02. 2013年1月30日 09:31:23
: xEBOc6ttRg
【第6回】 2013年1月30日 田中秀明 [明治大学公共政策大学院教授] 財政再建への提言: 予算改革は政治改革そのもの 日本版財政責任法を導入せよ 第4回では、日本における予算制度や予算編成過程の問題を取り上げた。問題は明らかになった。次はこの問題にどう答えるかである。連載の最終回は、予算制度改革の具体策を提案し、どうすれば財政再建できるかを考える。民主党政権の蹉跌: 画餅に終わった予算制度改革 民主党政権は、発足当時、高い理想を掲げていた。予算や財政の問題については、菅直人国家戦略担当大臣兼副首相の下で、「予算編成のあり方に関する検討会(以下、予算検討会)」を開催し、2009年10月には、論点整理を発表し、改革の方向を示している。さらに、2010年4月には、「中期的な財政運営に関する検討会・論点整理」も発表している。そこでは、複数年度を視野に入れたトップダウン型の予算編成、予算編成の抜本的な透明化・可視化、ベースラインや財政健全化目標などが盛り込まれている。これらの改革案は、先に紹介した諸外国の予算制度改革の流れに従うものであった。 実は、筆者は当時一橋大学に在籍し、この検討会のメンバーとして、予算制度改革を提案した。しかし、残念ながら、経済財政見通しの作成に当たり慎重な経済成長率を前提とすることなど、一部を除けば、この改革案は画餅に終わった。検討会のメンバーが特に強調したのは、ベースライン(予測)の作成、予測と実績の検証であった。現行制度と最新の経済データに基づき、3〜5年程度の歳出・歳入の見積りをたてる。これがベースラインである。 次に、財政再建目標を達成するために、歳出・歳入をどうするのかを考える。半年毎にベースラインを改定し、財政政策の結果や目標の進捗状況を検証するのだ。提言を受けて、確かに、政府は、「中期財政フレーム」を発表した。一般会計の新規国債の発行額を44兆円以下、国債費以外の歳出上限額(シーリング)を71兆円以下にするなどというものである。しかし、これは、政策変更を盛り込んだ推計であり、ベースラインではない。 これは、やや技術的な問題と思われるかもしれないが、重要な点なので少し説明する。施策を変更してはならないと言っているのではなく、施策変更の効果を検証するためには、ベースラインとの比較が必要なのである。例えば、政策変更がない自然体の場合の来年度の歳出の見積りが75兆円なのか、69兆円なのかによって、シーリングの71兆円の意味は全く変わってくる。 ベースラインが69兆円なのにシーリングが71兆円であれば、景気動向にもよるが、拡張的となる。いかなる歳出水準にするかは政策判断の問題であるが、政府の財政政策の意図や効果は、ベースラインがないとわからない。また、10年後の財政再建目標(基礎的財政収支を均衡させるなど)について、増税など財政再建努力を織り込んだ推計とベースラインを比較しないと、目標達成に向かった前進しているのか、後退しているのかを評価できない。 世界標準とかけ離れた 中期財政フレーム しかし、ベースラインに基づく予算編成の仕組みを導入すると、補正予算や会計の操作などが明るみになるため、財務省はその作成に反対した。中期財政フレームについては、これまでも内閣府や財務省が予算編成終了後発表しているが、これは、世界標準のフレームと比べると雲泥の差がある。豪州などでは、毎年の予算は中期財政フレームに基づき編成される。したがって、フレームは政府予算案と同時に発表される。 しかし、日本のフレームは、通常の年では12月末に予算編成が終わった1月あるいは2月に発表される。予算編成の結果を踏まえてフレームをつくるのであり、主従の関係が世界標準モデルと逆である。また、日本のフレームには、注書きで、わざわざ将来の歳出や歳入を拘束しない趣旨のことが書かれているが、これは矛盾している。財政再建とは、将来を拘束することと同義であるが、政府は拘束しないと断っているわけだ。なぜか。拘束されると、財務省は、歳出増などの政治の要求に答えられなくなり、対応手段が狭くなるからである。しかし、それでは、財政再建などできるわけがない。 民主党政権の財政運営を悩ませたのは、子ども手当などマニフェストで約束したことを実現するための財源の確保であった。マニフェストでは、新たに必要となる財源を16.8兆円とし、それを行政の無駄等によって賄うとしていた。政権発足時に事業仕分けで財源を確保しようとしたが、結局、それは1兆円未満だった。だからこそ、民主党政権では、財政赤字が拡大している。総理官邸のホームページに、「政権交代以降の財源確保の状況」という資料が掲示されているが、そこには、2010年度では、歳出削減で2.3兆円、税制改正で1.1兆円、税外収入で10.6兆円確保したと書かれている。つまり、マニフェストで約束したように財源は確保できたと主張しているわけである。 税外収入については、自民党時代の予算でも、日銀の納付金や特別会計の積立金の取り崩しなどの様々な収入が歳入に計上されていたが、この10.6兆円はこれらすべての合計の数字であり、従来から存在した税外収入も、全て民主党政権が発掘したと説明しているのだ。自民党時代にはなかった税外収入を新たに発掘したというならばまだわかるが、全額を発掘したというのはあまりにご都合主義ではないだろうか。そもそも埋蔵金は、前回説明したように、財政を悪化させるものであり、財源の発掘とはならないことを思い出してほしい。 民主党政権は、旧来の悪弊を打破すべく国民から負託を受けたが、残念ながら、それは道半ばに終わった。財政再建とは、政治家の自己規律に関わる問題であり、改革の難しさを改めて痛感させられた。 安倍政権の課題: 日本版財政責任法の導入を 財政再建に成功するためには、予算制度改革が必要であると繰り返し述べているが、その青写真は、紹介した予算検討会ですでに明らかになっている。