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3月下旬、中国、アメリカに続けて旅行し、多くの知識人と議論した。今回は、世界の中で日本がどのような立ち位置を定め、世界に向かってどのようなアイデンティティを打ち出していくかという問題を考えてみたい。
私があったのは政治や外交の専門家なので、安倍政権の経済政策における今までの成功について、議論は少なかった。それよりも、日本はなぜ近隣諸国との間で領土紛争を抱えているのか。また、領土紛争を契機に憲法9条を改正し、軍事面で積極的に行動する国家に転換しようとしているのかという問いをしばしば受けた。これに対して、基本的な構図は6年前の第一次安倍政権の時と同じだが、今回は、民主党が総選挙大敗の衝撃で野党として機能していないこと、自民党のさらに右側に維新の会という極右政党があり、憲法問題に関して自民党と同調する可能性が大きいという環境の違いがある。したがって、7月の参院選で勝利すれば、安倍政権は右翼路線を前面に押し出してくるだろうというのが私の見通しであると答えた。
国際社会で自国がどのように見られているかを知ることは、簡単ではない。特に日本は内弁慶の国である。尖閣諸島は日米安保条約の適用対象となるというアメリカ政府高官の発言を鬼の首を取ったかのように報じる一方、領土問題については中立であり、日本は平和的手段で問題解決を図るべきだというアメリカの立場はほとんど報道しないのが、日本の新聞、テレビである。しかし、中国はもとより、アメリカの知識人が日本を見る目も、懐疑的である。世界中、誰も望まない中国との間の紛争をあえて引き起こし、同盟国アメリカに大きな迷惑をかけるのではないかというのが、その懸念である。
日本の外交面での稚拙さの根源をたどれば、第二次世界大戦の決着という問題に行きつく。現在抱えている3つの領土紛争も、第二次世界大戦の後に国境線をみずから画定できなかったという事実に由来している。サンフランシスコ講和条約には、当時のソ連、中国、韓国は参加していない。日本は、各国と個別に戦争状態の終結を確定することとなったが、冷戦の中で不徹底な形に終わった。
これには、冷戦構造の中でアジアにおいて日本と近隣諸国の間に一定の緊張関係を維持することを自らの利益と考えるアメリカの戦略もあずかっていた。もちろん、日本側の意欲と能力の欠如という原因が大きい。この点は、1960年代末に伝統的領土の放棄を意味するオーデル・ナイセ線を承認し、東側の国境を画定した当時の西ドイツと対照的である。ドイツの東方外交はのちに冷戦終結につながった一因であった。
日独のこうした違いは、結局第2次世界大戦をどう意味づけるかという作業に行きつく。戦後ドイツは、ナチスを断罪することで禊を済ませ、民主主義の一員に加わることができた。日本の場合には、天皇制が持続したため、戦争を行った主体としての日本国家、あるいはその指導者を断罪することに、抵抗や制約が付きまとった。この間の日本人の心理は、たとえは昨年話題になった、赤坂真理の『東京プリズン』という小説で見事に描かれている。やや余談になるが、塩谷喜雄著『「原発報告書」の真実とウソ』(文春新書)は労作である。ここで紹介されている東京電力自身の報告書は、まさにあの事故をなかったことにしたい同社幹部の意識の反映である。
かように、組織的な犯罪や失敗を総括するという作業について、日本のエリートは徹頭徹尾無能である。日本のエリートが、あの戦争はなかったことにしたいと思っても、侵略や植民地支配を受けた側はなかったことにはできない。この乖離は戦争が終わって数十年たっても存在し、また近隣諸国では世代を超えて伝承される。近隣諸国との間にこうした紛争が存在することについては、日本の保守派にもある程度の認識はあるが、戦争をなかったことにする態度は、欧米との関係で民主主義陣営の一員たる資格を危うくするという認識は希薄である。
安倍政権の弱点は歴史問題にあると思っていたら、安倍首相は講和条約締結の日に、主権回復式典を行うと言いだした。これは何重の意味でも戯画的な話である。昨年の総選挙について、いくつかの高等裁判所は定数不均衡のゆえに違憲であると判決を下している。つまり、国民が十分に主権を行使できない状態で選挙が行われたのである。主権を重んじる政治家なら、さっさと違憲状態を解消して再選挙をするのが筋であろう。
より大きな問題は、日本の指導者の歴史認識である。日本は戦争について改悛の情を示すことで、民主主義陣営の一員となれた。しかし、占領を単なる屈辱と考え、そこからの脱却を祝うなら、日本の政治原理は一体何なのだという疑問が湧いてくる。
『すばる』2月号に掲載された、1989年の丸山真男のインタビューの中で、丸山は、西洋の民主主義を知る自分にとっても日本国憲法は衝撃的だったと述懐している。ここまで明確に国民主権を宣言するとは予想していなかったというのである。この文脈で考えれば、安倍首相の主権回復式典の意図はよくわかる。彼の言う主権は、国民が持つ主権ではない。宙をさまよい、しばしば国民を弾圧したり、死地に赴かせたりした国家の主権である。戦争指導者が持った敗戦への屈辱感だけを継承した安倍は、見よう見まねで厳めしい国家を復活させようとしている。
遠からず、憲法改正が政治の最大争点に浮上するであろう。その時に最も重要となる論点は、政治の基本原理であり、誰が主権を持つかという問題である。国民受けするかどうかは別として、戦争に負けることで国民主権が実現したという歴史的事実を受け入れるかどうかが、最大の対立点となるべきである。
週刊東洋経済4月6日号
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