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2013-04-08 陽光堂主人の読書日記
沖縄県の米軍嘉手納基地以南の施設・区域返還計画が日米で合意されたと発表がありましたが、酷いごまかしで、よくもまあこんな返還計画を出したものです。小学生でも、もう少しましなプランを練ったことでしょう。
琉球新報は、本日付の社説で次のように批判しています。
(http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-205002-storytopic-11.html)
基地返還の遅延 人道に反する負担温存策だ
嘉手納基地より南の六つの米軍基地の返還・統合計画の虚飾をまとった内実が、返還基地を抱えたり、機能を移される市町村長らの反応から浮かび上がってきた。
「返還・統合」に名を借りた新たな基地負担の嘉手納以北への集中・温存である。基地被害との決別を望む民意に背を向けた、人道に反する施策だ。県内移設条件付き返還の問題点が噴出している。
遊休化が指摘されている那覇軍港の移設時期は浦添市への移設条件が付いたために、「2028年度またはその後」とされた。1974年の日米合意から最短でも54年を要する。履行に半世紀以上かかる国家間の約束事は基地問題以外にあるまい。異常さが際立つ。
那覇軍港が象徴的に示すように、明記された六つの基地の返還時期は総じて遅く、実現の担保を伴わない。政治情勢で簡単に先送りされる恐れも拭えない。
来県した小野寺五典防衛相が、返還・統合計画を説明した。まず、沖縄に集中する米軍専用基地の割合は73・8%から73・1%と、わずか0・7%の縮小にとどまることが正式に示された。普天間飛行場の名護市辺野古移設だけが先行した場合、縮小幅は0・3%だ。
「本土の方は基地返還が相当進むと思うだろうが、良かったとは口が裂けても言えない」
翁長雄志那覇市長の反応は、基地返還計画の実現性の乏しさに強い不信感を抱く大部分の県民の受け止め方を代弁していよう。
最大懸案である普天間返還まで早くても9年かかることに、仲井真弘多知事は「その間、固定化されるのと一緒だ」と突き放した。
最低でも9年間、危険機種オスプレイが普天間飛行場を拠点に沖縄の空を飛び交うことに、不安を抱かない県民はいまい。もし、墜落などの重大事故が起きた場合、その全責任を日本政府が負わねばならないと警告しておきたい。
普天間を含め、返還対象の基地面積の約8割は、県内へのたらい回しだ。牧港補給地区の倉庫群の移設先に挙がった沖縄、嘉手納、読谷の首長は、新たな基地負担は受け入れられないとの認識をはっきり表明した。グアムなどに主力の歩兵部隊が移る海兵隊の駐屯基地がそのまま残ることへの説明もなされていない。
安倍政権がなすべきは、在沖基地の閉鎖、県外・国外への移設だ。それこそが本物の負担軽減である。 (下線は引用者による。以下同じ)
米軍基地の賛否については、人それぞれ意見があるでしょう。しかし、ごまかしはいけません。今回の返還計画が、普天間飛行場の辺野古への移設を進めるための御為ごかしであることは明らかです。
日米安保とそれに付随する日米地位協定は極めて歪な取り決めで、米側の義務や負担は殆どありません。米軍は日本国内でやりたい放題できるようになっています。基地の移転・新増設に関してもわがまま放題で、地位協定を温存したままでは基地問題は解決しません。
安倍偽総理は、作り笑いしたルース大使と握手して日米の緊密さをアピールしましたが、属領の傀儡に決定権などありませんから、米国の利益を損ねないよう粉飾した返還計画でお茶を濁すしかなかったのです。黒子の指示に忠実に従っているわけです。
米軍基地に関しては、砂川事件の内実も明らかとなりました。この事件は、東京都砂川町(現立川市)の米軍立川基地に、基地拡張に反対するデモ隊の一部が立ち入り、7人が日米安全保障条約の刑事特別法違反で起訴されたといもので、1957年7月に起きました。
この事件の裁判は最高裁で差し戻しとなり、7人の罰金刑が確定しましたが、当時の最高裁長官が駐日米大使(駐日大使ダグラス・マッカーサー2世)と密会したことが判明して問題となりました。その詳細が米国立公文書館に保管された秘密文書で明らかになったのです。
