http://www.asyura2.com/13/nihon31/msg/703.html
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死刑を執行された二人のうち、5人の女性を殺したとされる鎌田安利死刑囚の“有罪”には疑問を提示できる。
念のため、蒲田死刑囚が殺人を犯していないという主張ではなく、検察官や裁判官の有罪論拠が脆弱で有罪とできるほどの証拠がないというものである。
ざっくり言えば、最高裁で確定した蒲田死刑囚の死刑判決は、公判で無罪を主張し続けた蒲田死刑囚が強要されたものと否定した自白調書のみを根拠としており、物証もないまま、特殊な状況に身を置いたある時期の自白内容のみで死刑になってしまったと言える。
蒲田死刑囚を有罪とした証拠のなかで物証と言える唯一のものは、警察に送り届けられていた「挑戦状」に付いていた指紋との“一致”である。
二番目に転載している毎日新聞の記事に、「鎌田安利死刑囚(75)は1995年、大阪府警に窃盗容疑で逮捕された。85年に大阪府富田林市の女性(当時19歳)が殺害された事件で、遺体発見から3カ月後に犯人しか知り得ない内容を含んだ手紙を捜査本部のあった奈良県警高田署長宛てに送付。窃盗事件の捜査の過程で、手紙に残された指紋が鎌田死刑囚と一致し、逮捕の決め手になった」とある。
しかし、手紙に残されていた指紋と鎌田死刑囚の指紋と一致しているとしたら、蒲田死刑囚は「5人の女性連続殺人犯」ではなく、多くても2人の女性連続殺人犯で有罪になっていたはずである。(19歳の少女とその一ヶ月前に殺された家出中の主婦(46歳)の二人)
というのは、85年の19歳少女(知的障害者施設を抜け出し通天閣界隈で遊んでいた)殺害事件では、グリコ森永事件で有名になった「怪人22面相」の署名入りで挑戦状が奈良県警高田署の署長に送られているが、蒲田死刑囚は、自分にも疑いを向けられていることを知り(行きつけのスナックで聞き込みがあったことで)、「東京に行っていて犯行は不可能」と言う説明と新幹線の使用済み切符を同封した釈明状を実名で警察に送っているからである。
このような経緯は、警察が85年時点で蒲田死刑囚の指紋を採取でき、「怪人22面相」の署名入り挑戦状の封筒に付いていた指紋と照合できることを意味する。
仮に、封筒と新幹線切符から指紋を採取できなければ(指紋を隠すあやしい行為)、実名で送ってきたものであり、捜査の対象にもなっていたのだから、あとからでも蒲田死刑囚の指紋を採取することはできる。
蒲田死刑囚が、追及が自身に及ぶことを避けるため、他人の切符を使い、釈明状の発送も他人にすべてやってもらっていれば別人の指紋が警察に採取されることになるが、「怪人22面相」名義ではなく実名だから、警察が事実の確認に動けばわざわざ行ったウソの釈明がばれるというリスクがある。
※ また、「怪人22面相」の挑戦状から採取できた指紋は、当時の鑑識技術ではきちんと特定できない部分的なものだともされていた。(その指紋が送り主のものとは言えないが)
それならなお、捜査の対象になった人物から書状が送られてくるという格好の機会を得たのだから、警察は部分的で曖昧な指紋と蒲田死刑囚の指紋をいろいろな角度から照合したであろう。
このような理由で、蒲田死刑囚が95年に窃盗容疑で逮捕されたときにわかった指紋が、85年に「怪人22面相」署名入り挑戦状の封筒に付いていた指紋と一致したとする“物証”は、証拠力に乏しくこじつけの主張と考える。
(悪意で解釈すれば、85年に蒲田死刑囚が送った釈明状・封筒・新幹線切符から採取した指紋と95年に窃盗罪で逮捕された時に採取された指紋が一致したことをもって“物証”としている可能性がある)
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2人に死刑執行[NHK]
3月25日 9時38分
昭和60年から平成6年にかけて、大阪で小学生を含む5人の女性を相次いで殺害したとして、殺人などの罪で死刑が確定した鎌田安利死刑囚ら、2人の死刑が、25日午前、執行されました。
死刑が執行されたのは、鎌田安利死刑囚(75)と、吉田純子死刑囚(56)の2人です。
鎌田死刑囚は、昭和62年に大阪で、当時小学3年生だった9歳の女の子を殺害したうえ、家族に身代金を要求するなど、昭和60年から平成6年までの間に合わせて5人の女性を殺害したとして、殺人などの罪に問われました。
鎌田死刑囚は無罪を主張しましたが、1審と2審は死刑を言い渡し、平成17年に最高裁判所が「わいせつ目的や借金をめぐるトラブルなど身勝手な動機で5人もの女性を殺害した、あまりにも悪質な犯行だ」として上告を退け、死刑が確定していました。
吉田死刑囚は、平成10年から11年にかけて福岡県で、看護師仲間の女3人とともに、仲間の夫2人を薬物で眠らせて、血管に空気を注射するなどして殺害し、6700万円余りの保険金をだまし取ったとして、殺人や詐欺などの罪に問われました。
吉田死刑囚は「犯行を主導したのは自分ではなかった」と主張しましたが、1審と2審はいずれも死刑を言い渡し、平成22年に最高裁判所が「医療の知識と経験を悪用した犯行で、首謀者であることは明らかだ」として上告を退け、死刑が確定していました。
この事件で、吉田死刑囚とともに起訴された仲間の3人のうち、1人は1審の途中で死亡し、残りの2人は無期懲役と懲役17年の判決が確定しています。
第2次安倍内閣以降で死刑が執行されたのは、去年12月以来、9回目で、合わせて16人になりました。
岩城法相「慎重な検討経て命令発した」
