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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130413-00010002-jisin-pol
週刊FLASH 4月23日号
昨年12月16日、史上最多得票で東京都知事に当選した猪瀬直樹氏(66)。だが、じつは投票日前日の夜遅く、猪瀬氏はかつての女性秘書A子さんの携帯電話に一本の電話を入れていた。
猪瀬氏「僕は8割以上当選確実だから」
A子さん「それはけっこうですね。ところで、(猪瀬氏の件で)私の周辺を嗅ぎまわっているマスコミの人がいるけれど、私が情報を流しているわけじゃありませんからね」
猪瀬氏「あのさ、A子ちゃんさ。息子さん、どこのテレビ局に勤めているんだっけ」
A子さん「関係ないじゃないですか……。それって、脅しですか」
猪瀬氏「脅しじゃないけど、黙っていたほうがいいよ。あんたのためにならないよ」
A子さんと猪瀬氏のやり取りである。当時40代だったA子さんと猪瀬氏が知り合ったのは’92年1月、『朝まで生テレビ』の新年会でのことだった。同じ長野県出身だった2人はすぐに打ち解けた。もともとローカル局のリポーターの経験もあったA子さんは、テレビ局や芸能関係にも顔が広かった。すると、初対面にもかかわらず猪瀬氏は彼女に「俺のマネジメントをやってくれないか、テレビに出してよ」と言ってきたという。
出世作の『ミカドの肖像』が大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したとはいえ、当時の猪瀬氏はまだテレビ出演の機会は少なかった。A子さんは各局を回り、友人だった生島ヒロシ氏の『「ビッグモーニング」のレギュラーコメンテーターとして売り込むことができた。すぐにA子さんは猪瀬氏のマネージャーとして正式に働くことになった。
「これがきっかけで、その後の他局の仕事にも広がったと思います。私も好奇心から猪瀬さんの事務所に出入りするようになり、夕食を作ってあげたりしました。当時、私は独身で、猪瀬さんと男女の仲になりました」
2人は不倫の関係に陥った。猪瀬氏からは連日のように、それも多いときは5分おきくらいに電話がかかってきたという。ひっきりなしの電話攻勢や、自宅まで押しかけてくるまるでストーカーのような行為にA子さんの熱は冷めて行く。そして、“別れの日”がやってきた。1年後のことだった。
「私が起こした交通事故がきっかけでした。すべて猪瀬さんが相手の弁護士と交渉し、勝手に和解してしまったんです。そして、ある日突然、もう事務所に来なくていいからと電話がかかってきました。『俺は有名だから、テレビ局のほうから声がかかってくる』と」
脅迫まがいの電話を受けたというA子さんの訴えについて、猪瀬氏の代理人弁護士は「両者の和解合意書による守秘義務がありますから、猪瀬側から語ることは一切ありません。A子さんの子息について発言したのは、マスコミに働く人ならばその合意を理解できるはずという趣旨です」と回答している。
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