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2013年02月26日 永田町異聞
総選挙では、膨大な農業票をあてこんで、いかにもTPP交渉参加に反対であるかのごとくふるまい、政権をとるや、手のひらを返すように玉虫色の日米共同声明を出して、「聖域なき関税撤廃が前提でないことが明確になった」と芝居じみた宣言のもと、TPPを進めようとする。
この欺瞞に満ちた安倍外交について「首相の姿勢を評価する」(朝日)、「満額回答」(産経)などと、大メディアはこぞって歓迎し、財界と農協の意見を前面に押し出して、いかにも自由貿易か、農業保護か、という単純な問題であるかのような印象をふりまいている。
TPPというのは、「自由」という名の「縛り」であるという側面について、しっかり伝えている記事にはほとんどお目にかからない。
多国間の関税や非関税障壁を撤廃する新ルールを設ける。その代わりに、各国がその文化、社会、精神的伝統を土台に長年かかってつくり上げてきた独自ルールを捨てることになるかもしれない。それは、国の政策的自主性、自由度を犠牲にするに等しい。
別の表現をするなら、世界をまたにかけてマネーを追い求める企業のために、その邪魔になる壁は取り払おうという合意でもある。
大メディアは、経済を成長軌道に乗せるのにTPP参加が必要であり、そのためには国内の規制改革にともなう一時的な痛みを甘受すべきだと主張する。しかし、新ルールづくりは、アメリカンスタンダードに近づけてゆく作業であるに違いない。
医療分野について考えてみよう。日本医師会も農協と同じで、既得権を死守しようとする集団であり、国のかたちを変革し時代に適応しようとするムーブメントに逆行する存在として筆者はつねに批判的に書いてきたが、下手をすれば世界に誇る国民皆保険制度が崩壊するのではないかという危惧においては、同感である。
そもそも昨今の「医療崩壊」といわれる状況をつくり出した元凶は、小泉政権の米国追随、新自由主義的政策による医療制度改革といっていいだろう。
小泉政権は2003年からサラリーマンの医療費自己負担率を2割から3割に引き上げ、算定方式も月収ベースから賞与込みの年収ベースに変更した。そして、06年には高額療養費の自己負担限度額を引き上げた。
その一方で、小泉政権は病院や開業医に対する診療報酬を大幅に引き下げたため、地方の病院を中心に経営が急速に悪化、閉院が相次いだ。同時に断行された臨床医研修制度改革により、従来は大学の医局によって配属先の病院を決められていた研修医が自由に病院を選択できるようになった。
結果として、大都市圏の先端医療設備を有する病院に若手医師が集中し、地方の大学病院や公立病院では医師不足が社会問題化した。
その影響で医療現場は過酷さを極め、医療訴訟の増加で産科、小児科、脳外科医の医師たちが現場から立ち去るケースが目立ち始めた。
医師の偏在により、大都市と地方の医療格差が広がり、エスカレートする人手不足によってますます医療ミスが起きやすくなるという悪循環を招いている。
このうえに、米国が要求する株式会社の医療参入、混合診療の解禁を認めたら、国民がほぼ同水準の医療の恩恵に浴し、かろうじて保ってきた社会の安定はそれこそ一気に崩れ落ちる危険性がある。
小泉ー竹中改革が、米国から毎年突きつけられる年次改革要望書に沿って行われ、その代表例が郵政民営化であったことは今や多くの国民が知るところとなった。
郵政民営化で特に狙われたのが簡保であり、米政府、議会の背後で強力なロビー活動をしていたのが米保険業界であった。
高齢者を中心に患者の治療費自己負担率を引き上げることに力点が置かれた小泉医療改革において、もっともその実現を渇望していたのが米保険業界だったことは明らかだ。
小泉首相直属の規制改革・民間開放推進会議の理論構築を担っていた八代尚宏は著書「規制改革」のなかで、「患者の自己負担率が高まれば…自己負担分をカバーするための民間保険が登場する」と書いている。
米国の病院ビジネスから見ると、高所得者の多い日本は魅力的な市場だが、いまの制度のままでは儲からない。
そこで当然、米国は株式会社の参入とともに、日本で禁止されている混合診療の解禁を求めてくることは疑いようがない。
混合診療とは、保険の適用範囲分は健康保険で賄い、範囲外の分を患者自身が支払うシステムだ。
日本の現行の制度では、保険適用の一般的な診療か、適用外の自由診療かの、どちらかしかない。もし、患者から保険適用外の費用を徴収する場合は、初診にさかのぼり全てを自由診療として、全額患者負担としなければならない。
もともと小泉規制改革で持ち上がった混合診療には、保険外診療の枠を広げる、すなわち患者の自己負担を拡大して、国の負担を大幅に減らそうという魂胆があった。しかし、それは日本の財政問題であると同時に、米国の医療、保険業界の狙いとも一致していた。
株式会社が病院を経営するというだけなら、形式的に非営利というだけの医療法人の場合と、儲けの度合いにおいてはさしたる変わりはない。
問題は混合診療であり、それが認められてこそ、高所得者向けの医療に特化することができる。米国の思惑はそこにある。
