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2013年2月17日 神州の泉
世の中には“陰と陽”がある。今、なぜ“陽と陰”があると書かないかというと、本記事の中心人物が竹中平蔵氏、つまり“陰”を扱うからだ。日本経済を“デッドエンド(絶望的な死滅)”と“サバイバル(希望的な生存)”という位相でみると、前者を象徴する人物が竹中平蔵氏であり、後者を象徴する人物が植草一秀氏である。この両者は現実世界でも、世界観という表象的な部分でも、極めて異なった空間で呼吸しているが、彼らの航跡を見ると、それぞれが実に強烈な物語性を持っている。
この両者を対置関係にとらえ、小泉政権以降の日本を眺めてみることは、日本に何が起きているかを知る一つの切り口にはなると思う。この意味で“植草事件”はけっして過ぎ去った事件ではなく、今日や近未来の日本を明確に予表するできごとだったと断言できる。「予表」とは、今後の日本に二つの異なる未来が存在しているという意味を含めて使った。それは竹中平蔵氏が小泉政権下で導こうとしていた対米従属型の奴隷国家“日本”を選ぶのか、逆に植草一秀氏が志向する国民が幸福になる自律共生型“日本”を選ぶのかという二筋の道であり、そのどちらに向かうかは、国民の覚醒にかかっている。
神州の泉が植草事件にこだわるのは、小泉政権が強力に推し進めた日本社会の劇的な構造変換が、竹中平蔵氏と植草一秀氏、両者の世界観の激突として出ているからだ。この極めて異質な性格を持つ両者の大衝突は、政治経済という現実世界で生じ、その結果として植草氏は、竹中氏の属する政治勢力の走狗となった官憲によって、有無を言わさず謀略の罠に落とされた。
これを経済学でいうケインズ主義と、フリードマンに代表されるネオリベラリズムの対立構造と捉えると真実を見誤る。はっきりとは分からないが、両者の出発点はケインジアンではなく、フリードマンに属する競争原理を主軸にした市場経済学派であり、もともとは似ているスタンスに立っていたと思われる。確か植草氏はフリードマンの研究から入っているとどこかで書かれている。
竹中氏に関しては、何をベースにしたのか分らないが、言っていることは、彼方此方から継ぎ接(は)ぎでいろいろな考え方を都合よく取り込んだように見える。その意味では植草氏とは違っていて、一本通った筋が見えない。博士号取得まで、論文で、日本開発銀行での同僚による実証分析の結果を無断で使用していたとか、住民税脱税疑惑が「フライデー」誌で取り上げられるなど、胡散臭い話が付きまとっているが、何と言っても、彼が世に知られたのは、小泉政権下で行った郵政民営化で政界の独壇場に立ったことだった。国民はまったく意識していなかったが、郵政民営化計画が本格胎動し始めた2004年4月当時、竹中氏が最も敵視していた人物が植草一秀氏であった。同月、郵政民営化準備室が発足する直前に、植草氏は品川駅(手鏡)事件に見舞われている。
では、この両者が経済の旅路を歩んだ道程で、政治経済上の決定的な分水嶺がどの時期にあったのかはさておき、両者の大きな違いを素人表現で言うことはさほど難しいことでもない。単純に言えば、植草氏は国民の生活向上と幸福原理を志向しているが、竹中氏は米官業既得権益構造体の利益を最優先しているということに尽きる。竹中氏の行った反国民的な仕事は数多くあるが、例えばあるサイトをみると、規制緩和で2000年には33万人だった派遣社員が、2008年には140万人になるという悪夢の現実を招いて、非正規労働者は労働者全体の3分の1を占めるまでに至った。
この比率は今もどんどん増加している。年収200万円以下のワーキングプアは1000万人を超え、世界金融危機では派遣労働者が真っ先にクビにされたという。正規労働者から非正規労働者への劇的な政策転換と、郵政民営化を中心とした、いわゆる“年次改革要望書”のための構造改革や規制緩和は、竹中平蔵氏がもたらした二大悪果だと思うが、その他に、植草一秀氏だけが見抜いたりそなインサイダー疑惑も、外資による日本の優良資産買いを加速し、米国のイラク侵攻の戦費に使われた。
