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http://yukan-news.ameba.jp/20130324-164/
3月24日15時07分 アメーバニュース
民主党の原口一博議員が、「大和心の意味するところ」(排外主義と差別に日本の伝統はない)についてFacebookで1600字を超える長文の意見を表明している。原口氏はまず、「私は、日本人として生まれたことを誇りに思っている。そして日本の「和」の伝統と文化をとても大切にしている」と切り出す。
そして、原口氏は最近隣国に対する敵愾心・侮蔑をあからさまにする人が目にするようになり、民主党や民主党議員に対し、「売国」という言葉を、軽々しく使う人も目にするようになったと批判。
この「売国」については「中国や韓国に国を売り渡したという者さえいる。どこが売られているのか?日本は、そんなに軟な国家ではない。政治家や公党に対する侮蔑にも限度というものがあるのではないか?」と昨今目にする「売国」に対し疑問を呈した。
そこから原口氏は国家の品格や大和心、伝統、文化について語り、「日本の文化は、差別と排外主義とは真反対のところにあると言っても過言ではないだろう」とし、「日本人の本質を学び国を真に愛するならば、その行動も日本の伝統と文化に沿ったものでなければならないはずだ」と排外主義が日本にそぐわないと締めている。
コメント欄では原口氏に共感する人は多いものの「どういった経緯があっておっしゃっているかわかりませんが、結果として売国行為を行っている日本人は民主党にいると考えられます」との反論も書き込まれた。
◇
大和心の意味するところ
(排外主義と差別に日本の伝統はない)
私は、日本人として生まれたことを誇りに思っている。そして日本の「和」の伝統と文化をとても大切にしている。
かつて短期間だったが語学研修をしていた国で「黄色」という言葉を投げつけられたことがあった。あれは、国境を少し超えたところの観光地だった。20代になったばかりの私は、とても深い衝撃を受けた。しつこく値切る私の友人に向けた言葉だったと記憶している。その後も、あの国境地帯の町には、幾度も行く機会があった。町は、活気に溢れて人々は優しかった。それでも「黄色」という言葉の棘は、抜けなかった。あの町の陽気な雰囲気と真反対の差別の言葉だった。
日本でも近年、隣国に対する敵愾心や侮蔑の思いをあからさまにする人やグループが増えてきたように思えてならない。「売国」という言葉を、軽々しく使う人間も目にする。民主党や民主党所属国会議員に対して投げかけられるものも増えた。尖閣における漁船衝突案件などを機に増えたことは、私たち自身も強く反省しなければならないことだ。
国を愛し、国家に貢献する日本人。その日本人の中に「売国」勢力がいると考えていること自体の矛盾や国家の損失については、思いが至っているのだろうか。日本を誇りに思うという一方で、日本人には売国奴がたくさんいるのですよと言っているのに等しいのではないのか。
中国や韓国に国を売り渡したという者さえいる。どこが売られているのか?日本は、そんなに軟な国家ではない。政治家や公党に対する侮蔑にも限度というものがあるのではないか?否、政治家や政党であれば、いくらでもそれを跳ね返し、言論によって論破することができる。
問題は、もっと深いところにある。差別や排外的な言動をすることで、自らの貧弱なアイデンティティを補強できたと思っているのならば、自身のためにも日本のためにも思い直して欲しい。それが愛国にもつながる。
国家の品格は、そこに住まう国民の日頃の振る舞いにも規定される。
もともと日本は、和の国である。八百万の神々という神話の世界からも明らかなように、多様な価値観に対する寛容な姿勢が、文化や伝統の骨格を支えている。
『日本人の持つ、やさしく、やわらいだ心情。』を大和心という。
日本の伝統、文化は、丁寧でたおやかであり、日本人の行動様式は、礼儀正しく慎み深いところに本質がある。日本の文化は、差別と排外主義とは真反対のところにあると言っても過言ではないだろう。
私は、かつて国士とあがめられたお二人の指導者に教えをこうていた。お一人は、陸軍中野士官学校をご卒業された方だった。沖縄返還運動の先頭に立たれ、北方領土返還の礎を築かれた方だ。先生のもとには、何百人と言う国会議員が訪れ、教えをこうていた。皇室を崇め、日本の伝統を広く説かれた方でもあった。
その方の回りには保守・革新を問わず多くの者が集った。右派とよばれる人たちも多かった。先生は、他国への侮蔑や排外の態度を決して許されることはなかった。自らの国家に対して忠誠を誓う者は、他の国家に対しての敬意を忘れない。日本という稀なる国家の恩恵と伝統によくする者は、より高い責任と自制を求められる。先生は、一人一人の教え子に対して大和心を説かれていたと私は考えている。あの戦争で散華された魂への深い鎮魂の思いがあられた。
天皇陛下のようなお言葉を発することも、振る舞いをすることも、我々には遠く及ぶものではない。「比べることそのものが不遜であり不敬である。」と先生もおっしゃるかもしれない。だからと言って、努力を怠っていいことにはならない。「日本人として生まれたからには、象徴としての天皇陛下のお姿に学び、少しでも近づく努力を日々、行うべきだ。」と教えられた。その意味でも御心にたがうような排外的姿勢を示し、他国の人を差別して何が日本人か。
日本人の本質を学び国を真に愛するならば、その行動も日本の伝統と文化に沿ったものでなければならないはずだ。
http://www.facebook.com/kharagucih/posts/584442324907576
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