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2013/4/5 晴耕雨読
Tiger Mods氏のツイートより。
佐藤真言さん著「粉飾」(毎日新聞社)を読んでいる。
特捜検事とのやりとりを読むと、検事は、被疑者からちょこっと話を聞くとすぐに部屋を出て主任だか上司だかに報告しに行くのがわかる。
この本に限らず、特捜検事の取調場面はどれも同じ。
下っ端に「自分の判断、裁量」が全くないことがわかる。
特捜検事が自分で何も判断してはならないのは、要するに「被疑者調書にとる内容が初めから上に決められている」からだろう。
自分の判断で勝手に調書をとって、後で他の調書と合わないと公判でもめる火種になるからだ。
が、何も決められない検事って、検事なんだろうか。
関係者の(ほぼ)全員の(ほぼ)全ての調書の中身がキレイに一致した調書をせっせととり貯めていく、こんなのが「捜査」の名に値するのだろうか。
また、こんな仕事が面白いのだろうか。
ダメ検事だった自分は、ここまで裁量を奪われて仕事をさせられずに済んだ。
警察が送致した大事件を、主任の指揮の下で応援として捜査したことはあった。
が、主任が求める供述がどうしても出ないときは「そこまで言わせるのは無理です」「そんな調書はとれません」と「意見」を述べたことがある。
主任から見れば「使えない奴」だろうが、できないことはできないと言うのも検事。
そもそも、被疑者なり参考人と真剣に向き合い、自分なりにギリギリまで取り調べると「主任の言う筋は違うんぢゃないのか?」と思うものだ。
他方、取調官は総じてこうした心境になるので、主任としては無条件に下っ端の意見を容れるわけにもいかない。
ここに検事同士の建設的な衝突が生まれる。
優れた主任は、部下の心証を尊重しつつ、最低限度は手綱を引かないといけない。
頭ごなしに部下の意見を潰すと、部下はやる気をなくす。
なぜなら、それは検事が「主任の手足、道具」に成り下がることになるからだ。
そんなの、ばからしくてできない。
これは検事と警察の間でも同じ。
特捜検事は、不本意だとしても「主任(または上司)の道具」に自らを貶めなければならない立場だから、まともな検事なら消耗すると思う。
また、自分が他人の言いなりにされているから、かえって被疑者や参考人を自分の言いなりにしても、おそらく短期間は良心の呵責を感じないのだろう。
つまり、特捜部では、そもそも検事の間に建設的な衝突が認められづらいシステムが構築されているため、最後に自由意思を奪われるのが被疑者や参考人という悲しいオチになるのだろう。
もっとも、ダメ検事の想像だから、正しいかどうかはわからない。
いささか誤解を招く表現だが、捜査とは、証拠を積み上げて一定の事実(けっして「真実」とは言いたくない)を創造する営みだと思う。
果たして特捜部の捜査は「創造的」なのだろうか?
検事が検事として「燃える」何かがあるのだろうか?
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