「法令遵守」による思考停止状態からの脱却を図っていくのであれば、あらゆる分野で、経済社会の実態を十分に理解した上、問題になっている事項について事実関係を解明し、法律の解釈と適用ができる能力を持つ法律家が、原動力になっていく必要があります。そのためには、法律家、とりわけ、その中心的役割を果たすべき法曹資格者が、経済社会に対して開かれた、身近な存在になり、「社会的要請に応えること」という意味のコンプライアンスを共通言語にして、企業人、経済人と本当の意味でコラボレーションできる関係を構築していかなければならないと思います。
裁判員制度導入と並ぶ司法制度改革のもう一つの目玉が法科大学院の創設による法曹資格者の大幅増員です。しかし、この改革の法曹養成制度の改革によって、その目的とされている「市民に身近な司法」の実現、経済社会における司法の機能の拡大ができるかと言えば、まったく期待できないと言わざるを得ません。法科大学院修了者の司法試験合格率が3割余に低迷する一方、若手弁護士の就職難が深刻化している現状は、法曹資格者の増員という改革を思考停止状態で行ってきたことの当然の結果です。
制度改革の前提として、法曹資格者を大幅に増やせば、それに伴って法曹資格者に対するニーズが拡大するだろうとの予測があったわけですが、それは、まったく的外れの予測です。日本の司法はこれまで社会の周辺部分で特殊な問題を解決する機能しか果たしておらず、市民生活や経済活動の中で発生する様々なトラブルの解決という経済社会の中心部のニーズに応えるものではありませんでした。そういう司法の世界を担ってきたのが法曹資格者の世界です。その世界を従来のままにしておいて、法曹資格者の数だけを増やしても、ニーズが高まるわけではありません。大幅な需給のミスマッチが生じるのは当然です。
法曹資格者に対するニーズを拡大しようと思えば、経済社会の中心部で使いこなせるように法曹の世界を変えていかなければいけないのですが、従来の司法の世界に慣れ親しんできた従来の法曹資格者によって構成されている法曹教育の世界はそういう方向には向かっていません。従来の法曹資格者が、基本的に従来と同じ考え方で司法試験制度が維持され、その試験に合格することを主たる目的として法科大学院の教育が行われているわけですから、旧来の司法の世界と何ら変わらないのは当然です。そういう世界に、法曹資格者をめざして大量の若者達が迷い込んだ結果、司法試験に合格して司法研修所を出てもまともな就職ができない弁護士が多数出る一方、司法試験に合格できない大量の司法浪人が発生しているという、深刻な事態が生じているのです。
このような指摘を行ってきた私にとっては、今回の事態は当然の結果であり、むしろ、政府が司法制度改革の一環として行おうとした法曹養成制度改革が誤りであることを政府として認めるのが遅きに失したと言わざるを得ない。
問題なのは、このような法曹養成制度改革の失敗が、国家財政にも大きなマイナスを生じ、制度の混乱の中で有意な若者達の人生にも影響を与える結果になったことに対して、誰が反省し、誰が責任をとるのかということである。
この問題に関しては、2010年に、総務省行政評価局による「法曹人口の拡大及び法曹養成制度の改革に関する政策評価」が開始された。その論点整理と調査の方向性を検討するために「法科大学院(法曹養成制度)の評価に関する研究会」を開催し、その成果を取りまとめた報告書を公表して一般から意見を募集した後に、研究会の検討結果に基づいて調査を開始し、その結果を、2012年4月に政策評価書として公表した。この政策評価では、「司法試験の年間合格者数の数値目標については、これまで及び今後の弁護士の活動領域の拡大状況、法曹需要の動向、法科大学院における質の向上の状況等を踏まえつつ、速やかに検討すること」「定員充足率が向上しない法科大学院に対し、実入学者数に見合った更なる入学定員の削減を求めること」「法科大学院の公的支援の見直し指標については、未修者への影響や、法科大学院における教育の質の改善の進捗状況などを踏まえ、必要な改善措置を講ずること」などの勧告が行われている。
今回の法曹養成制度検討会議の中間提言は、概ね、総務省の政策評価における勧告内容に沿ったものだ。
私は、総務省顧問として、同政策評価の企画にも参画し、研究会でも副座長を務めるなど、この政策評価に深く関わった。
【研究会報告書】
http://www.soumu.go.jp/main_content/000095209.pdf
【報告書に対する意見】
