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2013年4月9日 田中 良紹 | ジャーナリスト
スティーブン・スピルバーグ監督のハリウッド映画「リンカーン」を観た。スピルバーグが作る映画と言えば娯楽性の強い作品を想像するが、これは奴隷制を廃止する憲法改正が成立するまでの28日間の議会審議に焦点を当てた政治映画である。政治のリアリズムに関心がある人には面白いだろうが、政治を理想化して考えるタイプの人間には退屈かもしれない。
映画ではリンカーンを理想化するために語られてきた幼少時代の丸太小屋生活も、リンカーンが大統領に就任した事で始まった南北戦争も、南軍が支配する地域の奴隷解放を命じた奴隷解放宣言も、「人民の人民による人民のための政治」で有名なゲティスバーグの演説もほとんど出てこない。
描かれるのは奴隷制を廃止する憲法修正第13条を成立させるため議会で駆け引きを繰り返すリンカーンの政治術と、政治に没頭するリンカーンへの不満からヒステリーを起こす妻や父親に反抗する息子などとの苦悩に満ちた家庭生活である。
南北戦争は、奴隷労働に支えられた農業中心の南部諸州が綿花を輸出するため自由貿易を主張したのに対し、工業化を推進するため奴隷ではない流動的な労働力を必要とした北部が自国の工業製品を保護貿易で守ろうとした事から国を二分する戦いとなった。連邦議会で奴隷制存続を主張したのは民主党、奴隷制反対を主張したのが共和党である。
リンカーンは、南北戦争に勝利しても奴隷制廃止を憲法に盛り込まなければ奴隷制はなくならないと考え、憲法改正を目指す。しかしアメリカ合衆国憲法は上院、下院とも改正に三分の二以上の賛成が必要な「硬性憲法」である。南北戦争が開始されて3年目の1864年春、修正案は連邦上院を通過するが、連邦下院では共和党が賛成、民主党が反対して三分の二を集める事は出来なかった。
戦況は次第に北軍に有利となるが、国民は長く悲惨な戦争に嫌気を感じている。リンカーンは戦争が終わってしまえば全州で奴隷制を廃止する事は難しいと考え、翌65年1月、連邦議会に再び憲法改正を促す。映画はそこからの28日間を描き出す。
民主党と中間派の賛成を得なければ三分の二を超えることは出来ない。戦争の終結も憲法改正にはマイナスに働く。リンカーンは反対派の議員を個別に説得する作業を始める。論理で説得するだけではない。大統領には恩赦、選挙資金の配分、議員本人や親族・友人を政府の要職に就ける人事権などがある。そうした手段を使って反対派の切り崩しを進めた。政治を理想化する人間は「買収」と「供応」の政治を否定するだろうが、人類の未来のためにはありとあらゆる手段を使うのが政治家リンカーンの信念である。
また急進的奴隷廃止論者が、白人と黒人の完全な人種平等を唱える事にリンカーンは反対する。それが正論であっても、中間派の議員たちを反対派に追いやる危険性があり、憲法改正にはマイナスに働く。実際、反対派は賛成派に急進的な発言をさせて反対票を増やそうと画策していた。そこで急進派には年来の主張を抑えさせ、「法の下での平等」だけを言わせて中間派の取り込みを図る。
こうして憲法改正の投票当日を迎えるが、連邦議会には南部の和平交渉団がワシントンに到着したとの噂が流れる。それが事実であり南北戦争が終結する事になれば、憲法改正作業など吹き飛んでしまう。和平交渉団の到着を問われたリンカーンは断固として否定する。しかし実際には和平交渉団がワシントン近くに到着していた。到着を事前に知ったリンカーンが市内ではない場所に誘導していたのである。奴隷解放の大義のための嘘であった。
反対から賛成に回った議員が選挙民から批判されないよう、議会では十分な弁明の機会が与えられ、5名の民主党議員が賛成して憲法修正第13条は三分の二を超える賛成で成立する。リンカーンの巧みな政治術でアメリカ政治は世界史に残る決断を下したのである。
戦後アメリカによって作られた日本国憲法はアメリカと同様に衆参両院の三分の二の賛成を必要とする「硬性憲法」である。国家の最大規範である憲法は通常の法律より厳格な手続きで行うべきだと考えるからである。ところが安倍政権が誕生するや、それを変えようとする動きが活発化している。「硬性憲法」を規定している憲法96条を改正しようというのである。
次の参議院選挙の争点にしようとする発言も相次ぐが、そうした動きの政治家たちは本当に政治の本質を理解しているのか疑いたくなる。通常の法律と同様の手続きで憲法を変えられる事になれば、政権交代のたびに国家の最大規範を変更する事が可能となる。それで国家の安定は保たれるのであろうか。それとも日本を再び政権交代のない国に戻そうとでもするのだろうか。
私は現行憲法を変えるべきだと考える憲法改正論者である。しかし政治家が政治の努力を放棄する96条改正には反対である。私が変えるべきだと考えるのは、衆参の「ねじれ」を生み出す憲法の規定である。通常の法律を成立させるのに参議院が否決すれば再議決に衆議院の三分の二の賛成が必要とされる。普通の法律なのに憲法並みの厳格な手続きが求められているのである。
一方で総理大臣は衆議院の過半数の賛成で選出される。間接的ながら国民の過半数の支持で就任した国家のリーダーが、成立させたいと願う政策を参議院で否決されると国家の最大規範を変えるのと同じ努力を求められるのは合理的でない。法案は三分の二ではなく過半数で再議決できるようにするのが合理的である。そしてそれが日本政治の停滞を招かない方法でもある。
しかし憲法改正を三分の二ではなく過半数で可能にするのは話が違う。世界のどの国でも憲法は厳格な手続きの下に行われる。ただし日本にはかつて特殊な事情があった。55年体制時代の社会党は決して過半数の候補者を選挙に擁立せず、従って初めから政権交代を放棄して、代りに憲法改正を阻止できる三分の一を獲得する事を選挙の目標とした。結果、与野党が政権を巡ってしのぎを削るのではなく、憲法改正を巡ってしのぎを削るという他の民主主義国とは異質な構造が作り出された。
しかしそうした時代は冷戦と共に終わり、今や日本にも政権交代の政治が到来した。まだ始まったばかりなので初めて権力を握った民主党は官僚操縦に失敗したが、しかしだからと言って日本が55年体制の構造に戻ることはありえない。「三分の一の反対で憲法改正が出来ない」などと言うのは、55年体制の過去のトラウマに取りつかれ、自らの政治術で政治を動かす自信のない情けない政治家の泣き言なのである。
映画の原作はD.K.グッドウィンの『チーム・オブ・ライバルズ』で、リンカーンが自分の政敵(ライバル)を遠ざけるのではなく、自由に意見を述べ合い、また政権に招き入れて国家分裂の危機を乗り切った政治手腕を主題にしている。本には「政治の天才リンカーン」という副題もついているが、安倍政権の未熟な対米交渉を見せつけられ、また憲法改正のための政治技術を放棄する話を選挙争点にするなどと言われると、つくづく日本の政治は以前に比べて幼稚化していくように思われる。
田中 良紹
ジャーナリスト
「1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、日米摩擦、自民党などを取材。89年 米国の政治専門テレビ局C−SPANの配給権を取得し(株)シー・ネットを設立。日本に米国議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年からCS放送で「国会TV」を放送。07年退職し現在はブログを執筆しながら政治塾を主宰」
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