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2013年1月23日 れんだいこのブログ
小沢どんの現在の立ち位置の生活党の前身は国民の生活が第一である。名は体を表すと云う意味で、「生活」と云う党名に注目するべきではなかろうか。これは紛れもなく左派的な党名である。生活党は、社民党なり共産党なりが西欧的な政治思想に基づく党名であるのに比して、和製的な党名であるように思われる。これを左派的と云うより古代縄文の日本思想に近い党名のような気がする。どうやら小沢どんは政治的変転の果てに日本の伝統的な日本思想、世直し思想に辿り着いているのではあるまいか。ここが凡百の政治屋と違う小沢どんの魅力のような気がする。れんだいこは、保守系出自の小沢どんがここに辿り着いたことに畏敬を覚える。左派系出自のものがいつのまにか国際金融資本奴隷に転じて栄耀栄華を極めているチンケなご時勢に於いてをや。
小沢どんの政治姿勢は、はるけき自民党時代の田中派に在籍していた当時の政治理念である戦後保守本流としてのハト派のそれに回帰しているのではなかろうか。人が幼児期の喜怒哀楽を生涯の母斑とするように、政治の場合には青年期の思想がDNA遺伝子となって刻印され影響を与え続けるのではなかろうか。小沢どんは政治的流浪の果てに角栄政治に戻ったのではなかろうか。これを俗に先祖返りと云う。
かの時、小沢どんが師匠として崇めた田中角栄こそは、世の金権批判の汚名を取り外せば見えてくるのはまばゆいばかりの戦後保守本流としてのハト派政治の総帥にして権化であった。この政治を真っ向から否定する現代国際金融資本の意向により、この真価が貶され続けているが、戦後保守本流としてのハト派政治こそが戦後日本を牽引し、1970年代に於いて世界の羨む日本を建設してきたのではなかったか。今日の日本の惨状に照らす時、このことを何度強調しても足りることはない。
見よかの時代を。日本国憲法に則り国債発行を原則的に禁止していた。当然、現在の如くに国債の累積債務に怯えることもなかった。消費税なる悪税もなかった。即ち国債も消費税もない軍事費もGNP1%枠の健全財政国家であった。国家財政は、景気循環の好景気を呼び込むことで法人税、所得税等の利益から徴収される直接税収入で賄われ、利益と関係なく徴収される間接税に依拠をすることはなかった。その為に、あらゆる法と慣習と情念が経済的発展を生み出すようメカニズムされ、高度経済成長型の歯車が上手く噛み合っていた。内需拡大による利益の余剰金が世界に対する経済援助額を増やしつつあった。それは憲法の指し示す国際協調と平和の理念に添う形のものであり諸外国から感謝されていた。経営側と労働側の利益分配率も今日ほどかけ離れておらず、何より経営者の報酬額も労働者側から見てまま納得できる範囲のものであった。企業の業績良好が雇用を生み、今日の如くに失業者、生活保護者を生み出していなかった。雇用と医療と年金が制度的に確立されており、額に汗して働く者への労働対価報酬にはそれなりの合理性が宿されていた。定年を迎えた者には長年の労働の功に報いる安堵の生活が保障されていた。一言で云えば、角栄が著した日本列島改造論の先取りであり、そのひながたが既に実践されていた。日本社会に一億総中流の夢があった。これらに比すれば思え今の時代を。
小沢どんは、かの時代の善政をかく見据え、かの時代の如くの政治を再生させることに覚醒したのではなかろうか。小沢どんが自民党時代の全盛期に於いては、当時の中曽根政治とは違う政治の型を追及していたとはいえ、大きく見れば国際金融資本帝国主義の意向との妥協産物的政治に終始していた。小沢どんの政治手法の変化の時期ははっきりしないが、恐らく2003(平成15)年の自由党の民主党との合併以降の、2006(平成18)年、第6代民主党代表に選出されて以降より顕著になったのではなかろうか。この流れの中から2009衆院選時のマニュフェストが生まれる。2009衆院選時のマニュフェストは、個々の政策評価よりマニュフェストに貫かれている政治思想の方が注目されてしかるべきだろう。
制度は時代に合わなくなれば反故されるが思想はそういうものではない、否むしろますます磨かれ時代に合わせて適用される。そういう意味で、小沢政治は古くなるのではなくますます真価を究められようとしており、凡百の政論家が云うような「小沢時代の終り」を迎えている訳ではない。「小沢時代の終り」なる弁は、彼らの飼い主の指令に基づくものであり彼らの願望に過ぎない。そもそも「小沢時代」そのものが未完のままなのであり、未完のものは成就を求めて追求されるのが常態であろう。よしんば肉体的な小沢時代が終ることがあるとしても、小沢政治が再生させようとした政治の灯火は受け継がれていくものであり、そういう意味で存命し続けるべきものである。
もとへ。こうして、日本政治史上に日本初の在地土着的左派的な生活党が登場した意義は大きい。これを成し遂げたのが小沢どんであり、その思想を共有する同志たちである。ここに生活党の大きな魅力がある。当の当人たちが思っている以上に生活党の歴史的意義は高い。生活党の立ち上げにより、日本の従来の左派まがいの社会党、社民党、共産党は不要とさえなった。本来は生活党内の分派として存在すれば良いだけのものである。にも拘わらず生活党を目の敵にする社民党、共産党なるものが存在するとするならば、その党の党中央の異邦人性を疑惑せねばならない。良からぬ企みを持って党中央に登壇し占拠している国際金融資本の廻し者と的確に認識し、弾劾、放逐すべきだろう。
小沢派の主導的な奮闘により2009政権交代が成就した。しかしながら待ち受けていたものは小沢派封殺でありマニュフェスト反故政治であった。その3年有余の拙ない民主党政権の果てに意図的故意に元の黙阿弥の自公政権へと政権奉還させた。早速に安倍政権が登場し国家財政の大判振る舞いに興じているがろくなことにはなるまい。次に石破政権が待ち受けているようだが俗に踏んだり蹴ったりの悲惨に遭うであろう。この程度のことは見えぬ先から予見できる。
結局、先の細川政権と云い、こたびの民主党政権と云いお粗末な結果にされてしまった。但し試練は人と政治を鍛える。三度目の正直と云う言葉もある。生活党は見果てぬ夢を求める権利を掌中にしている。民主党の党的瓦解を尻目に生活党は何度踏みつけられても起き上がるし起き上がらざるを得ないであろう。なぜならそこに振り子の如く立ち戻らざるを得ない政治の要諦があるから。れんだいこはそう考えている。
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