岩城法務大臣は臨時の記者会見で、「この2つの事件は、誠に身勝手な理由から被害者の尊い人命を奪った、極めて残忍な事案であり、被害者や遺族の方々にとって無念このうえない事件だと思う。死刑執行に関しては、個々の事案につき、関係記録を十分に精査し、刑の執行停止、再審事由の有無などについて慎重に検討し、これらの事由などがないと認められた場合に初めて死刑執行命令を発することとしており、今回も同様の慎重な検討を経て、死刑執行命令を発した」と述べました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160325/k10010455781000.html?utm_int=all_side_ranking-access_002
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<死刑執行>署長に手紙「捕まえてみろ」5人殺害鎌田死刑囚
毎日新聞 3月25日(金)12時7分配信
25日午前に死刑が執行された鎌田安利死刑囚(75)は1995年、大阪府警に窃盗容疑で逮捕された。85年に大阪府富田林市の女性(当時19歳)が殺害された事件で、遺体発見から3カ月後に犯人しか知り得ない内容を含んだ手紙を捜査本部のあった奈良県警高田署長宛てに送付。窃盗事件の捜査の過程で、手紙に残された指紋が鎌田死刑囚と一致し、逮捕の決め手になった。
手紙には「わしがやった。捕まえられるものなら捕まえてみろ」と警察を挑発するような内容が記してあった。
鎌田死刑囚は大阪・奈良両府県警合同捜査本部の調べに、この女性や大阪市の小学3年生の女児(当時9歳)ら9〜45歳の女性5人を殺害したことを認めた。
しかし、公判では「全く覚えがない」「警察官から暴行され、うその自白をした」と否認に転じ、無罪を主張した。大阪地裁は99年、「まれにみる凶悪かつ重大な連続犯行。中でもわずか9歳の女児をためらうことなく殺害した事件は冷酷非道で、死刑はやむを得ない」と5人の殺害を認め、死刑を言い渡した。死刑判決では主文を後回しにするのが通例だが、開廷後すぐに死刑の主文が読み上げられた。
報道機関の取材で鎌田死刑囚の死刑執行を知ったという女児の弟(36)は毎日新聞の取材に応じ、「本当に長かった。しかし、これで姉が生きて戻ってきてくれるわけでもなく複雑です」と語った。
女児は3人きょうだいの次女で、弟は末っ子だった。猫が大好きで、公園で弟とよく遊ぶ面倒見がよい女の子だったという。弟は「事件当時は小学1年で、事件のことがまったく理解できず、お姉ちゃんはいつか帰って来てくれると思っていた」と話した。
10代の頃、鎌田死刑囚が逮捕されたことを知った。「当初は『殺してやりたい』というやり場のない怒りがこみ上げていた。ただ、死刑囚も75歳まで拘置所生活で苦しんだと思う。死刑執行を聞いて、『やった』と喜べる心境でもありません」とうつむいた。
一方、捜査に関わった元捜査員は「(鎌田死刑囚は)逮捕当初の取り調べにはふてくされ、反省するようなそぶりを一切見せなかった。死刑執行は当然で、遺族が少しでも報われればと思う」と話した。【安高晋、遠藤浩二】
最終更新:3月25日(金)14時10分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160325-00000035-mai-soci&pos=2
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「裁判官聞く耳持たず」「日々、懺悔」 死刑執行の2人
朝日新聞デジタル 3月25日(金)13時7分配信
法務省が約3カ月ぶりに2人の死刑を執行した。岩城光英法相は、就任後5カ月余りで2度目の執行となった。執行された2人は死刑廃止団体のアンケートなどに思いを書き残していた。
鎌田安利死刑囚(75)は、大阪市で1985〜94年、女性ばかり5人を殺害した事件で死刑が確定。「警察庁指定122号事件」だった。
鎌田死刑囚は公判で無罪を主張。99年の一審・大阪地裁判決は一連の事件を鎌田死刑囚の犯行と判断して死刑を言い渡したが、身代金要求については無罪とした。だが二審・大阪高裁は一審の無罪部分を破棄し、鎌田死刑囚の犯行と認定。最高裁で死刑が確定した。
鎌田死刑囚は市民団体「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」が福島瑞穂参院議員(社民)とともにこれまで3回送ったアンケートに、回答を寄せていた。2008年のアンケートには「法廷で、警察や検察で話したことは真実でないと言っても、裁判官は聞く耳を持たない」と捜査・公判を批判。その後は体調が悪化した様子で、昨年7月の回答には「びょうきで字が思うように書けません。それがいちばんつらい」と記していた。
一方、吉田純子死刑囚(56)は、同じ看護学校に通っていた元看護師3人と共謀し、保険金目的でうち2人の夫を殺害した。
二審判決直前の06年5月、弁護人を通じ報道機関に手記を寄せていた。A4判の便箋(びんせん)4枚につづられた手記では、一審判決で「主犯格」とされたことを否定。「もちつ、もたれつの中、知恵を出し合い、共謀へと及んだ哀(かな)しい結果だったのです」と書いた。「被害者の方々の魂が、どうか、天国で安らかでありますように。心より、お詫(わ)び申し上げます」と結んだ。
吉田死刑囚は「フォーラム90」の11年のアンケートにも「日々、内省と悔悟を胸に刻み、懺悔(ざんげ)の祈りを捧げております」と書いていた。(金子元希)
朝日新聞社
最終更新:3月25日(金)13時32分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160325-00000032-asahi-soci
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