http://www.asyura2.com/13/senkyo144/msg/593.html
Tweet |
日本は人種の違いを理由にする差別を撤廃することを定める多国間条約である人種差別撤廃条約に加入している。その第4条には次のようにある。
(a)「人種的優劣又は憎悪に基ずく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するのもであるであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基ずく活動に対する資金援助の提供も、法律で処罰すべき犯罪であることを宣言すること」
(b) 「人種差別を助長し及び扇動するその他のすべての宣言活動を違法であるとして禁止するものとし、このような団体又は活動への参加が法律で処罰すべき犯罪であることを認めること」
このように人種差別撤廃条約では人種(いうまでもないが人種には出自も含まれる)の違いによる差別を違法とし、法律によって禁止することを求めている。しかしながら日本は、この第4条に対して次に示す保留を行ない、差別行為を禁じる立法を行なわず、表現の自由を名目に差別行為を容認している。
『同条に「世界人権宣言に具現された原則及次条に明示的に定める権利に十分な考慮を払って」と規定してあることに留意し、日本国憲法の下における集会、結社及び表現の自由その他の権利の保障と抵触しない限度において、これらの規定による義務を履行する。』
アメリカも日本同様、同じ理由で第4条を留保している。本来、差別を助長する表現の自由は許されるものではない。違法でないことをいいことにレイシストはやりたい放題である。
---------
心を痛めている。
……という書き出しを読んだ瞬間に
「なんだこの偽善者は」
と身構えるタイプの読者がいる。
ながらく原稿を書く仕事をしてきて、最近、つくづく感じるのは、若い読者のなかに、情緒的な言い回しを嫌う人々が増えていることだ。
彼らが嫌う物言いは、「心を痛める」だけではない。
「寄り添う」「向き合う」「気遣う」「ふれあい」「おもいやり」「きずな」といったあたりの、手ぬるい印象のやまとことばは、おおむね評判が良くない。かえって反発を招く。
彼らの気持ちは、私にも、半分ぐらいまでは理解できる。
この国のマスメディアでは、論争的な問題を語るに当たって、あえて情緒的な言葉を使うことで対立点を曖昧にするみたいなレトリックを駆使する人々が高い地位を占めることになっている。彼らは、論点を心情の次元に分解することで、あらゆる問題を日曜版に移動させようとしている。
若い読者は、そういう姿勢の背後にある卑怯さを見逃さない。
リテラシーとも読解力とも違う、不思議な能力だ。
なので、冒頭の一行目については、思っている通りの言葉で言い直してみることにする。
私は、心を痛めているのではない。私は、アタマに来ている。
あるいは「うんざりしている」の方がいまの気持ちに近いかもしれない。
私はうんざりしている。
ついこの前の日曜日(2月17日)に、新大久保で「不逞鮮人追放!!韓流撲滅デモ」と銘打たれたデモが開催された。
2月に入ってから、新大久保での嫌韓デモは3回目になる。
これ以上の詳細については、各自「新大久保」「デモ」「嫌韓」ぐらいのキーワードでググってみてほしい。色々と動画やブログがヒットするはずだ。
デモの映像を見ると、たった10年前の常識で考えても、到底考えられなかったことが、いま現実に起こっていることに驚かされる。それほど、社会の変化は素早い。私の常識はまったく通用しない。
ここで引用できない言葉を記したプラカードが、東京の街中に掲げられて実在すること自体、たぶん、10年前の日本人は信じられないはずだ。
が、現実として、そのプラカードを振りかざす人間がいて、その彼は公道を闊歩している。
戦後常識からしても、国際標準からしても、あり得ない出来事なのだが、彼らは誰にもとがめられない。
列に連なっている人々は、これまた、とてもここでは引用できないシュプレヒコールを繰り返している。
引用できない以上、論評のしようがありません。
デモが起きた翌日(2月18日)の夜、NHK広報局のツイッターアカウントである@NHK_PRが以下のようなツイートを書き込んだ。
(゚ー゚*)。oO(ヘイトスピーチをまき散らすだけで、まるで何か世の中の役に立つことをやっている気になっているようなネット弁慶さんたちには、1度でいいから東北へ行ってボランティアでもしてきなよ、と言いたい。かなり本気で言いたい)(1号)
(リンクはこちら)
https://twitter.com/NHK_PR/status/303520587744161793
この文言が、現在、炎上している。
内弁慶ならぬ「ネット弁慶」という言葉が効いたのだろうか。
ツイッター上で発言が拡散しただけではない。2ちゃんねるの「ニュース速報+」という掲示板(主に時事ニュースについて語り合う掲示板)に、ほどなくスレッドが立ち、以来、そのスレッドはずっと一番書き込みの多い項目になっている。
反応を受けて、@NHK_PRは、真意を説明するツイートを発信した。内容は以下の通り。
http://twitter.com/NHK_PR
東北についてのヘイトスピーチをまき散らしている人たちには、もし出来ることならば、いちど東北へ行って自分の目で見て欲しい、匂いや音を感じて欲しい、そこで暮らす人たちと話して欲しい、と言いたい。(これなら伝わる?)
