07. 2013年4月07日 19:55:13
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ただただ残念です。 「小沢軍団」から側近がまた“離反” 「鉄の結束」も今は昔… 産経新聞 4月7日(日)18時37分配信 昨年10月、「国民の生活が第一」の小沢一郎代表(中央)とともに「脱原発」問題をめぐってドイツを視察した牧義夫幹事長代行(左)。ドイツ政府要人と握手を交わした(肩書きはいずれも当時、牧氏のホームページから) 「剛腕」のもとから側近がまた1人去った。生活の党の小沢一郎代表(70)と行動をともにしてきた牧義夫前衆院議員(55)がこのほど離党し、無所属で活動していくことになった。「小沢軍団」の中にあって選挙の強さに定評があった牧氏も昨年の衆院選(愛知4区)で自民党新人に敗れて5選ならず、次期衆院選での捲土重来を期すべく小沢氏との“決別”に踏み切った。 牧氏は3月26日、都内で小沢氏に離党の意思を伝え、了解を得たという。今月に入って、自身の決断のいきさつなどについて、ホームページやフェイスブックでこう記した(原文まま)。 「大変ご無沙汰致しましたが、私も土の中で目覚めた春の虫さながらそろそろ活動を開始しつつあります。去る4月1日夕、後援会の会長及びそれに準ずる若干名の皆様にご参集頂き、私の今後の活動方針について意見交換を行いました。より多くの方々にご案内申し上げるべきところではありましたが、時間と会場の都合で一部のメンバーに限らせて頂き、しかしながら各方面より闊達なご意見を多々お寄せ頂く中で一定の結論を得ることができました。皆様には不躾とは存じながら、この書面をもって当日の『結論』をお伝えし、ご報告にかえさせて頂きたいと存じます」 「昨年の総選挙の敗因は、『民主党にはガッカリ、でも自民党にもコリゴリ』といったこの国の多数を占める世論の受け皿をきちっと準備することができなかった、という一言に集約することができると思います。その反省を踏まえて今回の議論は展開されました。したがって、その受け皿を作るための準備に入るという『結論』は容易に導き出されました。当選者に次ぐ得票をさせて頂いた私にはその責務とそれに取り組む者としての正当性があると自覚をしております。言葉を換えて申し上げると、当面、私は無所属の立場で活動を継続し、しかるべき時期に第三極を結集するためのフリーハンドを確保しておきたい、ということであります」 牧氏は防衛庁広報紙記者、鳩山邦夫衆院議員の秘書を経て、平成12年6月の衆院選に愛知4区から民主党公認で立候補し、保守党現職(自民党・公明党推薦)の三沢淳氏を破り、初当選した。15年11月の衆院選では、自民党の近藤浩氏を破り2選し、民主党への大逆風が吹き荒れた17年9月の「郵政選挙」でも、自民党の藤野真紀子氏を破り3選。21年8月の衆院選では藤野氏に比例復活すら許さず4選を果たした。同年9月、衆院厚生労働委員長に就任した。 23年9月の野田佳彦内閣発足にともない、厚生労働副大臣に起用された。翌年発足した野田第1次改造内閣においても厚生労働副大臣に留任したが、野田内閣が推進する消費税増税に反発し24年3月30日に辞表を提出し、4月4日付で辞表が正式に受理された。 消費税増税などを含む社会保障・税一体改革関連法案の衆院本会議採決では反対票を投じ、民主党に離党届を提出。離党届を提出した小沢氏ら民主党所属の国会議員50人のうち、牧氏を含め衆院議員37名の離党届は受理されず、7月9日に民主党倫理委員会において除籍処分とされた。 牧氏は事実上の「小沢派」とされた一新会に所属するなど、小沢グループの中核メンバーの1人として活動してきた。むろん小沢氏が昨年7月に旗揚げした「国民の生活が第一」に参加し、党幹事長代行(政策担当)に就任した。小沢氏の信頼も厚く、側近として党の幹部ポストで重用されたのだ。 こんな逸話もある。牧氏が野田内閣で厚労副大臣に任命される直前のことだ。野田政権発足を受けた政府・党幹部の人事をめぐり小沢氏が牧氏にどんなポストがほしいか電話で聞いてきた。それを受けて小沢氏は野田首相に“推薦”するつもりだった。しかし、牧氏は「私はまだしばらく“閥務”で汗をかきたいと思います」と答えた。小沢氏はある講演の席で一連のやりとりを披露し「今の政界で、あのポスト、このポストがほしいと言わない政治家は珍しい」と牧氏を持ち上げたという。結局、牧氏は自ら望むことなく副大臣に就いたのだった。 しかし、昨年12月の衆院選では民主党時代の最大の支援者であった労働組合の支持が得られなかった上、公示日直前に結党した「日本未来の党」の名が有権者に浸透せず、自民党の工藤彰三氏に後塵を拝した。比例でも復活できなかった。 関係者によると、無念の落選後、多くの地元支援者から「もう小沢さんと一緒にやっていくこともない」と背中を押されたことも、党を離れる決断を促したようだ。 小沢氏とはケンカ別れしたわけではなく、あくまで円満な形で党を離れたわけだが、落選中の側近とはいえ、その離脱はここのところとみに政界での影響力や存在感に陰りがみえる「黄昏の小沢氏」を浮き彫りにする“事件”だろう。 折しも、自民党の小泉進次郎青年局長は4日、党内に今夏の参院選で平野達男前復興相(岩手選挙区、民主党に離党届を提出)を支援する理由として「生活の党の小沢代表の地盤を崩すチャンス」との声が上がっていることについて「倒そうとしなくても小沢一郎氏はいずれ倒れる。過去の人をいつまでも見て戦ってても自民党は変わらない。もう戦う相手はそこにはいない」と語った。 また、生活の党関係者によると、同党に所属する議員からも「明らかに小沢さんは判断力が鈍ってきた。政局を動かすだけの軍資金もない」という声が漏れているほどだ。 小沢氏は参院選での民主、日本維新の会、みんなの党との「野党共闘」の必要性を繰り返し訴えているが、その意に反して、与野党問わず政界では「小沢抜き」「小沢外し」が着々と進んでいるようである。 手勢の生活の党の衆参議員はわずか15人で、「数の力」を信奉してきた小沢氏はもはや「次の一手」どころではない。6人が改選を迎える参院選でも議席を減らすことは避けられないとみられる。永田町関係者はこう語る。 「『鉄の結束』を誇った小沢軍団も今は昔で、牧氏の無所属宣言はもはや驚くに値しない。参院選後は民主党ともどもバラバラになる可能性が十分ある」
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