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2013年02月20日 世相を斬る あいば達也
連日になるが、今夜も小沢ネタで物議を醸すことにする。最近とみに感じることだが、どうも各種週刊誌におけるインタビューに応える小沢一郎の言を見聞きしていると、永田町と云う政治の土俵と異なる所で、小沢がひとり相撲を取っている感じがしてきた。悪い表現をするならば“独り相撲”と云うことになるのだが、筆者の観察眼によると、どうも永田町と云う土俵の上座にある土俵上で、誰とか、何処かがとか、同じ土俵に上って来る奴はいないのだろうか、と待ちわびている孤独な横綱の姿が浮かんでくる。
『なぜ、この正論が通じないのか』、『敗戦国家と雖も、戦後66年も経ったのだ。そろそろ本気で独立する気にはならないのか』、『個人が自立し、議会制民主主義の下、政治も自立する国家になろうとは思わないのか。』、『俺を信じてついてきてくれる仲間も大切だ、仲間とつくった政党も大切だ。しかし、日本の自立は、それ以上に大切だ』…そんな気分が小沢の胸に去来しても、何の不思議もない状況である。
週刊ポストの渡辺乾介とのインタビューで
≪・・・・・・
渡辺:西郷のように幕をおろすわけにはいかない?
小沢:城山(西郷が西南戦争に敗れて自決した地)には、まだちょっと早いな。
…
渡辺:しかし、あなたの政治改革の歩みは賽の河原の石積みで、積んではまた崩すという繰り返しです。
小沢:自分で崩しているつもりはないんだけれども、もう少しうまく積み上げなくちゃいけないですね。
渡辺:自民党時代にあなたの盟友だった梶山静六さんが、創政会旗揚げの時、煮え切らない竹下登さんに、「国民にも我々にも政治家に対する期待権というものがある。あなたが決断できずに、その期待権に背くようなら、私はもうこの場から去る」と言ったというエピソードがある。 今は沈殿しているかもしれないけれども、国民には滔々と流れてきた小沢一郎という政治家に対する期待権があるはずです。それにこれからどう応えるのか。 あるいは、もう期待権なんてご放免願いたいのか。
小沢:先ほどの西郷さんの話ですけれど、城山の前に中央政府とうまくいかなくなって故郷に帰った。僕も似たような気持ちはありますね。自分が先頭に立って、せっかく政権まで取ったのに、どうしようもない状況で政権まで失ってしまった。 もうばかばかしいから故郷に帰ろうという気持ちが、さっき言ったように半分くらい去来するけれど、ここで放棄したのでは、いろいろと思ってくれる皆さんを裏切ることになる。自分の政治生命、命の続く限り完成させないといけないと、気を取り直して頑張ろうと思っているところです。≫(週刊ポスト抜粋)
半分投げ出したい気分になったのは本当だろう。並の政治家程度なら西松事件を捏造された時点でアウトだったろう。その致命傷を負いながら政権交代を成し遂げ、尚且つ、その感謝されると思った党から罪人扱いされたのだから、泣きっ面に蜂もいいところである。政治理念を通そう、国民との約束を守ろうとし、必死になった結果が「敗軍の将」になったのだから、無茶苦茶についていない運命である。その敗因には、国民を裏切った民主党イコール小沢一郎の印象が最後まで尾を引いた。流石に選挙直前にドタバタを演じ、相乗効果を狙った戦術が仇となり、大惨敗を演じたのだから気分は真っ暗闇である。日本の独立に関するイデオロギー論でも語っている方が、余程楽チンでリッチになるかもしれない。
実際問題、恩を仇で返すことに、何の痛痒も感じない現在の民主党など、筆者からみる限り糞なのだが、小沢一郎の粘り腰は驚異的だ。その恩知らずの政党に塩を送る発言をするのだから、想像以上に夢は壮大だ。この粘り腰の源泉は、やはり真の日本の独立を成就したい。そして、国民の生活が第一の国家運営を成就したいと云う意志が、天文学的に激しいとしか理解のしようがない。小沢の夢が実現することを念じつつも、アベノミクスの似非景気に浮かれるマスメディアの報道を見るにつけ、日本人の自立なんてあるのだろうかと筆者などはかなり懐疑的になる。それでも国民を信じるのが小沢一郎と云う政治家なのだろう。
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