(リンクはこちら)
https://twitter.com/NHK_PR/status/303579668169256961
このツイートは、しかし火消しにはならなかった。
「ごまかすな」
「東北に論点をズラして逃亡かよ」
と、かえって、火に油を注ぐ結果になった。
で、21日現在、スレッド数は通算で50個目に到達しようとしている。
書き込みの9割以上はNHK_PRに対して批判的な立場のものだ。
ちなみに、46番目のスレッドを全文検索してみると、これまたここでは引用できない言葉が続々とヒットする。
おかげで、私が覗いている画面も、新大久保の路上みたいなことになっている。
@NHK_PRについて簡単に説明しておく。
NHK_PRは、アカウント名の右側に(ゆる〜く会話しますよ)と書いてある通り、NHK広報局の公式見解を発信するアカウントではない。
むしろ、NHKの枠組みから外れた、担当者(複数いるそうです)個々人の感想や思いつきが評判を呼んでいる、ある意味ではNHKとは独立した情報チャンネルだ。
昨年は、本も出版している。
『中の人などいない』(新潮社)
まあ、この二年ほどの間に世間に溢れ出した「はみ出しアカウント」の先駆を為す、実験的PRメディアだと思えば良いのかもしれない。
われわれ一般人が言ったことなら当たり前の話でも、NHKの人間がNHKの看板を背負って言えばジョークになる。
たとえば、個人名のアカウントが、
「テレビつまんないからメシ食ってくる」
と書き込んだところで、その書き込みは反応も笑いも生まない。何の新味もない日常のつぶやきに過ぎない。
ところが、まったく同じセリフを、NHK広報局のアカウントが書き込むと、そのツイートは、微妙な余韻をもたらす。
皮肉と言えば皮肉。不謹慎と言えば不謹慎。面白いと思えば、面白くもある。釣りと言う意味では釣りなのかもしれない。とにかく、NHKの看板を背負うや、単純な言葉にも、複雑な陰影が宿るわけだ。
NHK_PRの面白さは、NHKという看板(背景)込みのコンテキストがもたらす、屈折した構造の中にある。
「NHKがそれを言うかよ」
という突っ込み待ちの中で、やんわりとした本音や、白々しい建前や、自明の理や、ガチな宣伝を自在に繰り出してくるその力加減が、彼らの武器なのである。
それが、現在、炎上している。
ということは、彼らは力加減を間違えたのだろうか。
その可能性はある。
たしかに、形式上とは言え広報局の看板を背負っている以上、踏み込むにしても韜晦するにしても、おのずと限界はあるわけで、とすれば、件のヘイトスピーチ発言は、「個人的」な感想に傾き過ぎていたのかもしれない。
とはいえ、企業なりメディアなりの看板を背負ったアカウントが、「公式」の範囲から逸脱するのは、もはやお約束だ。逆に言えば、「公式見解」から一歩も外に出ないようなら、わざわざツイッターのアカウントを作ってビビッドな情報感度をアピールする必要も無い。あくまでもオフィシャルを防衛したいのであれば、ホームページのお知らせ欄で告知するか、プレスリリースのPDFでも流していれば良いのである。
なので、私は、今回の騒ぎを、中の人のミスだとは考えない。
判断ミスがあったのだとしても、それは、騒ぎの主要な原因ではない。
これは、もっとタチの悪いものだ。
というのも、このたびの炎上騒動は、メディアがレイシズムを批判することが難しくなっていることを物語っているからだ。
しかも、事態を見るに、レイシズムの側が逆にメディアを断罪している。
われわれは、歴史の転換点に立ち会っているのかもしれない。
大げさだと思うだろうか。
私は、そうは思わない。
新大久保で起きていたことの映像を見ると、大げさに考えないことは難しい。
ツイッターは、埋もれていた言論を糾合する。
のみならず、それは、同じ意見を持った人間をひとつの場所に集める効果を発揮する。
実際に、昨年の反フジテレビジョンへのデモは、予想外の人数を集めた。
で、その彼らのデモは一定の効果を発揮した。
当のフジテレビは、圧力や効果を認めようとしないかもしれない。
が、デモ参加者は、手応えを得ている。十分に自信を深めてもいる。
私は、今回の炎上騒動の背景には、フジテレビのデモ以来、着々と実績を積み上げてきた嫌韓の人々の「全能感」があると考えている。そう考えないと説明がつかない。彼らは、何でもできる気になっている。
フジテレビはもちろん、フジテレビ以外のメディアも、あのデモを遠巻きに眺めながら、