この時期の銀行に対する自己資本比率の意図的な網掛けも竹中氏が主導した。国民国家にとって、小泉政権の罪過とは竹中平蔵氏の罪過でもある。国民が多分、理解していないことは、小泉・竹中路線が「政官業トライアングル」の癒着利権構造を糺すと言いながら、彼らが行ったことは旧田中派経世会の完全壊滅であったことだ。この結果、既得権益の弊害是正よりも、新たに「米官業トライアングル」という、より悪質で桁違いに破壊的な既得権益構造体ができあがったのである。アメリカにとっては旧田中派が有していたケインズ学派的な要素が邪魔だった。旧田中派は政官業癒着という悪弊を有しながらも、国民中流階層への公平配分を担保していたが、これをぶち壊すことがアメリカの当面の目的であった。小泉氏と竹中氏はこの要望を実行した。
国富が国内を還流している間は、たとえ既得権益に傾斜配分が起きてもそれは国内に留まるが、国外流出を起こせば、これは大規模で恒久的な搾取構造と何ら変わるところがない。小泉政権の最大の罪は、アメリカのエクソンフロリオ条項のように、外資導入に当たっての防衛措置が講じられなかったことにある。これは皮肉ではなく、小泉・竹中路線とは、むしろ外資を無条件に引き入れて、日本からの金融簒奪を欲しいままに行わせることが目的の政権だったことになる。
京急事件の12日前、神保哲生氏が主宰するネット・ビデオ番組で神保氏は植草氏が次のように語ったと書いている。
『小泉政治にはより大きな罪があり、それは、「構造改革」の名のもとに行った様々な制度改革はその内実をよく見てみると、これまで日本政治を支配してきた旧田中派の建設・運輸関連と郵政関連の利権を破壊し、それを小泉氏自身の出身母体となっている財務・金融利権へと塗り替えただけでのものに過ぎないと語ったのだ。そこには国民の生活をよりよくするなどの「国民の側に立った視点」は皆無だった。しかも、その「利権の移動」を、アメリカの後ろ盾で行いながら、アメリカのファンドなどにはしっかりと稼がせているという。これが、植草氏が、小泉改革を「売国奴的」とまで呼んで酷評する最大の理由だ。』
植草氏は京急事件の直前に小泉・竹中構造改革はアメリカの後ろ盾の中で、旧田中派の利権を財務・金融利権に移し替えたと言っているが、これは大きな意味で、米国への国富移転をも意味している。このとき、「(政)官業」から(「米)官業」へ、「政治」が「米国」に組み変わったということではなく、日本の政治が完全に米国(国際金融資本)に吸収されたことを示す。
このような背景を経て、非正規労働者の急激な増大と富裕層への傾斜配分という状況が構造化されつつある。人々は景況感が悪化したとか、好転したとか、停滞したとかいう表現を行うが、米系資本が日本の企業群の経営権を掌握し、本来は労働者賃金に回るべきお金が、内部留保金と株主に傾斜配分される中にあっては、事実上、底辺層の大多数日本人は搾取されるだけの奴隷階層に向かっている。景況感どころではなく、我が国は貧民国家になりかけている。この状況を計画的に具現化した張本人が竹中平蔵氏なのである。
歴史に「if」は御法度だと言われるが、われわれは悪夢の小泉政権が始動する前に、国益と国民生活を命懸けで守る人物を宰相とし、竹中平蔵氏の代わりに植草一秀氏を総務大臣、財務大臣、金融担当大臣にしておくべきだったとつくづく思う。経済政策は植草氏に任せればいいのである。そうすれば日本は全く違った希望の轍を刻んでいたはずである。しかし、現実は小泉純一郎氏が宰相となり、竹中氏が経済政策の旗幟(きし)を振るという最悪のコースをたどった。竹中平蔵氏の『政策』によって暗転した日本の状況は枚挙にいとまがない。
今、白川日銀総裁が退陣を決めて、後任人事が浮上しているが、一旦はメディアから消えていた竹中平蔵氏の日銀総裁後釜論が再び出てきている。長くなったので別記事に書くが、竹中氏が始めた“世界塾”のスローガンを見ると、これが安倍晋三氏がイメージする日銀総裁の資格・要件とダブって見えてくる。現今の竹中氏が何を言おうとも、この人物が行った悪行を俯瞰すると、けっして政治に関与させてはならないと思っているのは、神州の泉だけではないだろう。それも、金融の拠点で最高ポストに就くなど悪夢以外の何物でもない。日本を転覆寸前まで導いた人物なのである。
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