http://www.asyura2.com/13/senkyo143/msg/665.html
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朝鮮総連に詳しい朝鮮新報社元記者の河信基『証言「北」ビジネス裏外交』によれば、小泉時代、北朝鮮の拉致家族帰国交渉を仲介した吉田猛の父吉田龍雄(金奉龍)は、北朝鮮の金日成と太いパイプを持っていた。彼は戦前、南京大虐殺で有名な松井陸軍大将に私淑し、日本軍相手の会社を経営していたそうだ。戦前上海には、日本軍に物品を納入する○○機関という商社があり、特に児玉、阿片王里見が有名だが、恐らく龍雄も特務機関のメンバーだったんだろう。
龍雄は、創成期の在日運動に尽力し、彼の下には、在日朝鮮人運動左派グループが集まった。その中には、朝鮮総連を創設し、議長となる韓徳銖、日本共産党中央委員でもあった金天海らがいたんだ。龍雄は、日本共産党の野坂参三を支援して家屋敷まで譲り渡したそうだ。
戦後の共産党活動は、在日朝鮮人と一体不可分であり、共産党から在日朝鮮人が分かれて朝鮮総連を作ったといっても過言ではないんだ。そしてその背後には、特務機関工作員残党の可能性が噂される吉田龍雄がいた訳だ。
成太作(ソン・テチャク)という在日説がある、S学会のI名誉会長も若い時代、労働組合活動に参加していたそうだが、傘下の商工業者を税務署から守ることを名目に、シンパを引きつけているところは、共産党、朝鮮総連、S学会とも瓜二つなんだ。非常に興味深いね。
共産主義者だけじゃない。在日運動には、右派もいて、町井久之(鄭建永)は、朝鮮建国促進青年同盟東京本部副部長として朝鮮総連に対抗し、反共的な東声会を結成、母校専修大生を集めて愚連隊を組織した。東声会はやがて児玉誉士夫とつながりの深い暴力団に変質したんだ。
面白いことに龍雄と町井は同じソウル出身で、共に児玉と接点があり、当時としては珍しい高等教育を東京で受けているから、お互い当然面識があったと思われるんだ・・・・
(【機密情報につき取扱注意】長州忍者のDNA:岸信介と関東軍特務機関による日本支配の真実 清和会、右翼、S学会、共産党!?
http://www.asyura2.com/10/senkyo82/msg/437.html)
在日、共産党、創価学会・・・・
戦後の在日・部落の左翼活動は、アメリカの占領支配の影響を色濃く受けているが、元々、日本の社会主義運動は、ソ連(第三インターなナショナル)の影響を受けた共産主義者、部落=水平社運動、朝鮮衡平社運動による反政府活動が起源。
全国水平社、朝鮮衡平社、日本共産党の歴史を見れば、それは一目瞭然。
このため、戦前、左翼・朝鮮人は官憲の弾圧対象となり、関東大震災では、正力松太郎(後の読売社主)の流したデマに過剰反応を起こした、自警団に左翼・朝鮮人が惨殺される痛ましい事件も怒った。
戦後は、アメリカの日本間接統治の尖兵として一部の在日朝鮮人は戦勝国民を名乗り、乱暴狼藉の限りを尽くしたが、彼らは統一教会・エセ右翼のメンバーとなり、部落関係者と共にリクルートされ、日中離反、日韓離反に利用された。
一方、ソ連・中共・北朝鮮の支配下にあった朝鮮総連、解放同盟は反戦・反核・人権を隠れ蓑に反日活動を展開した。
(菅沼さんは、日教組を作ったのはGHQとして、アメリカは戦後日本を西側陣営に組み込むため、わざわ日本の戦後左翼を育成し、東西対立を助長したと唱えている。)
ソ連が崩壊した今も、北朝鮮の影響下、大学教授、報道関係者、知識人、政治家、プロ市民として様々なプロパガンダ活動を続けている。
今の政治の現状を理解するには、表面的な反戦・反核・平和主義などどいうプロパガンダに惑わされることなく、その活動の歴史的背景、目的を理解することが必要だ。
今もなぜ、京都、大阪、奈良、滋賀で革新系の首長が政治を牛耳り、その地の市民団体が反核・反戦・従軍慰安婦問題で大騒ぎするのか?その歴史的理由はここにある。
<参考リンク>
■朝鮮衡平社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E8%A1%A1%E5%B9%B3%E7%A4%BE
朝鮮衡平社(조선형평사 チョソンヒョンピョンサ・ちょうせんこうへいしゃ)とは、朝鮮半島の伝統的被差別民である白丁への差別撤廃を目的として設立された社会運動団体。単に衡平社(형평사)とも呼ばれる。
歴史 [編集]
裕福な白丁である李学賛(イ ハクチャン)の後援を受け、1923年4月24日、朝鮮慶尚南道晋州の晋州劇場(現在の商業ビル)で結成。メンバーは公称40余万人。白丁に限らず常民出身の一般知識人をもまじえた組織だったが、衡平運動に反対する者たちは白丁以外の衡平社員を「新白丁」という蔑称で呼んだ。