http://www.soumu.go.jp/main_content/000102517.pdf
【政策評価書の概要】
http://www.soumu.go.jp/main_content/000156306.pdf
ところが、このような経過で行った総務省の政策評価に対しては、法科大学院協会の側から強い反発があった。
以下は、政策評価に関する総務省の調査が開始された2011年6月に、法科大学院協会が、「法曹人口の拡大及び法曹養成制度の改革に関する政策評価に対する意見」と題して出したプレスリリースである。
http://www.lawschool-jp.info/press/press11.html
法曹養成に関するフォーラムというのが設置されて検討が開始されたのだから、総務省などがしゃしゃり出てくるべきではない。教育研究に関して専門的能力や経験がない者が、大学の教育研究について調査を行うことは、憲法23条の「学問の自由」を侵害するというのだ。
このような法科大学院協会側からの「横槍」に対して、当時、総務省顧問・コンプライアンス室長として、総務省顧問室での「記者懇談会」を開催していた私は、2011年7月14日の記者懇談会でこの問題を取り上げた。
その際の私の発言内容が総務省のHPに掲載されている。
http://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3196505/www.soumu.go.jp/main_content/000122765.pdf
この中でも述べているように、法科大学院協会から会員校に対して出された非公式の文書には「法科大学院制度をはじめとする現在の法曹養成制度や趣旨を否定するための調査が実施されていると受け取られかねない内容になっているのではないか」というようなことが書かれている。要するに、現在まで行われてきた司法制度改革に重大な問題があることを棚に上げて、それを否定する方向での調査が行われること自体がけしからんと言っているのだ。
司法制度改革は、従来、社会の周辺部分でしか機能していなかった司法を社会の中心部で機能するようなもの変えていかないといけない、そのためには、従来の司法の世界自体を抜本的に改め、社会に対して開かれたものにしていかなければいけない、その世界を変えていかないといけない。ところが、この法科大学院協会の反応からも明らかなように、司法の世界の「中心」にいる人たちは、司法の世界が外からの力で変わることを最初から拒もうとしているのだ。
このような総務省の政策評価に対する法科大学院協会側の反発の中心になっていたのは、司法制度改革審議会の中心メンバーとして法曹養成制度改革を主導してきた大学教授だったようだ。
この大学教授は、典型的な法務省の「御用学者」で、検察不祥事からの信頼回復のための法務省の「検察の在り方検討会議」にも委員として加わり、刑事司法に関して長々と大学の講義のような発言を行ったり、検察に厳しい意見を述べる江川紹子氏や私の意見に対して異論を述べたりして、会議の議論が抜本的な改革の方向に向かうことに抵抗してきた。
そして、今回の政府の法曹養成制度検討会議にも委員として加わり、「司法制度改革審議会報告書の提言の方向性は間違っていなかった」「現状で合格者が2000人にとどまっているのは、受験者の能力がないからに過ぎない」などと述べて、司法試験の年間合格者数を「3000人程度」とした政府目標を撤回することに反対している。
自分が主導して進めてきた法曹養成制度改革が根本的に誤っていたために、制度が立ち行かなくなり、国に膨大な財政上の損失を与え、多くの若者達を露頭に迷わせる結果になったことについて、何の責任もとることなく、反省をすることもない。そればかりか、その誤りを是正する政策評価の動きに対しても「学問の自由」を盾にとって抵抗し、制度改革の見直しを遅らせようとする。それが、法学の世界の「大御所」の実態なのである。
それは、前回の当ブログ【佐藤真言氏の著書『粉飾』で明らかになった「特捜OB大物弁護士」の正体】で取り上げた、「特捜OB大物弁護士」、すなわち検察OBの世界の「大御所」の問題と相通ずるものがある。
このような「大御所」が、法務・検察の「守護神」として存在している限り、司法制度改革による司法の世界の混乱は収まることはないし、真の検察改革は遅れ、不当な冤罪も絶えることはない。
それが、現在の日本の司法の「残念な現実」なのである。
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