逆に、金持ちを除く日本国民からみれば、混合診療の解禁により、政府が財政難を理由に、保険給付範囲の線引きを見直すのではないかという不安がある。
今は健康保険で賄っている医療費までも、「保険外」となるかもしれず、おカネのない人は、ある人に比べて受けられる医療が著しく制限される可能性がある。
従来から米国は日本政府に次のような要求をしてきている。
「病院経営に対する株式会社の参入拡大が必要だ。構造改革特区制度で株式会社の参入が可能となっているが、その範囲は非常に限定的であり、実施の条件を緩和し、日本の構造改革特区制度を一層拡大するよう提言する」「混合診療の解禁、ドラッグラグの縮小などを求める」…。
混合診療、株式会社の参入、ドラッグラグの縮小。これらの要求から、米国の医療、保険、製薬業界などから米議会、政府を通して働きかけられる強い対日圧力が伝わってくる。
さてここで米側要求に頻繁に出てくる「構造改革特区」について説明するために、もう一人の重要人物に登場願わなければならない。橋本内閣から小泉内閣にかけ約10年間にわたりこの国の規制改革の推進役を担ってきたオリックスの総帥、宮内義彦だ。
04年10月、小泉政権が構造改革の一環として成立させた改正構造改革特区法が施行され、神奈川県は05年5月に株式会社が病院を開設できるよう特区を申請した。
そして誕生したのが高度美容医療を専門とする「セルポートクリニック横浜」という病院で、それを経営する(株)バイオマスターという医療ベンチャーには、オリックスや三菱UFJ、日本生命の投資会社が主要株主として名を連ねている。
ただし、混合診療は特区でも認められておらず、このクリニックの業務は、先端技術を駆使した乳房再生やシワ取りなど自由診療分野に限定されている。
その意味では、宮内にとって十分満足できるほどではなかったにせよ、株式会社医療機関が開業できる特区の設置は、一歩前進ではあっただろう。
同時に、オリックス生命という保険会社を持ち、高額医療機器のリースなどを手がける宮内が、利害関係者でありながら国の規制緩和を推進する旗頭としての役割を同時に担っていたというのは、国民からみて胡散臭さが漂っていたことも確かである。
ところで、宮内がオリックス(前身はオリエントリース)を単なるリース会社から総合金融企業グループに成長させた原動力、M&Aはいうまでもなく米国仕込みの手法である。大が小を食ってより大きくなってゆく、マネー競争社会を絵に描いたような巨大化のプロセスは、オリックスの歩みそのものでもあった。
そういえば、「医療の質も金次第」と米国医療を評していた医師がいる。岩田健太郎。現在、神戸大教授だが、かつて米国で働いていたころに見聞した米国医療の実態を「悪魔の味方ー米国医療の現場からー」という一冊にまとめている。
米国は、公的医療保険が高齢者と貧困層にしか適用されず、それがカバーできる範囲も制限だらけである。その他の人々は民間保険に加入することになるが、おカネがなくて無保険状態の人が約4600万人に達しているのが現実だ。岩田は次のように書く(一部省略)。
◇◇◇
あるヒスパニックのエイズ患者さんが入院してきました。保険は貧困層公的保険のメディケイドしかなく、薬物中毒の既往があります。典型的な「医者に嫌われる」患者さんのパターンです。合併症を繰り返し集中治療室と一般病棟を数か月行ったり来たり。治療費は膨れ上がって、普通の人には一生かかっても
払える額ではありません。支払いは公的保険のメディケイドです。研修に来ている医学生はこういいました。「こんな患者のために私の払っている税金が使われているなんて、たまらない」
要するに、米国の人たちは、こういう気分なのでしょう、がんばって所得を得たものが、そのがんばりに報われる権利がある。
◇◇◇
アメリカ人のメンタリティの一端をあらわす話である。
さて、オバマ大統領は2010年3月、医療保険制度改革法案を成立させたが、その内容は、補助金を支給して未加入者に民間医療保険契約をさせようというもので、見方を変えれば、税金で新たに数千万人の顧客を創出して、民間保険業界を潤す政策ととらえることもできる。
医療制度改革に向けてスタートを切った当初は、公設の医療保険組織の設立を求める声が多かっただけに、いわば骨抜きの中身といえ、その実効性には疑問符がつく。実際、改革は進んでいるとは言い難い。
議会にロビー活動を展開し抜本的な医療改革を妨げてきたのは、保守的な富裕層である。先述したようなアメリカ人によく見受けられるメンタリティが作用しているのだろう。
医療において、米国は世界一の先端性を誇っている半面、その恩恵をたっぷり享受しているのはもっぱら富裕層だけであり、その他多くの国民が先進国らしからぬ医療環境に置かれているといえる。
日本には「医は仁術」「助け合い」という精神的風土があり、米国のようにはなりたくないという点で、大多数の国民の意見は一致するはずである。
新 恭 (ツイッターアカウント:aratakyo)
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