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石原氏も橋下氏も嫌いな人というわけではないのだが、テレビや雑誌で私的に語っていて欲しいと思う。
尖閣諸島の実効支配も、日本の対中ポジショニングも、強化されるどころか逆に弱体化し、さらには甚大な経済的損失を日本にもたらす端緒となった「尖閣諸島東京都購入計画」をぶち上げた石原氏が、“落とし前”として都知事を辞めながら国会議員に当選し、またまた、おかしな発言に精を出している。
私は、強制と人身管理がない自主的な商売としての売春を国家が取り締まるべきではないという立場である。
しかし、石原氏の「ああいう貧しい時代には売春は非常に利益のある商売だった。貧しい人たちは仕方なしに、しかし決して嫌々でなしにあの商売を選んだ」という“解説”には反吐を催す。
それは、昭和初期において、凶作や親の没落をしのぐために、娘が年限付きで身売りされ、売春に従事させれる事態を国家が是正しなかったことを貧困な政治だと考えるからである。悪く言えば、当時の政府は、貧乏人の娘が身売りする構造を温存したかったのである。
石原氏の「決して嫌々でなしに」に注釈を付ければ、親や弟・妹のためなら、そして、他に手立てがないのなら、私のこの身を売ってもかまわないという“けなげな”思いであろう。
橋下氏も、河野談話について、「証拠に基づかない内容で最悪だ。日韓関係をこじらせる最大の元凶だ」と批判しているが、この問題を戦後すぐに調査していればより詳細に事実関係が把握できたであろうが、政府が臭い物に蓋という態度を続けた(韓国政府も日本の支援を必要としたので問題を棚上げした)ため、こじれているのである。
記事にした産経新聞が意図的に外しているのかどうかわからないが、「強制連行を示す資料はない」の強制連行の主体は旧日本軍である。
河野談話は、軍の関与を認めているが、朝鮮半島で軍が慰安婦を強制連行したとは言っていない。問題は、強制連行というより、詐術的な募集や過酷な管理状況(戦地での放置を含む)なのである。
韓国政府や元従軍慰安婦関係者の多くは、日本軍にムリヤリ連れて行かれて性的業務に従事させられたと主張しているワケではない。
100万人を超える兵士を中国に駐留させ慰安婦の不足に悩む日本軍が、慰安所施設の拡充を要請したことで、女衒が半島で調達に動いたというものである。
女衒が日本軍に帯同して売春をする仕事ときちんと説明して募集し、相手もそれを知りながら契約が成立したのなら、石原氏も橋下氏も、少しは偉そうに振る舞えるだろう。
しかし、別の仕事であるかのような詐術を使ったり、官憲が地域のオサに人数を割り当て調達を強いるようなことをしていたのなら、今となっては頭を低くして謝るほかないのである。
そして、それこそが、現在そして将来の多くの日本人(なかにはいやという人もいるだろうが)のためでもある。
『ニューズウィーク日本版2013−2・12』に、冷泉彰彦(在米ジャーナリスト)の「国益損なう「河野談話」見直し」という論考が掲載されている。
モダニズムながらバランスの取れた内容だと思うので参考にしていただきたい。
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『ニューズウィーク日本版2013−2・12』
P.34・35
「国益損なう「河野談話」見直し
歴史認識:従軍慰安婦問題で「軍の強制連行」を否定しても日本の名誉回復にはならないし、さらなる誤解を招くだけだ
冷泉彰彦(在米ジャーナリスト)
安倍政権は、いわゆる従軍慰安婦問題に関して「慰安婦の募集は本人たちの意思に反して行われる事例もあった」と、旧日本軍による強制性を認めた「河野談話」を見直すことを検討している。この報道について、アメリカの政界やジャーナリストの問で関心が高まっている。
この間題の事実関係について私は、日本政府の調査で軍の強制連行を立証する物的証拠が見つからなかったことなどから、「軍による強制連行はなかった」と考えている。しかし、問題の河野談話を訂正すればいいかというと、それは簡単ではない。この点に関しては、アメリカ側と根本的な2つの認識ギャップがあり、注意深い議論をしないと、日本の国益を大きく損なう危険があるからだ。
第1の認識ギャップは、「軍による強制連行はなかった」と訂正できたとしても、まったく日本の名誉回復にはならないということだ。
ひとことで言えば「強制連行はしなかったが、管理売春目的の人身売買は行っていた」と訂月正することは、旧軍の名誉にもならないばかりか、そのように主張することで、21世紀の現在の日本という国の名誉を著しく損なうことになる。日本は現在形で「女性の人権に理解がない国」だという烙印を押されてしまうからだ。
仮にそうであつても、「強制連行の事実」さえ否定できれば、「性奴隷(sex slave)」であるとか、軍人による「強姦(rape)」という汚名は晴らすことはできる―河野談話見直しの主張の背景にはそのような意図があると考えられる。だが、それも誤解だ。
というのは、性奴隷とか強姦という言葉について、「狭義のそれには当たらない」ということが言いたくても、欧米諸国が理解するのは難しいからだ。現在の世界的な人権の感覚からすれば、「本人の意に反して家族の借金を背負って売春業者に身売りされ、業者の財産権保護の立場から身柄を事実上拘束されている女性」というのは「性奴隷」以外の何物でもない。
