http://www.asyura2.com/13/senkyo143/msg/764.html
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乃依さん、お久しぶりです。
次に示す二つの投稿に関してコメントをいただきありがとうございます。
●「首相 経済団体に賃上げ要請へ:ミクロの算盤勘定に走る経済界も経済論理と政府の苦悩を考え期待に応えるべき」
http://www.asyura2.com/13/senkyo143/msg/652.html
●「FIj8U3pJ3Uさんへ:経済論理について簡単にですが・・・」
http://www.asyura2.com/13/senkyo143/msg/656.html
グローバル(輸出)企業や投機関係者は「アベノミクス」に浮かれているようですが、多くの国民は、インフレでさらなる経済苦が訪れるのではないか?政府債務の積み増しで今後よりいっそうの負担を強いられるのではないか?といった恐れを抱いているようです。
私自身は、反近代主義者で、経済成長は今を生きる国民生活の安寧のために必要だと思っているだけで、経済成長そのものを追求する立場ではありませんが、新興国や発展途上国を中心に続く世界経済の高成長と世界における日本のポジショニングを理解できないまま、消極的な経済政策が語られている情況を残念に思っています。
概括的に言えば、先進国を除く世界は高い経済成長を続けており、成長の持続のためには、日本企業が有する産業力を必要としています。そのような認識をきちんとしていなければ、グローバル企業はともかく、日本は、沈没に向かって歩むことになります。
小沢一郎氏は、「外需頼みの経済成長は非常に危うい。日本は内需中心で成長できます。1%か2%か、低いながらも成長していくことは出来ます。早くその仕組みを確立しなければならない」と語ったそうですが、経済成長の糧である真の利潤となる外需を取り込まずに、安定的で持続的な成長を続けることはできません。
外需が成長にとっていつもあてにできるものではないことは事実ですが、外需がダメなときは、財政出動などで内需を増加させればいいのであって、「日本は内需中心で成長できます。1%か2%か、低いながらも成長していくことは出来ます」というのは、(再)分配政策ないし付加価値のサービス産業的連鎖によって、みんなが分け合いながら生きていくという消極的なものでしかありません。
それはそれでいいじゃないかという考えもできますが、合理的な政策を実行すれば成長できる条件がありながら、成長政策がないまま分配政策に傾いてしまう日本の行き着く先は、供給力の減衰による悪性インフレであり、多数派国民の生活困窮化です。
断言しますが、近代世界の現在における経済成長を産業力的に総合的にサポートできる国家は、日本・米国・ドイツの3国なのです。
この3国の技術と生産力があれば、最終完成品はどこで組み上げるにしろ、工業製品は製造できます。
日本は、製薬など化学分野や超高機能製品について劣っている部分もありますが、産業力の幅と奥行きは秀逸で、先端素材・中核部品・製造装置・微細加工技術で群を抜く強さを維持しています。
そのような日本は、コスト的に完成品組み立てで競争力がなくても、世界が近代化(発展途上国が先進国のライフスタイルに近づくこと)を目指し続ける限り、産業的に成長を維持することができるのです。
中国が日本のポジションを狙って追いかけてきていますが、現状でも、あと10年は先行できます。そのあいだに、さらに先を行く国策が求められます。
【引用】
「04. 乃依 2013年2月09日 14:38:41 : YTmYN2QYOSlOI : vFuBnYwtjE
産業の成長には限界がある、
ということをわきまえるべきです。
アベノミクスにおいては、
デフレを抑止するという以上の野望を持つべきではない。
よって、あっしらさんの返答を踏まえてなお、
どちらかといえば、01の方の見解を支持します。」
【コメント】
近代資本制経済に成長限界が訪れることは、「利潤なき経済社会」という考えを投稿したものとして理解しています。
しかし、産業の成長が限界に達するのは、現段階ではなく、もっと先(30年後より先)と考えています。
「正社員の給料を下げて、ワークシェアした方が同じ人件費でも総消費量は増える」とか、「年収1000万円以上の高額所得者の所得税の累進強化をして、所得の再分配をする必要」といった01.さんの見解は、成長政策ではなく、分配政策です。
分配政策は、政治的価値観的情況の改善には寄与しますが、総需要としての購買力をそれほど高めるものではないと考えています。
それでも(再)分配政策の必要性や重要性を認めていますが、分配だけを重視する政策は、「利潤なき経済社会」に突入した状況や失政で引き起こされる「悪性インフレ状況」で求められるものではあっても、今の日本に求められている政策ではありません。
日本は、デフレで苦しんでいます。しかも、普通に考えればとんでもないインフレになると考えられる50兆円もの赤字財政が続いているなかでなおデフレなのです。
そのような経済状況は、供給力(供給量)と供給(供給活動力に支払われたおカネ)のギャップが異常に大きいことを意味しています。
供給力の変動(増減)に対し、「供給+社会保障的需要」の変動(増減)が追いついていないからこそ、デフレという経済状況が続いているわけです。
むろん、輸出が増加すれば、供給力は国内市場で減少することになるので、輸出増加でデフレ圧力を緩和することはできます。
バブル崩壊とデフレ不況で長期にわたって苦しんできた日本人や「グローバルな大競争時代」という脅迫で生活条件を切り下げられている欧米先進諸国民にはなかなか実感できないことかもしれませんが、現在の世界は、WW2戦後20年ほど続いた先進国の高成長に匹敵するほどの高成長が発展途上国で進行しています。