毎日新聞は、本日付でこう報じています。
(http://sp.mainichi.jp/m/news.html?cid=20130408k0000m040116000c)
砂川事件:米に公判日程漏らす 最高裁長官が上告審前
1957年夏、米軍の旧立川基地にデモ隊が侵入した砂川事件で、基地の存在を違憲とし無罪とした1審判決(59年3月)後、最高裁長官が上告審公判前に、駐日米首席公使に会い「判決はおそらく12月」などと公判日程や見通しを漏らしていたことが、米国立公文書館に保管された秘密文書で分かった。1審判決後、長官が駐日米大使と密会したことは判明しているが、基地存在の前提となる日米安全保障条約改定を前に、日本の司法が米側に図った具体的な便宜内容が明らかになったのは初めて。専門家は「憲法や裁判所法に違反する行為だ」と指摘している。【青島顕、足立旬子】
布川玲子・元山梨学院大教授(法哲学)がマッカーサー駐日大使から米国務長官に送られた秘密書簡を開示請求して入手した。
書簡は59年7月31日にレンハート駐日米首席公使が起草。田中耕太郎長官に面会した際「田中は、砂川事件の最高裁判決はおそらく12月であろうと考えている、と語った」「彼(田中氏)は、9月初旬に始まる週から、週2回の開廷で、およそ3週間で終えると確信している」などと記している。
実際には、公判期日は8月3日に決まり、9月6、9、11、14、16、18日の6回を指定し、18日に結審。最高裁大法廷は同年12月16日に1審判決を破棄、差し戻した。
書簡はさらに、田中長官が「結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するやり方で運ばれることを願っている」と話した、としている。60年の日米安保条約改定を控えた当時、米側は改定に反対する勢力の動向に神経をとがらせており、最高裁大法廷が早期に全員一致で米軍基地の存在を「合憲」とする判決が出ることを望んでいた。それだけに、田中長官が1審破棄までは明言しないものの「評議が全員一致を生み出すことを願っている」と述べたことは米側に朗報だったといえる。
布川氏は「裁判長が裁判の情報を利害関係のある外国政府に伝えており、評議の秘密を定めた裁判所法に違反する」とコメントしている。
また書簡では、砂川事件1審判決が日米安保条約改定手続きの遅れにつながっているとの見解を日本側が在日米大使館に伝えていたことも明らかになった。書簡は情報源について「(日本の)外務省と自民党」と記している。
【ことば】砂川事件
1957年7月、東京都砂川町(現立川市)の米軍立川基地に、基地拡張に反対するデモ隊の一部が立ち入り、7人が日米安全保障条約の刑事特別法違反で起訴された。東京地裁は安保条約に基づく米軍駐留が憲法9条に反するとして59年3月に全員を無罪としたが、検察側は高裁を飛ばして最高裁に上告(跳躍上告)。最高裁大法廷は同年12月に1審を破棄した。差し戻し審で7人の罰金刑が確定した。
自民党政府が米国大使館と通謀していても驚きませんが、最高裁長官が裁判の成り行きを駐日米首席公使にこっそり教えていたのですから呆れます。これは犯罪じゃないですか。最高裁がどう思っているのか、訊きたいものです。
1審で東京地裁が米軍駐留を憲法違反としている点は救いを覚えます。検察が高裁をすっ飛ばしたのは、日米安保条約改定手続きをこれ以上遅らせないようするためと推測されます。ご立派な忠義心で、「うい奴じゃ」と米国に頭を撫でられたことでしょう。
三権分立など絵に描いた餅で、米国とその手先が国内を支配し、権益を壟断しているわけで、こうした構図は今も続いていると見なければなりません。骨のある愛国者は昔の方が多かったので、今はもっと酷くなっていると思われます。だから小沢裁判のような非道・無道が罷り通るのです。
「石が浮かび、木の葉が沈む」有様で、このまま行き着くところまでゆくのでしょうが、その時この国はどうなるのでしょうか? 手遅れにならないうちに目覚める人が増えればよいのですが…。
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