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日本一新運動」の原点ー150 :ぐう、ちゃんの一言!!
日本一新の会・代表 平野貞夫妙観
来たる3月7日㈭午後6時30分から、池袋の豊島公会堂で『小沢一郎議員の無罪判決確定報告』と『石川知裕、大久保隆規、池田光智秘書の無罪を勝ちとる国民大集会』が開かれることになりました。
小沢一郎・生活の党代表の出席が予定されています。これまでの国民の皆様のご支援へのお礼の挨拶と、これからの活動についてお話しがあると思います。、万障お繰り合わせの上、お仲間をお誘いあわせて、多くの方々のご参加をお願いします。
○ 政治家小沢一郎を考える!
(旧体制の標的となった政治家・小沢一郎)
ここ3年8ヶ月続いた小沢さんの政治資金をめぐる捜査と裁判は、法治国家や民主主義国家ではあり得ないできごとであった。政権交代への国民の要望が大きくなり、次期首相の可能性が最も高い野党第一党である民主党小沢代表を、なんの証拠もなく強制捜査する国家権力がこの日本国に存在したのだ。わが国では、憲法の基本的人権や国民主権は机上の空論であったことが露呈したのだ。
巨大メディアはこぞって国家権力を煽り、国家権力は証拠を挙げられないと証拠の偽造までやったのだ。より大きな問題は、政権交代を果たした民主党である。菅民主党政権では「小沢を排除すれば支持率が上がる」という一部マスコミの虚言にのって小沢氏攻撃に荷担した。政権交代を成し遂げた最大の功労者を、党内抗争で自己の政権維持に利用しようとする異常な権力者たちに、真っ当な政治ができるはずはない。その結果が総選挙による民主党の事実上の惨敗だ。
||<#FFFFFF' style='font-size:12pt;color:#000000'この3年8ヶ月、小沢さんに政治活動の自由はなかった。それは政治家にとって地獄にいる思いであったと思う。ところが本人は「これは私個人の問題ではない。日本の民主主義の問題である。天命に遊ぶ心境だ」と、平然としていた。状況からいえば、旧体制の総攻撃に政治生命を失う可能性もあった。何故「小沢排除」が行われたのか、小沢さんと大下英治さんの問答が参考になる。||
(サンデー毎日・2月24日号)
○ 大下 安倍自民党の成長戦略に対する、生活の党・小沢一郎は日本をどう成長させるのか。
○ 小沢 みんな談合体質なんです。それを裁ち切って打ち壊さなきゃ日本はうまく行かない。
○ 大下 その談合体質にメスを入れるという立場からいえば、邪魔者≠ノされたという認識はありますか。
○ 小沢 僕は旧体制の人たちにとって完全な標的ですよ。
小沢さんの政治信条「談合体質を裁ち切る」は、昭和44年の国政参加以来、一貫した主張である。また、小沢さんは週間ポスト3月1日号で、自民党を離党して20年間、目標とする健全な議会民主政治の定着ができないことについて、自分にも責任があるが「旧体制の恨みと反撃が強かった」と語っている。
(朝日新聞東京本社元編集局長・冨森叡児氏の小沢一郎論)
「日本政治の談合体質を裁ち切る」という問題は、自・社55年体制の末期、米ソ冷戦終結の平成時代になって重要政治課題となった。平成17年に朝日新聞社から『昭和―戦争と天皇と三島由紀夫』(現・朝日文庫版)が刊行されている。その中に保阪正康氏(ノンフィクション作家)と冨森元朝日新聞編集局長との対談がある。「戦後日本を動かした政治家たち」の章に、「55年体制を終焉に導いた男」の項がある。ここにある「小沢一郎論」を要約して紹介しておく。
○ 保坂 戦後政治の変革として、自・社による55年体制の終焉期ですが、自民党が政権を失っていく原因のひとつとして、小沢さんたちが自民党を出て行くということがある。それと田中角栄的発想の政治家というのは、相関関係があるんですか。
○ 冨森 小沢さんは田中さんのもっとも薫陶を受けた政治家です。だが、当の小沢さんは日本の政治というものをきわめて冷静に見る眼をもっていた。小沢さんの優れているところは、「この田中的政治手法で土建国家体制(談合政治の意)を続けていたら、日本は必ず行き詰まる。これを変えなければいけない」と考えた点です。そのためには派閥中心の中選挙区制から小選挙区制に改めることで、自民党再編を考えた。政・官・財の三角同盟、つまり利益誘導型政治の温床である中選挙区制をまず変える。経済政策では規制緩和をやる。同時に行政改革も進め、国家としての構造改革を断行し、日本を変えていくという筋道を小沢さんは考える。彼の先見性には大変なものがある。小沢さんは土建政治にドップリつかって儲けようという発想はなかった。