まもなく、両班出身の姜相鎬(カン サンホ)と白丁出身の張志弼(チャン ジピル)の両指導者が運動方針をめぐって対立。1924年4月、張志弼が京城(現ソウル)にて衡平社革新同盟を結成し、朝鮮衡平社に対抗。1924年8月に大田で会議を開いた結果、一度は両組織の統一を見たものの、程なく決裂。
日本の全国水平社と手を結び、差別糾弾闘争に一定の成果を挙げたが、1927年1月、張志弼が朝鮮独立運動に加担した容疑により日本の官憲に逮捕(高麗革命党事件)されて以後、朝鮮総督府からの弾圧が始まる。
・・・・
■全国水平社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E5%9B%BD%E6%B0%B4%E5%B9%B3%E7%A4%BE
概要 [編集]
大正デモクラシー期の日本において被差別部落の地位向上と人間の尊厳の確立を目的として、西光万吉を中心として結成された。第二次世界大戦後に発足した部落解放全国委員会および部落解放同盟の前身にあたる。
・・・・
背景 [編集]
明治維新後に出された解放令により、えた・ひにんなどの被差別部落民は形の上では封建的な身分関係から解放されたが、実際にはさまざまな差別が残り多くの部落民は文明開化・殖産興業・富国強兵が進行していく中で貧困に苦しんでいた。これを解決するため融和運動が提唱されたが、それは差別の原因が部落の劣悪な環境や教育水準にあるとし、富裕層の力を借りての部落の経済的向上を目指し、また部落民の意識を高め部落外の人々の同情と理解を求めることで差別を無くそうとするものであった。
第一次世界大戦中のロシア革命や米騒動の影響を受け、従来の融和運動に飽き足らない部落の青年たち(西光万吉、阪本清一郎、駒井喜作ら「燕会」に結集した柏原の青年)は自分たちの力で部落の解放を勝ち取る運動を構想し始め、ピューリタン革命の最左派であった水平派(レヴェラーズ)にちなんで新たな運動団体を「水平社」と命名し、1922年(大正11年)1月、パンフレット「よき日のために」を発刊して創立大会への結集を呼びかけた・・・
また融和運動を批判し、差別の原因はあくまで「差別する側」にあるとして、差別への糾弾や啓発に重点を置いた。結成の中心となったのは先述の柏原の3青年たちであったが、初代委員長には滋賀県の著名な部落改善運動家であった南梅吉が就任した。全水は翌1923年に結成された朝鮮の被差別民白丁の組織「衡平社」とも連携して差別撤廃の運動を展開した・・・
労農運動との結合 [編集]
結成当初の水平社は、差別を古くからの因習によるものととらえ、差別者に対する「徹底的糾弾」方針をとっていたが、糾弾闘争の進展は一方で部落の内外の溝を深めるとの反省が出てきた。その一方でアナ・ボル論争などの影響から、1923年11月松田喜一ら若手活動家を中心に結成された全国水平社青年同盟(のち1925年9月「全国水平社無産者同盟」に改組)が階級闘争主義と労農水提携(労農運動と水平社運動の提携)を掲げいわゆる「ボル派」として全水内部で次第に力を増してきた・・・
■コミンテルン(第3インターナショナル)
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1911-20/1919_kominterun.html
ロシア革命によってソビエト政府(ソ連)が誕生し、しばらくは大混乱状態が続いた。
国内で人々が殺戮しあっている分には他国はかまわなかったが、ソ連は共産主義を輸出し、世界中を共産主義国にしてしまおうと行動に出た。そのための組織として、コミンテルン(第三インターナショナル)が1919年(大正8年)に作られた。
革命政権は樹立直後から、一国だけでは世界中から包囲されて生き延びることはできない、と重大な危機感を抱いていた。そこでコミンテルンを作り、世界各国で知識人や労働者を組織して共産主義の革命団体を世界中に作り出し、すべてをモスクワからの指令によって動かし、各国の内部を混乱させ共産革命を引き起こそうとした。
コミンテルンの目的は、規約の第一条に書いてある。それは、全世界ソビエト社会主義共和国連邦をつくることである。つまり、世界中を共産主義体制にすることが、コミンテルンの目的とされたのである。だからモスクワに集められた共産主義者たちは、自国に帰って、まだ党を作っていないものは党を作り、そして暴力革命がオーソドックスな共産主義革命の方法であるから、暴力によって共産主義政権をつくり、以後はモスクワの指令に従って行動せよ、と命令された。(暴力革命一点張りはスターリンが死んで3年たった1956年の第20回ソ連共産党大会でフルシチョフが平和的移行路線を出すまで続く)
