ライブドアニュース 日航機墜落から33年前 新たに得られた事実をもとに疑惑を再提示 2018年7月27日 8時38分 https://news.livedoor.com/article/detail/15069751/ ざっくり言うと
✔520人が犠牲になった日航機墜落事故から、2018年で33回目の夏を迎える ✔当時日航のスチュワーデスだった青山透子氏は、事故に疑惑を持ち続けている ✔関係者などから集めた新証言や証拠を著書に記し、疑惑を再提示している ↓
提供社の都合により、削除されました。 ☚(何でよ??) 概要のみ掲載しております。 ************************** 「日航123便墜落の波紋ー天空の星たちへ」公式ブログ
1985年に起きた日航123便墜落事故を、当時日本航空スチュワーデスとして勤務していた著者・青山透子が、事故の真相を追い求めて綴ったノンフィクション 2014-03-06 http://tenku123.hateblo.jp/entry/2014/03/06/182129(全文) 公式サイトをお読み頂いた皆様へ 青山透子より 出版から4年間、今まで沢山の書き込みや情報提供、様々なモノをお送りくださいまして、本当に有難うございました。公式サイトを通じて、例えば、正義感溢れる自衛隊員の方、医師、看護士、上野村の人々、目撃者、当時の政治家等、実に多くの方々とお会いする機会に恵まれました。さらに50名以上の書き込み(公開、非公開も含めて)、380名以上の方々による「当時の状況、自分が見たもの、自分の経験談」を読ませて頂きました。ちょうど良い機会でしたのでそれらをまとめてみました。
当然のことながら、現場の皆さんの声としては「一生懸命救助したかった、一生懸命探したかった、命をもっと多く救いたかった」という人たちです。そしてあの日、あの夜、なぜ?こんなことを?という多くの疑問と苦悩の声です。 ちょっと皆様とご一緒にその「なぜ」について、考えてみましょう。 @ 災害派遣待機命令が発令されたが、その後出動ではなく中止命令が出たのはなぜか
A 8月12日、夜23時頃、一番先に捜索のため到着した機動隊員32名の案内を頼まれた地元民たちに対して、道案内を頼んでおきながら機動隊員から 「その場所は違う、こっちだ」と根拠のない主張をされた。 墜落現場はスゲノ沢だと言うと 「いいやそこではない、中ノ沢だ、上官の命令だ」と強く言われた。 人にものを頼んでおきながら命令とはどういうことか? なぜ地元の土地に詳しい人の意見をわざと無視したのか? B なぜ一番先に到着した機動隊員は、わざと足が遅く、ゆっくり歩くのか、 おかげで、倍の時間がかかり、夜明けまで墜落現場にたどり着けなかった C 夜中、ヘリが墜落現場上空にずっとホバリングして、モノの上げ下げをしていたが、何をそんなに急いで上げ下げしていたのか D 後からの幹部の発表では、一機たりとも危なくてヘリを飛ばしていないというが、 事故当夜、私たちが目撃した墜落現場上空にいた多数のヘリは、亡霊か? E 自衛隊ヘリの合図を頼りに墜落現場まで行けると歩いたら、 結局全く違った場所に連れていかれたのはなぜか F 自衛隊による墜落現場特定が遅くなったことについて、 山下運輸大臣や自衛隊幹部が 「夜間用照明がなかった」とか「険しい山に仰天した、危ないから」とか、 夜に救助出来なかった理由をテレビや雑誌で反論した。 しかし、敵の侵略や戦闘は夜行うもので、その為に山奥で過酷な訓練をしてきた。 夜にヘリを出せないならば、いつ自衛するのか? 自分たちは夜に十分動けるための訓練を行ってきたのだから、プロとしての自衛官 を馬鹿にするような発言するとは情けない。それでも幹部か? G なぜ墜落場所を地元民や黒澤村長が伝えても報道は聞き入れなかったのか 特に13日早朝、地元では当然御巣鷹の尾根とわかっているのに、まだNHKでは、小倉山と報道し続けていて、呆れた地元民が、NHKの記者を怒鳴りつけた H なぜ一生懸命生存者を救助したのに、山頂に4時間近く生存者が放置されたのか I なぜ生存者を収容したヘリで、5分もかからない救急病院に行くのに、無線が故障と 言って30分以上、上空を旋回し続けたのか J 4人も救助したと美談になっていたが、遺体状況からみて、つい先ほどまで生存して いたと思われる人たちが100名ぐらいはいたはずである K 自分はゼロ戦の指導教官だったが、戦時中でさえ場所は特定できた。 あの程度の山でましてや、1985年に墜落場所を測定出来ないわけがない。 パイロットを馬鹿にするな 以上、主なものだけですが、もっともっとたくさんありました。 なお重要な内容について、本人の了解を得たものについては航空関係者や研究者、関心のある政治家、そして一部の遺族の方に、いろいろなつながりを通じて、すでに書類や直接お会いして全てお話をし、お伝えしました。 その中で実はもう一つ、公人としての振る舞いで、ビックリしたことがあります。公人であった時期については公にするのが当然ですので、ここで皆さんとその情報を共有したいと思います。 続きははた明日・・・。 同じブログ
