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2013-03-20 15:25:58NEW ! simatyan2のブログ
19日のYahooニュースで麻布中学の入試に「ドラえもん」が問題として
出題されていたことが載っていました。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130319-00000001-pfamily-soci
設問の要旨は
<「ドラえもん」がすぐれた技術で作られていても、生物として認められる
ことはありません。それはなぜですか>
というものです。
中学入試ですから受験生は当然小学生なわけで、それこそユニークな答えが
集まったと思いますが、でも下のような模範解答以外不正解だったそうですね。
解答は、
『自分自身の成長や生殖』という項目に該当しないから生物ではない」
だそうです。
ここで別に「ドラえもん」が入試に出題されたことが悪いと言うつもりはあり
ません。
麻布中学がどんな意図の元に出題したのかわかりませんが、頭の柔軟性を鍛え
る意味から言えば寧ろこうした問題が出題されるのも悪い事じゃない思います。
ただ問題なのは、せっかく○×式でもなく選択問題でもなく記述式の解答方法
なのに、用意した模範解答以外を不正解にしてしまったことにあるんですね。
例えば「自分自身の成長」と一言で言っても「身体」の成長と「精神」の成長
があるわけですが、ロボットは学習能力により日々進化成長したり自己増殖も
可能な段階に入っています。
ですから模範解答は身体的側面だけを捉えているため、せっかくのユニークな
設問が生かされていないだけでなく、型にはまった考え方を強要しているとも
いえるんじゃないでしょうか。
これはいかにも官僚的発想の持ち主が考えそうなことです。
それと驚いたのが最近の中学ではヒップホップのダンスが必修科目なんですね。
選択科目ならわかりますが必修科目という意味がわかりません。
みんな横並びで一列で同じダンスを強制し、同じ考えを持たないと脱落者としての
烙印を押されてしまうんでしょうか。
ダンスが必修科目になった経緯もいかにも官僚が手をつけそうな短絡的な発想
から来ているようです。
精神科医の斎藤環さんは日本のヤンキー文化が中学にまで増殖しているからだ
と言います。
「そこにあるのはヤンキーのムラ的発想にほかならない。
集団に寄与していない人間には集団も利益を与えないという村八分的論理です。
それはもう露骨です。
たとえば、多くの中学校で踊られている「南中ソーラン」がいい例。
元は北海道のある中学校が不良の更生のために導入して成功した。
それがドラマ金八先生のエンディングで使われたところ、あっという間に全国
に広がった。
伝統的なソーラン節をロック調にアレンジしており中学生でもノリやすい。
衣装は竹の子族のような派手なハッピ。金のネックレスやセカンドバッグなど
と同じく、ヤンキーが好むバッドセンスです」
「日本人には、体を痛めつければ心が鍛えられる、心が鍛えられれば体が強く
なるというような変な回路がある。
それがうさぎ跳びとか、運動中に水を飲んじゃいかんという、
むちゃくちゃな非合理的特訓、スポ根的な特訓につながっていく。
こうした精神主義はヤンキー的気合主義と相通ずる。
根っこは第二次大戦当時の大和魂や精神主義につながるものです。
当時の論理が亡霊のように生き残っていて、スポーツ界ほかいろいろな場所に
顔を出している。
不気味で嫌な印象を抱きます」
斉藤氏が言ういろいろな場所に顔を出す精神論、これで今利用されて一番怖い
のは放射能問題だと思います。
線量計が示す客観的数字ですら精神論で片付けようとしているんですね。
「みんなが大丈夫だと言ってるから大丈夫なんだ」
と・・・。
みんな絆という言葉に弱いですから。
そもそもは拘束や動きを束縛するという意味を持つ絆という言葉が、特に震災を
契機にして麗しいもの、なくてはならないものという言葉に変わっています。
前にも書きましたが日本人は集団と雰囲気に弱く、大多数の人の行動はこの2つ
によって決まる場合が多いと思います。
下の図の左のように、平等といえば同じ条件を全ての人に当てはめようとします。
http://www.lifeshot.jp/files/photos/1306059992/1363760580_o.jpg
でも人それぞれによって状況は異なるんですよね。
それを同じ条件をそろえることが正義だという雰囲気を作り上げてしまいます。
みんなが同じ新聞テレビを見て同じ感想を持ち、同じドラマを見て感動し、同じ
買い物をして旅行をする、これほど支配者にとって都合の良い国民はいません。
大人たちはテレビと新聞の影響を受け、子供たちは学校教育で横並びの下地を
作られる最悪の環境になってきました。
先の斎藤環氏は、学校で教える徳目(道徳の内容)から協調性を外すことが必要だ
と言います。
協調性だけを強調するカルチャーが、ムラ社会におけるいじめのロジックを補強
しているので、一人だけ変わったことをするやつはいじめていいという話に
つながっているんですね。
あくまでも個人の権利を尊重することが最優先事項で、協調性は2番目か3番目
に大事であると教育しないと、いつまでたっても個人よりも集団を優先する論理
がまかり通ってしまうんです。
こうした日本人的行動様式を統治者(官僚、自民党、維新の会)は利用する
でしょうね。
だから中学教育あるいは小学教育から変えないとだめかもしれません。
先の斉藤氏は次のようにも言っています。
「統治する側とされる側が同じ体質。自民党政権は安泰ですね。」
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