27. 2013年1月29日 10:28:42
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26さん >だからターゲットをこの内閣官房に絞らなければなりません。結果的には内閣官房長官、副長官を歴任した仙谷由人と最高裁との一蓮托生の仕業となったのではないでしょうか。 ●仙谷は2010年6月8日〜2011年9月2日までの1年強の間、内閣官房を仕切っていた。 2010年06月08日 - 2011年01月14日 :菅第1次改造内閣、内閣官房長官 2010年11月22日 - 2011年01月14日 :菅第一次改造内閣、法務大臣を兼務 (通常は5人程度の官房長官秘書官を10人抱えた) 2011年01月14日 - 2011年09月02日 :菅第2次改造内閣、民主党代表代行 2011年03月17日 - 2011年09月02日 :菅第2次改造内閣、内閣官房副長官を兼務(枝野内閣官房長官) ●小沢関連事件の経緯と仙谷の位置(官房長官、法務大臣、党代表代行、官房副長官) 『検察審査会問題資料集』を参考にしました。 ↓ http://shiminnokai.net/kenshin_ozawa.html 2010年01月 :東京地検特捜部、小沢元秘書逮捕←麻生・森英介の指揮権発動と言われる。 2010年01月21日:市民団体小沢一郎に対しても政治資金規正法違反容疑で告発 2010年02月04日:秘書3人は起訴、小沢一郎は不起訴→市民団体が不服申立 2010年02月?日:市民団体、検察審査会に審査申立 2010年04月27日:東京第5検察審査会「起訴相当」を議決 2010年05月21日:東京地検特捜部が再び不起訴 ★仙谷は内閣官房長官:2010年06月08日 - 2011年01月14日 2010年07月08日:東京第1検察審査会「不起訴不当」を議決、第5検察審査会で再度審査に。 2010年09月14日:東京第5検察審査会「強制起訴」を議決←【民主党代表選の当日】、しかし、この日、この件に関する報道はなかった。 2010年10月04日:第5検察審査会の9月14日の強制起訴議決を発表 2010年10月05日:2度目の「強制起訴」を議決 ★仙谷は内閣官房長官と法務大臣を兼務:2010年11月22日 - 2011年01月14日 2011年1月:指定弁護士、小沢一郎を強制起訴。 ★仙谷は民主党代表代行:2011年01月14日 - 2011年09月02日 2011年2月22日:民主党常任幹事会、小沢一郎の党員資格停止処分を決定。 2011年3月1日:小沢不服申立。 2011年3月1日:民主党常任幹事会、不服申立を却下。党員資格停止決定。 ★仙谷は民主党代表代行のまま内閣官房副長官を兼務:2011年03月17日 - 2011年09月02日 仙谷が2010年06月08日〜2011年9月02日までの1年余りに内閣官房長官、法務大臣、党代表代行、官房副長官と党・政権の中枢にいて小沢追放の中心的役割を果たしていたことは明らかだ。 特に民主党代表選当日に検察審査会の強制起訴議決をさせたのは仙谷が内閣官房長官の時であり、その強制議決の直後に法務大臣を兼務し絶大な権力を獲得し党内、政権内、国会内、司法界ににらみを利かせたのである。 その後、今度は党代表代行となって小沢一郎の党籍剥奪を強行することとなった。 2011年3月1日の小沢一郎の党籍剥奪で当面の目的を果たしたのである。 ●『内閣官房長官 仙谷由人 −「反小沢」で菅総理の女房役に寝返った策士』 http://president.jp/articles/-/2308 −−−−−−−−−− 今回、菅氏との連携を可能にしたのは剛腕・小沢一郎氏の存在である。仙谷氏は「強すぎるリーダーシップ」を嫌う。民主党内で小沢支配が広がってからは「反小沢」の急先鋒だ。「反小沢シフト」である菅内閣の大黒柱として官房長官に起用された。 −−−−−−−−−− 国民が期待した民主党の復活、小沢総理実現の夢を仙谷は内ゲバによって破壊してくれたのである。 ●仙谷は「香川事件」のスキャンダルもみ消しで最高裁に貸しを作っていた。 『10月31日 最高裁は、何故予定を早めて「代表選投票日に小沢起訴議決」をしたのか?』 http://www.asyura2.com/12/senkyo138/msg/110.html −−−−−−−(一部引用します) <最高裁は、「香川事件」もみ消しで、仙谷元官房長官ら民主党幹部に借りがあった> 「香川事件」と「民主党幹部による香川事件もみ消し」のあらまし 2008年3月、社団法人民事法情報センター(法務省所管)が、理事会での承認も取らずに無利子・無担保・無期限で1500万円を理事長である香川保一に貸し付けた。また同時に理事長に対する報酬をも理事会に無承認で改定し、月額50万円から月額100万円に増額した。 香川保一理事長は、法務省の官房長や民事局の局長、札幌高裁、名古屋高裁の裁判所長官など歴任し、最高裁判事となる。1993年勲一等瑞宝賞。退任後、弁護士事務所を開設しながら、民事法情報センター理事長を務めていた。 2010年4月13日、民主党による「事業仕分け」の事前調査で、この事実が発覚。 さらに、民事法情報センター敷地内に、香川の弁護士事務所が設置されている点も明らかにされた。 2010年4月15日、問題が明るみになったことから、香川は全額を返金した。 2010年4月16日、衆議院法務委員会の審議ではこれらの点が問題視され、法務大臣千葉景子は「民事法情報センターの存続について検討する」と答弁した。 2010年5月8日、社員総会を開き、社団法人「民事法情報センター」の解散を決定。 香川の同法人の私物化はこれに止まらなかった。自分の弁護士事務所経費、人件費のつけ回しなど、帳簿を精査されないように慌てて法人解散を決定したといわれる。 この事件が、民主党の事業仕分けの事前審査で明るみに出てから、法人の解散決定まで24日しか掛かっていない。しかもこの間にゴールデンウイークを挟んでいるので、実質10日あまりで解散決定をしたことになる。 多数の有料会員や利用者を無視して突如事業を中止して解散したのは、かなりの暴挙と言われた。この解散以降、記者クラブメディアはまるで箝口令が敷かれたようにこの事件から手を引いた。 当時の千葉景子法務大臣はこの事件を不問に付したのみならず、この事件が明るみに出た途端に、なぜかこの法人を解散させた。ここで仙谷、千葉は法務省、最高裁に大きな貸しを作った。 <2010年9月8日〜9月14日、民主党幹部が"代表選挙前の小沢起訴議決"を依頼し、最高裁が了承した?>
依頼ルートは、仙谷元官房長官→江田五月議員→竹崎博充最高裁長官→最高裁事務総局→検察審査会事務局か? なお、江田五月議員と竹崎博充最高裁長官とは、小中高そして東大法学部の同窓、そして2人とも裁判官の道に進んだ。二人は昵懇の仲だ。 2人が民主党と最高裁事務総局との仲介をしたということだろう。 最高裁事務総局は、民主党幹部に借りがあるため断れなかったのだろう。 どうせ起訴議決するのだから、それを早くしてもばれるとは思っていなかったのだろう。 最高裁事務総局の判断は甘かった。 審査会議を開いていないのに開いたとするのは、無理がある。 架空議決はいずればれる。 −−−−−−−−−−−
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