その目的の下で日本では大正11年(1922)に日本共産党が作られた。日本共産党はコミンテルン日本支部として発足した。元朝日新聞記者だった尾崎秀実がゾルゲと組んで日本に不利ないろいろなスパイ活動をして、重要な情報をスターリンに届けていたのは、共産主義者としては当たり前のことだった。
その手始めとして1920年代前半は、コミンテルンは先進国ヨーロッパでの共産革命を目指した。しかし、これはことごとく失敗に終わった。革命を輸出しようとしたために西欧資本主義諸国から警戒され包囲されたソ連は、コミンテルンを使って西欧諸国の植民地支配を帝国主義と批判し、「産業の発達や資本主義の伸展が大量の原料と市場を必要とし、西欧諸国は資源と市場を得るために帝国主義的な戦争によって、アジアやアフリカに植民地を確保した」と反帝国・反植民地主義キャンペーンを開始した・・・
■[ア+] 【国防】北朝鮮や中国に重要情報ダダ漏れ… 元公安の菅沼氏「日本の“身体検査”は緩い、1時間で閣議情報が中国に伝わる」[01/31]
01月31日(木)18:44 55件
http://news.guideme.jp/kiji/d62004bcb816d37ffdd2988f9cb9d2cb
北朝鮮の指示で諜報活動をしていた工作員が、外務省や公安調査庁の採用試験を受け、潜入を画策していたことが分かった。 いずれも書類選考で落選し、潜入工作は成功しなかったが、元公安調査庁第2部長の菅沼光弘氏は 「氷山の一角だ。日本では、閣僚や官僚などの身元調査が徹底していない。『首相官邸での閣議の内容などが1時間後には中国に伝わっている』との情報もある」と語った。
潜入を画策していたのは、軍事リポートを無断複製した著作権法違反容疑で大阪府警に再逮捕され、大阪区検に30日、同法違反の罪で略式起訴された兵庫県尼崎市の運送会社社長(42)。 捜査関係者によると、この工作員は日本国籍取得後の2008年10月、在ソウル日本大使館の専門調査員や公安調査官の採用試験に応募していたという。
ただ、潜入工作を仕掛けているのは北朝鮮だけではない。沖縄県・尖閣諸島の強奪を狙う中国など、他の国々も当然実行している。
他国の諜報活動に詳しい菅沼氏は「日本に帰化した外国人が、公務員試験を受けに来ている。警察官や自衛官などを目指す人も多いようだ。
以前は、密かに『他国や問題組織と特殊な関係にないか』など身元調査をしていたが、冷戦終結や人権圧力の強まりから、ほぼ何もできなくなっている。
公務員だけではない。日本は閣僚候補の身体検査も甘い」という。
他国はどうなのか。 菅沼氏は「米国では、FBIが閣僚候補の経歴(犯罪歴含む)から背後関係まで徹底的に調べて、『この人物は安全だ』という結果が出ないと任命しない。
日本では形式的な調査だけ。だからか、永田町や霞が関の重要情報が簡単に漏れている。『閣議や事務次官会議の内容まで、中国にすぐ伝わっている』という情報もある」 安倍晋三首相は、この改革にも着手すべきだ。
[外部リンク] 【国内】兵庫で逮捕の北朝鮮工作員、日本帰化後に外務省や公安調査庁の採用試験受け潜入図り軍に報告[01/31] [外部リンク] 【尖閣問題】沖縄県内で日中台共同管理案浮上-元公安の菅沼氏「政治家・メディア・学者が中国工作員に誘導された可能性も」[01/29] [外部リンク]
元スレ:[http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1359625488/l50]
■市民社会フォーラム
http://civilesociety.jugem.jp/?cid=18
<左翼系のリンク>
◆原水禁
http://www.gensuikin.org/b/
◆新潟県平和運動センター
http://www8.ocn.ne.jp/~heiwa/index.html
◆原子力資料情報室
http://cnic.jp/
◆部落解放同盟全国連合会
http://www.zenkokuren.org/
◆部落解放同盟全国連西郡支部
http://nisigoorisibu.cocolog-nifty.com/
◆革共同再建協議会HP
http://kakukyodo.jp/
◆中核派(前進)HP
http://www.zenshin.org/index.htm?_gwt_pg=1
◆都政を革新する会
http://www.tokakushin.org/wp/
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