特に、中期財政フレームに基づく予算編成と、一般会計と特別会計に代表される会計間の操作を抑止するための予算や会計制度の透明性を高めることである。 こうした取り組みを法制化する必要があり、それが日本版財政責任法の導入である。その時の政府が自ら財政目標を定め、その達成状況を定期的に検証することを、政府に義務付ける仕組みである。実は、自民党は、野党時代に、財政責任法案を国会に提出している。成立には至らなかったが、与党に復帰した今、中身を世界標準のものとし、再提案すべきである。安倍政権は、当面、補正予算などにより景気対策を優先するとしているが、それが財政規律をないがしろするものであれば、従来と同じである。国民は旧来型の自民党政権を望んでいるわけではないだろう。 衆参の国会がねじれて、赤字国債を発行するための特例公債法の取り扱いが政党間のかけひきに使われたが、そもそも何十年にわたり「特例」となっていることが問題である。要するに、今の財政法は機能していない。目的規定もない財政法は抜本的に改正し、財政規律を確立するための新しい仕組み、すなわち財政責任法を導入すべきである。 金融市場は、アベノミクスの実行段階において、財政規律が維持されるかどうかに注目しており、規律が緩んでしまったと判断すれば、国債の格付けの引き下げなどを通じて国債が売られ、金利が上昇しないとも限らない。その意味でも規律を見える形で示すことが大変重要である。 さらに必要なことが予算に関する意思決定の集権化である。なかんずく、内閣が最終的な意思決定を行うべきである。財政赤字が拡大する1つの要因は、予算編成や政策立案に関して、内閣に入らない与党議員が拒否権を行使し、しばしば政府の意思決定を歪めることである。与党議員は、首相や各省大臣と異なり、意思決定の責任をとる必要がない。責任をとらないのであれば、なんでも言えるのであり、それでは無責任だ。 誤解のないようにいえば、筆者は、与党の政策関係の部会や委員会を廃止せよと言っているわけではない。国会議員である以上、いろいろな検討を行い、提案もすべきである。問題は、意思決定に関して、与党が内閣(政府)を優越することである。与党の意見も聞きつつ、最終的な判断をするのは内閣、そして首相であるべきだ。もし、与党議員が政府の方針や法改正に異論があるなれば、彼らは国会議員なのだから、まさに国会で審議し、必要であれば修正すればよい。それこそが民主主義ではないか。要するに、予算改革とは政治改革なのであり、それは、従来型の与党・官僚主導モデルから内閣主導モデルへの変換である(図1参照)。 症状が出たら手遅れ 糖尿病からの脱出
財政規律を高めるための方策は、諸外国の経験も考えれば、ほぼわかっている。問題は、どうすれば、やりたくないことを実行できるかである。財政規律というのは、政治家が自らを律する問題である。財政再建に成功した国は、日本より立派だったというわけではなくて、尻に火がついてやらざるをえなくなったのである。 ギリシャでは、財政赤字が急増し政府の信用がなくなり、金利を30%払うといっても、返してくれないかもしれないからと、誰もお金を貸してくれない、そういう状態になっている。幸い、今のところ日本国債は金利が低い、つまり日本政府にはまだ信用がある。加えて今は、国内の貯蓄で政府の赤字を賄うことができるので、外国に借金を頼らなければならないギリシャとは違う。 ただこのままでは、5年から10年のうちには国内の貯蓄で政府の赤字を賄うことができなくなると予測されている。そのときには、外国からお金を借りることになる。もちろん、それで日本国債がただちに売れなくなるわけではないが、海外のマーケットが日本をどれだけ信用しているかということに、今よりも大きく影響を受けるようになるだろう。そのときに、アメリカのような信用力や成長力が日本にあるだろうか。 財政再建は目指すべき最終ゴールではないが、財政赤字が増え続けることによって、少子高齢化を乗り切るための体力を失うことになる。しかも改革が遅くなればなるほど、改革のコストも高くなる。私は外国人に、「日本の債務はGDPの200%を超えているが、どうしてそれが可能なのか」としばしば聞かれる。私は、「日本の財政は糖尿病だ」と答えている。糖尿病というのはなかなか症状が出ない。しかし、重篤な合併症などの症状が出たときには、手遅れの可能性が高い。ギリシャは国の規模が小さいので、危機もすぐに顕在化するが、逆に日本は経済の規模が大きいので、そう簡単に危機が顕在化しないのである。 もっと言えば、日本はまだほんとうに困難に直面してはいない。失業している人は困っているが、年金受給者はデフレでむしろ購買力は上がって得をしている。公務員をはじめ職のある人も給与は下がっているが、一般物価も下がっているので、購買力はそれほど下がっていない。幸か不幸か、日本はまだギリシャのような切羽詰った状況に追い込まれていない。 GDP比200%を超える債務残高の水準にいたずらに驚く必要はないが、リスクが高まっていることは間違いない。また、財政自体はしばらく持続可能だとしても、日本ほど若者が搾取されている国はなく、世代間の公平の観点からは、改革は待ったなしである。 我々現役世代は、選挙権のない将来世代に対して責任を負っている。将来世代の了解もとらないで、請求書を送る、すなわち借金の返済を押し付けるのはいいかげんに止めるべきだ。子ども手当を借金で賄うことについて、我々は子どもたちに了解をとったのか。 本稿で繰り返し主張しているように、財政再建とは政治改革であり、政治的な意思決定を含めた予算制度改革が不可欠である。政治家を選ぶのは国民であり、そしてそれを監視するのも国民である。国民が負担を求めずに便益だけを求めるのであれば、政治家もそのように行動する。国民一人一人が財政の問題を考えることこそ、民主主義の根幹である。 |