「めんどうくさい連中にはかかわらない方が良い」
という、一種の厭戦気分に近い教訓を得ていたはずだ。
で、そのメディアの側の忌避感が、デモ参加者の側にさらなる「昂揚感」と「全能感」もたらしている。
彼らは勝った気でいる。
というよりも、現実に、局面を見る限り彼らは勝ちつつある。
デモに集まっている人々は、
「自分たちが集まって声を上げれば、社会を変えられる」
という、実感をつかみつつある。
だからこそ、彼らは、ネット弁慶のカラを破って、リアルな町である新大久保に、リアルな人間として、毎週のように集まっているのである。
2月9日のデモの動画を見た後、私は、以下のような感想をツイッターに書き込んだ。
ネット上に殺害予告の書き込みをした人間は、逮捕起訴されて実刑判決を受けている。一方、「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ」みたいなプラカードを掲げて新大久保の街路をデモ行進した人たちはおとがめなしだったりする。不思議な国だよ。
(リンクはこちら)
https://twitter.com/tako_ashi/status/300806545132892160
このツイートは、既に2000件ほどリツイートされている。
一方、当然のことながら、リツイート数に見合った数の反論(というのか罵倒や中傷のリプライ)が寄せられてもいる。
私のような世間の片隅でツイートしている個人名のアカウントにさえ、読み切れない数の罵倒が届くことを思えば、NHKみたいな言論機関の看板を背負った人間が、ヘイトスピーチについてなにがしかのことを語れば、その後にどんなことが起こるのかは、見当がつきそうなものだ。
そういう意味で中の人は判断を誤ったのだろう。
でも、誰かが判断を誤らないと事態は変わらない。
誰もが判断を誤らずに、あらゆる言論人が排外主義をスルーし、すべてのメディアがデモを問題にせずにいれば、ヘイトスピーカーはますます勢いを得る。というよりも、彼らは、当面の狙いである、「めんどうくさいことを嫌う会社員の人たちを黙らせる」戦いにおいて、勝利をおさめつつある。
われわれは、黙らされている。
下を向いて、自分の足下ばかり見ている。
いつだったかの当欄で既に書いたことだが、ネット時代の言論弾圧は、「めんどうくささ」という形でわれわれの前に立ちはだかることになっている。
今回の案件はその典型だ。
ネクタイをした(つまり組織の中で仕事をしている)担当者が、事態をネグレクトせざるを得ない事情はよくわかる。情報を扱う組織の中にいる人間が第一に考えなければならないのは、部数や視聴率もさることながら、なによりもまず面倒を避けることだからだ。彼らは、問題を起こさないために働いている。
はやい話、当欄でこの話題を取り上げること自体、非常にめんどうくさいのである。
私自身のこともそうだが、担当のY氏に負担をかける(色々なコメントが来るでしょうから)ことは、はじめからわかりきっている。
実に、めんどうくさい。
冒頭で書いた通り、私はとてもとてもうんざりしている。
こうした事情を踏まえて言えば、あえて面倒な事柄に対して一言だけでも感想を述べたNHK_PRの中の人の姿勢は、賞賛されてしかるべきものだ。少なくとも私個人は彼(彼女かもしれないが)をほめてあげたいと思っている。
が、こうやって、賞賛することさえ、リスクと無縁ではない。
NHK_PRの件の発言に対して、
「NHK中央番組審議会委員の××です。勇気ある発言、素晴らしいです。NHKがゆえに色々と言われることもあろうと思いますが、外圧を恐れず発信していって下さい。審議会では徹底サポートで助太刀します。」
と、自分の名前と身分を明かしたリプライ(ツイッター上で、特定の発言に対してコメントすること)を書き込んだある人物は、個人情報を公開されるなどひどい被害を受けている。
私が次の標的にならないか心配してくれる読者もいるかもしれないが、心配にはおよばない。
たぶん大丈夫だと思う。
ネット牛若丸なのでね。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20130221/244049/?leaf_rcmd
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK144掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。