日本を含む先進国の多数派国民は、その高成長からなんらかの恩恵を受けてはいますが、生活が豊かになるという実感が持てないまま、蚊帳の外に置かれています。
グローバル企業は世界(新興国や途上国)の経済成長から大いなる恩恵を得ていますが、ほとんどの先進国多数派国民は、物質的により豊かになれないどころか、安定した平穏な生活の維持といったレベルでの将来の見通しさえ持てない危機的状況に置かれています。
現在の世界の総GDPは63兆ドルほどで、主要先進国8ヶ国がその約52%、先進国クラブであるOECD加盟34ヶ国で約68%を占めています。
一方、人口については、世界70億人のうち、主要先進8ヶ国は8.9億人(13%)、主要先進国を含むOECD加盟34ヶ国は12.4億人(18%)といった構成になっています。
人口が多いからといって、経済成長がスムーズに達成できるわけではありませんが、この十数年の経済成長率を比較すれば、いわゆる発展途上国が成長率の上位を独占していることがわかります。
むろん、分母が小さいから今のところは成長率が高いという見方も成り立ちますが、11年度に5%以上の経済成長を達成した国(地域)は66で、そのうちOECD加盟国はわずか3ヶ国(トルコ・エストニア・チリ)です。
中国がGDP規模で日本を追い抜いたと言っても、一人当たりのGDPは、5千5百ドルほどでしかありません。
ほどなく世界一の人口大国になると言われているインドは、一人当たりGDPが1千5百ドルほどです。インドネシアも、一人当たりGDPは3千5百ドルほどです。
中国・インド・インドネシアを筆頭に、アジアの人口は、およそ30億人に達します。
一方、今後の一人当たりGDPは、現在のドル価値水準で、中国で低く見積もっても1万ドル、インドでも5千ドルに達するでしょう。
アジア地域の30億人が一人当たりGDPを千ドル増大させれば、GDP増加の総額は3兆ドルです。
日本のGDPは5.5兆ドルですから、アジアの成長に深く寄与すると同時に国内における増加付加価値循環システムを確立させることで、4%前後の経済成長を継続することは可能なのです。
アジア諸国が今後も近代的に成長するためには、日本が生産する素材や部品さらには製造装置が継続的に必要となります。
日本は、デフレ脱却で国内市場の魅力を復活させる政策とともに、アジア向け供給力を増大させるためにどうすればいいのかを官民あげて考えなければなりません。
デジタル機器の完成品生産は、国内市場向けは維持すべきですが、海外市場向けは現地化し、日本国内は部品や製造装置の輸出に大きくシフトする必要があります。
今後の新興国を中心とした発展途上国世界は、先進諸国が150年近くかけて達成した物質的生活条件レベルを30年から50年という短い期間で手にすると予測しています。
日本は、欧米先進国に数十年遅れて近代経済システムを確立させましたが、近代的技術の初期獲得を欧米諸国に依存しただけでなく、戦後高度経済成長に象徴されるように、欧米先進諸国に工業製品を輸出することで成長を遂げたという歴史的経緯がありました。
そのために、国民にとっての世界が先進国に傾きすぎているようです。
また、尖閣諸島騒動のなかで一部出てきた中国撤退論に見られるように、発展途上国を先進国向け輸出の代替基地と考える風潮も根強くあります。
日本は、海外の需要に頼るのではなく、海外で需要を増大させる動きをしなければならないのです。
そのためには、「供給=需要」という貨幣経済の普遍化である近代経済論理のキーワードをしっかり踏まえなければなりません。
需要があるから供給活動に励むという考えではなく、供給活動に投じるおカネ(=供給)こそが需要を生み出すという経済原則に立ち戻る必要があると考えています。
日本では、シュンペンター的イノベーションのなかで、「新しい財」や「新しい生産方法」は重視されてきましたが、「新しい市場」・「新しい供給源」・「新しい組織」については軽視されてきたと思っています。
間違いなく分配政策も必要ですが、成長政策こそが日本の将来を決するものと考えています。
日本の世界GDPにおけるシェアは、かつての15%から8%ほどまで下がりましたが、4%前後の成長を継続しながら、GDPのシェアがさらに一段と下がることこそが、明るい日本の将来を約束します。
※ 参考投稿
『【「近代」から一歩先を見据えて】 「利潤なき経済社会」に生きる 〈その1〉』
( http://asyura.com/2002/hasan13/msg/386.html )
『【「利潤なき経済社会」を生きる】 「利潤なき経済社会」とは − 「匿名希望」氏の問いに答える − 〈その2〉』
http://asyura.com/2002/hasan13/msg/652.html
『【「利潤なき経済社会」に生きる】 「利潤なき経済社会」の“経済論理” 〈その3〉』
( http://asyura.com/2002/hasan13/msg/948.html )
『【「利潤なき経済社会」に生きる】 「利潤なき経済社会」における市場と競争 − 「近代的市場」とは何か − 〈その4〉』
( http://asyura.com/2002/hasan14/msg/910.html )
『【「利潤なき経済社会」に生きる】 「利潤なき経済社会」における市場と競争 − 「近代的競争」とは何か − 〈その5〉』
( http://www.asyura.com/2002/hasan14/msg/926.html )
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