2014-03-01から1ヶ月間の記事一覧 http://tenku123.hateblo.jp/archive/2014/3 2015-01-01から1年間の記事一覧 http://tenku123.hateblo.jp/archive/2015 2016-01-01から1年間の記事一覧 http://tenku123.hateblo.jp/archive/2016 2017-01-01から1年間の記事一覧 http://tenku123.hateblo.jp/archive/2017 2018-01-01から1年間の記事一覧 http://tenku123.hateblo.jp/archive/2018 2019-01-01から1年間の記事一覧 http://tenku123.hateblo.jp/archive/2019 (記事一覧から一つ紹介) 2019-08-16
ならぬことはならぬものです―会津藩士の言葉から学ぶ 青山透子 http://tenku123.hateblo.jp/entry/2019/08/16/110827(抜粋) ならぬことはならぬものです―会津藩士の言葉から学ぶ
●今年の8月12日の日航123便に関する報道は例年とは異なっていたのを皆さんはお気づきだっただろうか。
まず、各局のテレビ報道では、今まで枕詞として当たり前のように「墜落原因は後部圧力隔壁破壊による」と言っていた言葉が全く出てこなかった。むしろ、事故時の映像として、墜落現場で朝まで燃えている炎の場面をクローズアップしたり、機長のボイスレコーダーの声とともに、生のボイスレコーダーの映像が出たりした。これは34年目にして大きな進展であり、大変重要なポイントである。 新聞報道では、大手新聞は例年通りの精霊流しや登山風景だったが、墜落現場の群馬県の上毛新聞は気骨溢れる記事であった。特にシンポジウムを行った翌日の2019年7月17日付では、「再調査」という文字が34年目にして見出しとなり、その内容にも自衛隊という文字が入って画期的であった。群馬県の新聞としての責任と義務の現れであろう。さらに14日付では、赤坂日航社長と再調査を求める遺族の談話もあり、「事実見直し続ける努力をし続ける」として追加記事が出ていた。これは大変重要なことである。ただ、記事の中で赤坂氏が「相模湾はとても深い」と語っていたことが驚いた。水深160メートルは、深いのか?その認識が技術者とは思えないが、知ってて知らぬふりなのだろうか。念のため、東京タワーは333mとされているが、その半分の深さ、つまりとても浅いのである。 残骸のある所は水深160m、これぐらいは覚えておいてほしい。念のため相模湾で発見された日航機残骸のニュース映像をリンクしておく。 この引き上げについては、また別途記述する。 123便の残骸か…相模湾海底で発見 日航機墜落30年(https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000056595.html) 各紙に共通だったのは、8.12連絡会事務局長のコメントだけではなく、他のいろいろな遺族の談話を掲載しており、その中で事故原因は後部圧力隔壁破壊という話や事故原因の説明も出てこなかった。ただ朝日新聞のみが、子供相手のような説明記事で、この枕詞を使用していた。しかも、私の新刊本広告が出ている同じページのちょうど上にその記事が出ていたのだが、これは日航123便とは何か、とわざわざ説明して下さったのか、はたまた事故原因は後部圧力隔壁破壊ですよ、と強調したかったのかはわからない。ただ、こちらがお客様としてお金を出している広告の上にその記事をもってきたのならば、せめて、この事故原因では不起訴となって、いまだに犯人はわからない、と説明を加えたほうが子供に正しい情報が伝わっただろう。それでこそ客観性がある報道、というものである。 それにしても34年間、すでに場所がわかっている相模湾に沈んだままの残骸の引き上げや再調査を拒み続け、マイクロフィルムで保存している当時の資料を開示しようとしない国土交通省外局の運輸安全委員会の存在価値は何だろうか。自説(事故調査報告書)への裏付けとなった資料を公開したくない、ということは、そこで書かれてものは偽りの報告書ということになる。 私たちは「ならぬことはならぬものです」と強く言い続けなければ、真の空の安全などは保てない。空の安全とは、この問題を解決してこそ、安全といえるのである。 もう一つ、ならぬことはならぬ、パイロット飲酒事件が起きた。 今回の飲酒事件の顛末は次の通りである。赤坂社長が御巣鷹の尾根で「飲酒問題に陳謝する」会見した2日前の8月10日、鹿児島発羽田行の日航副操縦士からアルコールが検出されていた。しかし、12日の会見ではそのことには一切触れなかった。 これは日本航空の危機管理のなさと不誠実さが暴露された事件である。8月12日に赤坂社長が神妙な面持ちで「皆さまに、日航、何やっているんだ、と言われないように飲酒問題は解決しなければいけない最大の課題」と語っていたが、その時すでに新たな飲酒問題の発生があったにもかかわらず、その場で語らず、謝罪もしなかった。 (以下略)
|