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2013年2月 1日 植草一秀の『知られざる真実』
柔道全日本女子代表の園田隆二監督が代表チームメンバーに対する暴力事案が暴露されたことを受けて引責辞任の意向を表明した。
「三丁目の夕日」に登場する子役に似た印象のあるベビーフェイスの監督だが、指導に際して手を上げたり、足で蹴飛ばしたり、「死ね」と発言するのは良くないことだ。
大阪桜宮高校での暴行事件とそれに連動して発生した生徒の自死問題で、スポーツ界における暴行事案、暴力事案がクローズアップされている。
「体罰」の表現が使われるから問題の本質が分かりにくくなるが、問題の本質は暴行事件、傷害事件、あるいは暴行事案である。
指導の延長上であっても、「暴力」は「暴力」であって、これを是とする風潮に問題がある。
知事や市長、あるいは国会議員のなかにも、こうした「暴力」を肯定する向きがあるが、これは正しくない。
信念を持って「暴力が正しい」と主張するなら、堂々と主張するべきだ。
「体罰は必要」と述べていたのに、暴力事件が表ざたになって世論の批判を浴びると、突然、「体罰は良くない」、「問題の根幹を解決するまでは入試を中止する」などと発言するのは、信念と哲学がない証拠だ。
メディアが絶賛して、こうした人物が関与する大きな政治勢力が「創作」されてきたが、バブルに過ぎないと思われる。
メディアの大宣伝がなければ、だだの諸派に過ぎない存在だろう。
今回の日本代表監督の問題は、被害者がJOCに告発したことで表面に出たが、表面に出ていない事件、事案は多数存在すると思われる。
被害が表に出ないのは、加害者が「権力」を握っているためだ。
加害者の側が、代表選手選出の「権力」を握っていれば、被害者は泣き寝入りするしか道はない。そのようなケースが多いのだろう。
問題の根幹にあるのは「人権意識の希薄さ」である。
「年功序列は基本的人権に優越する」
と考える、人権意識の低い人々が多いのだろう。
年功序列と言うが、客観的に見れば、「先に出生した」ということにすぎない。
経験の多さや思慮の深さについて、優れた人を尊敬することは当然のことだ。
しかし、この意味で尊敬されるような人は、先に生まれたことだけで威張り散らすこともないし、後輩に対しても丁寧に接するはずだ。
後輩に対して威圧的に振る舞い、暴力を振るうような人は、人間としての力量を欠いていると言わざるを得ない。
安倍政権が憲法を改正して、基本的人権の位置付けを大きく変えようとしている。
人権を人が生まれながらにして天から与えられた不可侵の権利と捉えず、権力者が言わば「恩恵」として、上から与えるものとの位置付けに変更する方針が示されている。
スポーツ界における「暴行事件」、「暴行事案」の根幹には、これと重なる「人権意識の希薄さ」が感じられる。
「スポーツ」には尊い面がある一方で、近年のスポーツブームの一面に、スポーツが大きな利権を生むとの側面があることは否定できない。
スポーツはいまや重要産業のひとつになっている。
スポーツ振興に力を注いでいる人のすべてが利権がらみだと言うつもりはない。
しかし、スポーツを軸に巨大な資金が動く現実があり、スポーツを動かす大きな誘因に「カネ」があるのは紛れもない事実である。
日本政府と東京都はオリンピック招致を掲げているが、この招致活動に主権者国民の血税を使うのであるなら、主権者国民の意向を尊重することが必要不可欠である。
私の個人的見解を示すなら、日本のオリンピック招致活動に反対である。
日本でオリンピックが開催され、スポーツの良い面が生かされることに反対するものではない。
スポーツそのものは極めて優れたものであるし、スポーツそのものの価値は極めて高い。
しかし、現実のオリンピック招致活動の原動力をよく見るならば、そこに利権と利得を追求する、一種の「シロアリの群れ」が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)していることは否めない。
むしろ、招致活動の中心部分は、ほとんどこの利権動機、利潤動機に突き動かされていると言って過言でないと思われる。
問題は招致活動のために投入される資金が国民負担で賄われていることだ。
オリンピックを日本で実現させたい人々が、ボランティアで、自分の財布から費用を出して招致活動をしているなら何の文句を言うつもりもない。
そして、オリンピックに伴うすべての活動が「非営利」で、国民の前にガラス張りで公開され、国民がすべてをチェックできるものなら良いだろう。
しかし、現実はまったく違う。
招致活動に積極的な個人、企業、団体の大半が、「利権と営利」を目的に行動していると思われるのだ。
財務省と日本政府は日本財政について、どのような説明をしてきているのか。
財政危機であり、急激な高齢化であり、行政改革であり、財政改革だと叫び続けているのではないのか。
ついこの間に実行された2016年オリンピック招致活動では、150億円もの費用、100億円の血税が投入されたと伝えられている。
このカネが何にどのように使われたのか。
招致活動をした知事などは、旅客機のファーストクラスを使い、ホテルのスイートルームを使用して、「招致活動」の名の下に大名旅行をしていた。
公のために招致活動を行うなら、自腹で出向くなり、節約旅行で出向くなりするべきだろう。
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