○ 保坂 八派連合による細川内閣の成立で、五五年体制が終わるわけですが、やはり主役は小沢さんだったんですか。
○ 冨森 小沢さんがいなかったら、絶体に細川内閣は成立しなかった。平成5年当時、宮沢首相に政治改革、小選挙区制の導入を迫った。宮沢さんは梶山幹事長を筆頭とする反対勢力を押さえることができない。小沢さんたちが宮沢内閣不信任案に同調した。羽田さんは「いまの55年体制では自民党の将来はないぞ」と小沢さんに同調し、当時の自民党の多くの若手が共鳴して離党する。選挙で自民党が過半数を割ると、小沢さんは非自民8会派の説得に動いた。みんながどうしてよいか分からない時に小沢さんがまとめあげた。非凡な手腕です。1980年代、中曽根首相は55年体制が行き詰まっていることがわかり、改革の必要性を感じていた。それは、55年体制を温存・維持しながら改革していく体制内改革だった。JR・NTT・JTなどの民営化路線だ。もっと先へ進んで行政改革、税財政改革、規制緩和など必要だったが、中曽根さんには限界があった。竹下首相が消費税を導入して税制改革の一部を実行した。小沢さんはこの動きを観察していた。「これではまだ不十分だ。日本の政治の根本を変えるには55年体制を壊さなきゃいけない。中選挙区をなくさなきゃいけない」と考えた。中曽根康弘と小沢一郎の違いはそこだ。いま小沢さんは民主党にいてパッとしません。彼は、人への包容力に欠けるところがある。天は二物を与えずということでしょうか。先を見る力は非常に優れているんですが、とても惜しい気がします。
当時、真面目な有識者の常識的な「小沢一郎論」である。最後の部分には誤解があり、文句を言いたいところだが冨森氏の意見として承っておく。
(小沢排除の背景にある憲法政治の否定)
冨森氏が小沢さんを論じた『昭和―戦争と天皇と三島由紀夫』が刊行されたのは平成17年12月である。この時期、冨森氏のような「小沢論」は珍しくない。自・社55年体制を壊した怨念も残っていたが、国民の中には小沢さんの政治への先見性と非凡な手腕に期待する声が多くあった。
小沢さんは平成18年4月、偽メール事件の責任で辞めた前原民主党代表の後継として、民主党再生に着手する。千葉県7区の衆議院補欠選挙の奇跡的勝利を皮切りに、平成19年7月の逆転の夏≠ニ銘打った参議院選挙に圧勝し、野党が多数という逆転現象をつくる。「政治は生活・国民の生活が第一」の小沢ドクトリンが有権者の心を掴み、次期総選挙での政権交代が確実視されるようになる。
一方、自民党は平成18年9月に、小泉首相が辞め安倍晋三氏が後継となる。安倍首相は参議院選挙後も居座ったが、健康上の理由で辞め、福田康夫首相に代わる。福田首相も「ねじれ国会」に対応できず政権を放棄し、麻生太郎首相に代わる。自民党は2年の間に三人の首相のたらい回しを行い、国民から批判を受ける。麻生政権は「政権交代の阻止」が最大の目的であり、月刊誌で一旦は宣言した解散の時期に苦慮する。衆議院議員の任期が半年余りの平成21年9月に迫った3月3日、東京地検特捜部は証拠もなく大久保秘書を政治資金規正法の虚偽記載で逮捕した。小沢民主党代表をめぐる政治資金問題の捜査に着手したのだ。捜査が始まるや巨大メディアは一斉に、小沢代表を犯罪者扱いとして報道した。残念なことに、議会民主政治の崩壊に気付く議員はごく少数であった。
「小沢排除」は、自民党政権が「政権交代阻止」のために仕掛け、菅民主党政権が「政権維持」のために利用するという、憲法政治では想定できない背景があった。日本に真のデモクラシーを確立させるためにも、「小沢排除」の背景を検証する必要がある。
※上記、「日本一新運動」の原点ー150よりの「転載」
平野氏の論説では(旧体制の標的)にされたとあるが、そこには蔭では米国の後押しがあることも明らかになっている。情けないのがそのようなことで加担している。政治家であり政党である。そのような政党、政治家を選んでいるのが国民である。誠に情けないことである。今のマスゴミはメディアコントロール(情報操作)して報道している。信用できないのである。大勝した自民党はもはや国民を騙して、TPP参加を表明したではないか、決して信用してはならないのである。国民よもっとしっかりせよと言いたい。
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