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「日本一新運動」の原点―154
2013年03月28日 : (日本一新の会。)
日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観
◯ 憲法問題について(その2)
自由党の『新しい憲法を創る基本方針』は、発表の前日に朝日新聞が特ダネとして報道した。そのため予想以上に国民の関心を受けた。
驚いたことに社民党が、(4)安全保障について、弁護士12名からなるシンクタンクに議論させることになる。私が参議院麹町議員宿舎の会議室に呼ばれ説明した。議論の結果は賛否が6対6となった。
(4)安全保障について
20世紀に人類が起こした悲劇を繰り返さないために、現行第9条の理念を継承する。国家の責務は国の名誉と国民の生命と財産を守ることであり、その為に必要な体制を整備する。同時に、21世紀においては旧世紀の戦争観にとらわれない新しい安全保障の概念を創造する。
新世紀において日本が平和を維持し存続していくためには、国際社会との真の協議を図らなければならない。もはや、個別的自衛権や集団的自衛権だけでは自国の平和を守ることは不可能である。
そのために、日本は外向的努力に全力を尽くし、国連による集団安全保障体制の整備を促進するとともに、国連を中心としたあらゆる活動に積極的に参加する。さらに、日本が率先して国連警察機構創設を提唱する。人類を破滅に導く大量破壊兵器の全廃を推進する。
自衛隊の権限と機能、内閣総理大臣の指揮権を憲法に明記し、シビリアン・コントロールを徹底させる。日本が侵略を受け、国民の生命および財産が脅かされる場合のみ武力による阻止することとし、それ以外の場合には、個別的であれ集団的であれ自衛権の名の下に武力による威嚇またはその行使は一切行わないことを宣言する。非常事態の制度を憲法に明記する。
(コメント)安倍首相が3月9日(土)、BS番組で突然に意欲を示した「国連の集団安全保障への自衛隊の参加」だが、その原形は自由党の「新しい憲法を創る方針」にある。本来は「自衛隊とは別組織」とする方が適切である。
平成19年秋、福田康夫首相と小沢民主党代表が自民・民主連立を協議した時、この政策を実現しようということであった。この「国連の集団安全保障への参加」は、自民党にも民主党にも反対論がある。安倍首相がこの政策の真意を何処まで理解しているか不明である。
(5)立法権について
国民の選挙によって構成される国会が、国権の最高機関として名実ともに機能するよう、抜本的な整備を行う。代表制民主主義の基本を維持しつつ、社会状況の変化・進展に伴い直接民主制による補完によって、形骸化した議会民主主義を改革し国民主権を確立する。
現行の両院制を抜本的に改革する。参議院の構成について衆議院と異なる方法を検討する。両院の権限や機能の分担を徹底させ、参議院の役割を、国政に対して大所高所から指導・進言するものとする。
議員の権限や責任、議事運営などについて、21世紀の新しい状況を踏まえ、全面的に見直しを行う。特定の重要案件について国民投票制度を導入する。政治倫理の確立については、議院の自浄作用として憲法上の制度を整備する。
(コメント)基本方針で論じたことを変更する必要はないが、その後の日本政治の実態を見るに、単なる抽象論では済まされない状況になっている。小泉政権から目立つようになったわが国の議会民主政治の劣化は、民主党への政権交代に至って、もはや議会主義とは言えない事態となっている。さらに小沢元民主党代表に対する政治捜査や裁判に至っては、わが国が民主主義国家といえない憲法以前の問題である。
真の民主主義教育をはじめ、国民主権を代表して行使する国会議員の活動を保障する制度の整備が必要である。「基本方針」をまとめた者として、わが国の政治家・メディア・有識者たちの、議会主義に対する見識の低さを見抜けなかったことを反省している。
(6)行政権について
わが国では官僚政治が続き、議会民主政治の定着と発展に問題がある。立法権優位の原則に基づいて、行政権の位置づけを明確にする。中央行政府の役割を国家の維持と発展に必要かつ最小限なものとし、大胆な地方分権を断行する。例えば、マクロ経済政策、外交・防衛、災害など危機管理、食糧・エネルギーの確保、基礎教育、治安維持、市場ルールの形成、環境保全、基礎的社会保障、金融システムの安定、国家プロジェクト等に限定する。
内閣の総合調整機能を強化し、首相の行政各部に対する直接的指揮監督権を確立させる。また、大規模自然災害、原子力災害、犯罪の国際化、テロなどに対する危機管理体制を確立して、必要に応じて国及び地方の権限を首相に集中できる体制を整備する。
首相公選制は慎重かつ冷静な議論が必要である。首相のリーダーシップは制度によって保障されるものでなく、議院内閣制の整備によって発揮できる。日本の歴史や民族性からしても代表民主制による選出が適切だ。
(コメント)官僚支配による政官業利権政治が、21世紀に生きる日本の発展を妨害することになる。公務員が新しい時代に正当な職責を果たせるため、憲法上の整備が必要である。民主党が政権交代の際、わが国の官僚支配政治改革を目指したことは当然であったが、ともすれば官僚を敵視する感情的言動により失敗した。それが逆転し、菅政権・野田政権に至っては、官僚お抱え政治に堕落した。
昨年暮れの総選挙による政権交代で、安倍自公政権が成立した。役人天国が復活どころか、官僚支配政治が異常な形で目立つようになった。国民の覚醒を待つ他にない。官僚のあり方について憲法上の工夫が必要である。
(7)司法権について
日本は現在、グローバル化の波に洗われている。世界経済は全地球を統合する形で大競争の時代に入り、それに伴う法的処理の増加と多様化、また、犯罪の国際化や凶悪化などに対して、従前の司法システムでは適切に対応できない。真の司法権の独立と新世紀の法秩序を維持するため憲法の見直しを行う。
「憲法裁判所」を設置し、形骸化した違憲立法審査権の機能を再生させるとともに、特定の行政訴訟なども担当するものとする。これより、一般裁判所の業務を軽減することになり、迅速で適切な事業処理が可能となる。
内閣の指名に基づいて天皇が任命する最高裁判所の長官及び、内閣が任命する最高裁判所の裁判官について、国会の承認を必要とするなど、行政権の関与を減少させる。なお、最高裁判所の裁判官の国民審査制度は廃止する。
(コメント)裁判所を中心とする司法権、行政権ではあるが準司法ともいえる検察のあり方を総合的に改める「司法改革」が、平成時代に積極的に行われた。ほとんど失敗であった。検察審査会制度の改悪は、司法への市民参加という理屈は形だけで、市民の名を借りた司法官僚支配の再編で、憲法違反である。司法試験改革も人格の優れた法曹人の養成という目的にはほど遠い。陸山会事件や郵政不正(村木)事件では、検察の捜査に違憲な行為があった。また陸山会事件の政治裁判は異常な事態を繰り返し、わが国の民主主義の基盤に大きな歪みが生じている。「基本方針」に拘らない抜本改革が必要である。
3月25日(日)に発売された『週刊ポスト』(4月5日号)に、志岐武彦氏の執筆による2つのスクープが掲載された。ひとつは、小沢氏の第5検察審査会の2度目の議決が「架空議決」であった疑惑が深まったこと。もう1つは、二階俊博氏の第3検察審査会の2度目の議決日(平成21年7月1日)に、審査員が出席した形跡がないことである。検察審査会が政治的に利用された疑惑は、国を挙げて究明しなければならない。それができなければ立憲国家とはいえない。
((8)地方自治について 以下は次号)
追記
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元記事リンク:http://nipponissin1.blog136.fc2.com/blog-entry-243.html
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