また「本人としては不本意ながら売春行為を事実上強要され、一晩に多くの男性の相手をさせられた」ということは、「強姦」のカテゴリーに入る。
慰安婦問題において、「狭義の強制はありませんでした。でも広義の強制はありました」。
この訂正が「名誉回復になる」という考えは、人身売買に類する売春制度への怒りを通じて女性の人権と尊厳を擁護する立場に立つ、今の世界の一般的な価値観を真っ向から否定することにほかならない。
こうした論点に関しては、「米軍も日本の占領に当たっては売春婦を用意させた」とか「ベトナム戦争に参戦した韓国軍も似たような行為をした」など「20世紀の後半になってもほかに例があるではないか」という反論も多く見られる。だが、ここにも誤解がある。
「広義の強要」を静めるのか
というのは、ここで挙げたアメリカや韓国の事例に関しては「軍や政府の公的な行為としては、歴史として表面化させてはいない」のだ。当時の公文書を発掘すれば何らかの事実が出てくるだろうが、米軍が日本占領時に米兵相手の性的な歓楽サービスを要求したということは現在進行形の問題として、「表の歴史」として扱われてはいない。
これに対して、日本での慰安婦問題に関する論調にある「狭義の強制連行はなかった」という主張は、裏を返せば21世紀の現在において「当時の法制や慣行に則した広義の強要はあった」ということであり、要するに「公式にやっていたと堂々と認める」ことになる。
もちろん、アメリカや韓国による「歴史の恥部隠し」を不誠実だと批判することはできる。だが、だからといって日本が「広義の強要」を堂々と認めるとしたら、これは大変に異様なことだ。20世紀に起きた「交戦地帯における兵士相手の管理売春の強要」を21世紀の国連加盟国の政府が「狭義の強要よりは反道徳的ではない」と主張する。それも「大っぴら」に主張するというのであれば、アメリカの世論がそれを理解する可能性は限りなくゼロに近いと考えるべきだろう。
第2の認識ギャップは、アメリカは「なぜ日本の世論の一部が、戦前の問題の名誉回復をしたがるのか分からない」という問題だ。
アメリカは、戦前の日本と戦後の日本は「まったく別のもの」だという理解を、政府としても、世論としても当然のことだと考えている。そのために、75年の昭和天皇の訪米も、94年の今上天皇の訪米も成功であった。朗年代には「日本異質論」もあったが、現在はそれも消えて「クールジャパン」に代表される日本カルチャーの人気は、日本人が想像する以上に根強い。
例えば昨年公開された大作アクション映画『バトルシップ』では、日本の海上自衛隊が米海軍と一緒にエイリアンと戦う設定がある。つまり日本の自衛隊は「善玉」という扱いだ。映画そのものは荒唐無稽なSFという批判も浴びたが、自衛隊に日本の旧軍のイメージを重ねて非難するような論調は、ほとんど見られなかった。
それもこれも戦後の日本は「戦前とは違う」という一点の曇りもない信頼と親近感ゆえだ。にもかかわらず、その戦後の日本人の一部が「戦前の旧軍の名誉」に過度にこだわるのは、政治的に賛成反対の以前の問題としてまったくぴんとこない。
それでも、どうしても河野談話の見直しをしたいというのなら1つだけ方法がある。それは「狭義の強制連行や強要はなかった」という事実関係を訂正するのと同時に、これとバランスを取るべく、現代の価値観に照らして、「広義の強制」 つまり「事実上の人身売買であった管理売春が、派遣軍に帯同される形で行われていた」という事実について、その反道徳性を厳しく批判することだ。
認識ギャップを埋める姿勢を
これに加えて、現代の日本は女性の人権という問題に極めて真剣に取り組んでいくとい、う宣言を行う必要がある。女性の人権という点では、日本は実はさまざまな問題を抱え、先進国だけでなく中国をはじめとする新興国との比較でも決して十分とは言えないのが実情だ。
とにかく、ここでは高らかに女性の人権の尊重をうたい上げるべきだ。また宣言だけでなく、風俗産業の「人身取引」行為を厳しく取り締まり、被害女性の救済などに注力することも求められるだろう。
ここまで「仮にそうしたいのなら」というような持って回った言い方をしてきたが、こうした表現でも分かるように、私は談話の訂正には消極的な立場だ。それは「事実誤認を放置するほうが、問題を蒸し返すデメリットよりまし」という計算だけではない。
アメリカの政治的な環境が変化しているという理由もある。アメリカでは今年1月に新議会が開会した。この第113議会では女性議員の進出が目覚ましく、上院では定員100名中20名、下院は定員435名中指名が女性という史上最高の人数となっている。間違っても河野談話の取り扱いを誤って、現在の日本という国そのものが「女性の人権の敵」として、米議会のターゲットにされるようなことがあってはならない。
安倍晋三首相は07年の第1次安倍内閣当時、米メディアから慰安婦問題で「訪米前の謝罪」に追い込まれたが、日本の世論向けには取りあえず「オモテとウラ」の使い分けをして乗り切った。今月予定されている訪米では、そのような動揺を見せることなく、まずは国内外の認識ギャップを正確に理解し、その「ギャップ」を埋める姿勢を見せてもらいたい。」
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