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2013年02月04日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆生活の党の小沢一郎代表が2月2日、岩手県一関市内で講演し、「民主党との合弁前に戻った」と現状認識を示し、再び政権獲得をめざして全力投球して行く決意を明かにした。朝日新聞が2月3日付朝刊4面「政治面」で「民主党との合弁前に戻った」との見出しをつけて、以下のように報じている。
「生活の党の小沢一郎代表は2日、岩手県一関市での会合で『今の状況はちょうど(2003年の)自由党と民主党が合併する前に戻ったということだ。あの状況からよく、政権を取れたと思うぐらいだ』と述べ、政権奪還は可能との認識を示した。
生活の国会議員は現在15人で、民主党は145人。03年当時、小沢氏が率いた自由党は30人で、菅直人氏が代表だった民主党は174人だった。両党合併の6年後に政権交代を実現した。小沢氏は『こんなになって(政権交代が)出来るのかと思う人は・自由党と民主党があった時から政権を取ったという事実を思い起こしてほしい』と強調した。」
◆現行の衆院小選挙区比例代表並立制度を導入したのは、小沢一郎代表だった。1955年11月15日に自由党と民主党が合弁して自由民主党が結党され、その1ヶ月前に左派社会党と右派社会党が剛量して日本社会党が結党されていたので、以後「自民VS社会」対決=「保革対決」構図の下で、「55年体制」が38年間続いた。その後、社会党は分裂し続けていたため、政権を獲得できなかった。革新勢力は、民社党、共産党などを含めて大同団結すれば、軽々と「革新政権」を樹立できたにもかかわらず、できなかったのは、共産党を排除していたからである。
◆この結果、自民党は万年与党、社会党は万年野党という構図の下で、政治が「まんねり化」してしまった。それを覆そうと立ち上がったのが小沢一郎代表だった。
いまの野党は、ばらばらである。それどころか、民主党国会議員の多くが、自民党と合流したい願望を抱いている。日本維新の会、みんなの党も同様である。
つまり、野党内には「二大政党制」を定着させようという志を抱いている国会議員が少ないということだ。
しかし、以前に、カナダで与党が議席の大半を失って、野党に転落したものの、懸命の努力の結果、再び政権の座に返り咲いたという実例がある。
小沢一郎代表は、野党に転落したからと言って、決して落胆はしていない。地の底から這い上がる強い意欲をたぎらせているのである。
本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
安倍晋三政権の徳田毅国土交通・復興政務官が、「辞任第1号」を皮切りに、「辞任ドミノ」の「悪夢」が蘇る
◆〔特別情報@〕
「勝って兜の緒を締める」という言葉とは裏腹に、安倍晋三政権を構成する政務3役(大臣、副大臣、政務官)の一角が、早くも綻び始めた。「辞任第1号」が出たのである。徳田毅国土交通・復興政務官が、突如辞任したからだ。原因は、「女性問題」だという。第1次安倍晋三政権が、政治資金管理団体や政治団体の事務所経費問題を追及されて、閣僚が相次いで辞任に追い込まれたり、自殺者まで出したりして、「辞任ドミノ」により、大打撃を受けた「悪夢」が想起され、「二の舞」にならなければよいのだがとの声。政権の命運が、危ぶまれている。
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