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2013年02月15日 「ジャーナリスト同盟」通信
<「週刊誌はいい加減」と安倍首相>
2月14日に大型バラマキ補正予算が衆院を通過した。記憶に間違いがなければ、先日の衆院予算委員会で過去の女性問題を「週刊新潮」に暴かれて、復興政務官を更迭した徳田毅について、安倍首相が感想を求められる場面があった。「謙虚な国会運営」を公約した内閣であった。お詫びをするのかと思っていたら、なんと開き直った。「週刊誌はいい加減なことを書くものだ」と決めつけたのだ。責任は週刊誌記事にある、と言い切ったのである。
<特ダネは週刊誌の独壇場>
これには驚いた。謙虚どころの話ではない。傲慢な総理を演じている。早くも極右政治屋の本領を発揮した格好のように見えてくる。大事な予算委員会の最中、2度も便所に飛び込んだという。持病の再発と騒がれている。ストレスからの暴言なのか。
週刊誌を弁護するつもりはないが、このところ新聞テレビの報道が劣化している。そのせいか政界関連の特ダネは、もっぱら週刊誌である。週刊誌が活躍する時代でもあろう。
政治屋にとって週刊誌が一番こわい存在だ。週刊誌が、わずかにジャーナリズムの片燐を見せつけている。それを「いい加減な記事を書く週刊誌」と日本の代表が決めつけたのだ。嘘を書いて商売をしている週刊誌とのレッテルをはったのだ。ごろつきと断じたのであろう。
以前、小沢一郎が朝日新聞をこき下ろしたことがあった。現在なら真っ当な評価だったのかもしれない。今こそ週刊誌に活躍してもらわないと、国民は目を塞がれている状態に置かれている。さらなる週刊誌の奮闘を期待したい。
<新聞テレビは官邸の傘下>
今から40年前、佐藤栄作首相の退陣会見が官邸記者会見場で開かれたさい、彼は「新聞記者は出ていけ。テレビに話す」という大変な場面があった。あるいは田中角栄首相が担当記者に向かって「君らはわしが社の幹部に口を聞けば、いつでも飛ばすことが出来る」というような言動を吐いたことがある。
佐藤は7年8か月の最長期政権、田中はブルドーザーと言われていた実力者だ。安倍は?
「新聞テレビは官邸の言うままの広報宣伝をしてくれる。お陰で支持率は上がっている」と思っているのかもしれない。人間は傲慢になると、目の前の落とし穴が見えなくなるものだ。
<「総理の靖国参拝が楽しみ」と自民政調会長>
そんな傲慢首相に側近の松下政経塾出身の自民党政調会長が「総理の靖国参拝が今から楽しみだ」と発言した。2月5日のことである。
本人も周辺も浮かれだしている証拠だ。靖国参拝問題は、尖閣問題をさらに悪化させる要因だ。韓国や中国の猛反発が予想される深刻な問題である。
かつて小泉純一郎の靖国参拝をそばから煽っていた安倍である。今は安倍が側近から煽られている。このことからしても、この政権が異様な体質であることが容易にわかるだろう。
<衆議院議長が高市をしかる>
高市は、知る人ぞ知る国粋主義に凝り固まっている人物で有名だ。安倍とは派長がぴったりと合っている。それゆえの起用である。
これに14日の二階派の総会で伊吹衆院議長が「政権与党の幹部として軽率すぎる」と激怒する発言が飛び出した。
日本の経済界は、日中貿易の激減で青息吐息の状態が続いている。伊吹は経済界の不安を代弁したものだろう。彼は親中派ではないのだから。与党の政策責任者の暴言に、必死で日中間の関係をとりもっている公明党は、拍手しているだろう。
<河野―朴会談で歴史を直視>
日本の政治家に限らないのかもしれない。現役を卒業すると、発言も常識の線に戻るものだ。河野元衆議院議長が、韓国の朴次期大統領と会談した。
河野は宇都宮徳馬を尊敬した人物だから、まぎれもない親中派である。歴史を直視するアジア派だ。韓国での講演の機会を利用しての出会いである。安倍の大統領就任式典を断った韓国次期大統領は、河野との出会いに満足して見せた。
両者は「歴史を直視して過去から学ぼう」との意見で一致した。河野は宮澤内閣の官房長官時代、重大事件の従軍慰安婦問題について真摯に反省と謝罪をした河野談話の張本人でもある。
ただ残念なことは、彼は小泉靖国参拝時の議長として、これに釘を刺そうとしなかった点である。
<鳩山元首相が南京大虐殺記念館に感謝文>
同じく現役を引退した鳩山由紀夫元首相は、1月17日に南京大虐殺記念館を訪問、そこで日本軍の蛮行に対して深く謝罪した。勇気ある鳩山の行動に感銘を覚えた筆者である。筆者が記念館を訪問したのは89年5月、天安門事件の直前だった。
歴史を学んでいなかった筆者は、本当に衝撃を受けてしまった。帰国後に宇都宮が発刊していた「軍縮問題資料」に発表した。95年に50人の仲間を集めて再度訪問した。
思い起こせば、宇都宮は鳩山の弟・邦夫を日中の懸け橋の役目を担わせようとして、日中友好協会の東京の責任者にした。当時、由紀夫は政界に出ていなかったこともある。邦夫の若いころは、河野の側近として浮上したのだが、いつの間にか方向は右にぶれてしまった。当初は田中角栄の書生として、筆者の先輩・早坂茂三が面倒を見ていた。
何があったのか。筆者に「僕は改憲派」と告げる場面があった。改憲派に本物の親中派はいない。彼は先日、亡くなった母親の遺産もある。ブリジストンの大株主でもある。金に困らない。それでいて、どうしてリベラルの立場を放棄したのか。
今もわからない。
由紀夫は南京訪問後に朱成山館長に長文の手紙を書いた。館長はずっと南京大虐殺記念館と共に自らの歴史を刻んで生きてきた人物だ。館長は鳩山親書を公開した。人民日報日本語版のネットに掲載された。筆者も95年の訪問時、鉄道労組が中国に注文して作った憲法9条を印刷したTシャツを、朱館長に記念として贈呈したさいに会見した。南京のあと盧溝橋の抗日戦争記念館にも足を向けた。
日中友好派は盧溝橋と南京を訪問すべきだろう。野中広務も南京を訪問している。前中国大使は、南京を訪問しながら記念館に行かなかった。
アジアの平和と安定の基礎は日中友好にある。この原理が変わることなど無いだろう。リベラルな政権誕生が、日本とアジアにとってもっとも大事なことなのである。
2013年2月15日8時10分記
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