05. 2015年3月18日 06:17:15
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「河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学」 「SOSを出せない子供」とシングルマザーの悲しい関係“自立”だけにこだわる貧困対策には限界がある 2015年3月17日(火) 河合 薫 川崎市の多摩川河川敷で起きた残忍な事件。殺害された中学1年の上村遼太君(13)の母親が出したコメントが話題になっている。以下に一部を載せる(全文はこちら)。 「中学校1年生で、まだまだあどけなく、甘えてくることもありましたが、仕事が忙しかった私に代わって、進んで下の兄弟たちの面倒を見てくれました。 遼太が学校に行くよりも前に私が出勤しなければならず、また、遅い時間に帰宅するので、遼太が日中、何をしているのか十分に把握することができていませんでした。 家の中ではいたって元気であったため、私も学校に行かない理由を十分な時間をとって話し合うことができませんでした。 今思えば、遼太は、私や家族に心配や迷惑をかけまいと、必死に平静を装っていたのだと思います」――。 このコメントが出された背景には、事件直後から母親に厳しい目が向けられたことがあったのだと個人的には考えている。
「母親はちょっと無責任なんじゃない?」 「顔にアザをつくっているのに、放っておくってどうなの?」 「学校に行ってなくて、先生も訪問にきたっていうのにおかしくない?」 「ネグレクト。ネグレクトでしょ?」 といったコメントがネットで飛び交い、著名な識者までもが週刊誌のコラムで母親を叱りつけた。 何か起きる度に憎むべき対象を見つけ“場外”から石を投げる。お決まりの構図だ。 そうやって責め立てていた人たちが、母親の“ナマの声”が出た途端、手の平を返す。 「これがシングルマザーの実態なんですよね〜」 眉間にシワを寄せたワイドショーのキャスターたちが、「なんて気の毒なんだろう?」と上から目線で深いため息をつき、画面にはモザイクをかけられたシングルマザーが映し出される。彼女たちの多忙すぎる日常と、それを支える子供の健気さをまるでドラマのように描き、夜遅くに帰宅した母親とわずかな食費で工夫して作られた晩ご飯を「美味しいね」と笑顔で食べる母子に同情を煽る。 で、再び似たような事件が起きると、 「二度とこういうことが起きないように」 「周りのオトナたちは、子供のサインにもっと気づかなくては」 「学校と地域が協力して、何とかする制度を作らなければ」 と、“ごもっとも”なご意見ばかりを繰り返す。 これって何? いったい何なのだろう? もちろん、既存の制度(スクールソーシャルワーカーなど)が残念ながら上手く機能しなかったことを、再度検証する必要はある。 だが、二度と、ホントに二度とこんな事件が起こらないようにと願うなら、母親のコメントを徹底的に取り上げ、問題提起すべき。だって、母親のコメントほど、母子家庭の問題を如実に表したものはないじゃないか。 「学校に行くよりも前に私が出勤しなければならず、遅い時間に帰宅するため、日中、何をしているのか十分に把握することができなかった」という状態は、 「ひとり親家庭の54.6%が経済的に普通の暮らしが困難とされる『相対的貧困』層で、母子世帯の84.8%が『生活が苦しい』と訴えている(2013年国民生活基礎調査)」という数字の“日常”そのものなのである。 日本の母子家庭の母親の就業率は、84.5%と先進国の中でもっとも高い。にも関わらず、突出して貧困率が高く、アメリカ36%、フランス12%、イギリス7%に対して、日本は58%と半数を超えている(OECDの報告より)。 どんな数字よりも、母親のコメントのほうが説得力がある。「それワークライフバランスだ! それ3年間だっこし放題だ!」というのであれば、働いても働いてもいっこうに生活が楽にならず、子供と向き合う時間もないシングルマザーたちにもスポットライトを当てるべきだ。 毎日新聞では、「川崎中1殺害:ひとり親 支え不可欠…上村さん母の苦悩」という見出しで取り上げ、支えになるのは「ママ友」と報じた。記事に登場するシングルマザーが、「理想は『地域で育てる』でも、知らない子や親に声をかけるのは難しい。家庭環境を分かり合えているママ友の存在は大きい」と語っていたから、そう書いたのだろうけど、ママ友の支援で解決できる問題なのか? 無理。120%無理。子供と向き合う時間もない母親に、どうやってママ友を作れというのだろう。申し訳ないけど私には分からない。ちっとも、理解できない。 「母子家庭の貧困って、ものすごく見えづらい。だから周りも支援するのが難しいんですよ」 小学校の先生をやっている友人が、こう話していたことがある。 そこで今回は、「見えない貧困」について考えてみようと思う。 母子家庭の貧困は外からは分かりにくい 「クラスに学力の低い生徒がいて、進路指導をするのに母親に何度も連絡を取ったんです。ところが、面談を何度約束しても『急に仕事が入った』とドタキャンするし、家庭訪問の約束を取り付けようとしても、『都合が悪い』の一点張りだった。ところが、歯科検診を担当した医師の指摘がきっかけで、母親の状況が分かりました」 「半年前の検診で子供にひどい虫歯があったので、治療するようにって伝えていたらしいんです。ところが全く病院に行った様子がない。それで歯科医から『本人も痛がっているのに放置しているのはおかしい。家庭に問題があるかもしれない』って言われたんです。それでいろいろと調べてみたら、母親が2つの仕事を掛け持ちして、生活もかなり困窮していた。とてもじゃないけど、子供が勉強できるような家庭環境じゃありませんでした」 「でも、子供はその気配すら感じさせなかった。子供って、学校で見せる顔と家で見せる顔を、ちゃんと使い分けているんです。よく子供のSOSに気付けっていう言うけど、子供はそんな簡単にSOSを出さない。私の教師としての資質が足りないと言われてしまえばそれまでなんですけど……。実際にはSOSを出す子供より、出せない子供のほうが問題は深刻なのかもしれません」 子供がSOSを出さないこともある 子供のSOS――。凄惨な事件などが起きる度に、繰り返されるフレーズである。「子供のSOSを見逃さないようにしなきゃ」。そう誰もが訴える。 だが、私も彼女と同意見だ。つまり、子供ってSOSを出さないケースのほうが多いんじゃないかと。異論反論があるかもしれない。でも、やっぱり出さないと思う。だって私がそうだったから。全くもってレベルの違う話なのだが、私もしんどかったとき、SOSを出さなかった。いや、出せなかったのだ。 事件は、中学校である朝起きた。学校に行ったら、上履きがビリビリに破かれていたのだ。 当時、私は“アメリカ帰り”。帰国子女なんて言葉が一般的ではなく、毎日のように同級生が私を見物にくるほど、珍しい存在だったのである。 そんな中、上履き事件が起きた。 おそらく目立っていた私を、面白く思わない生徒がいたのだと思う。上履きを見たときのショックといったら、とてつもなく大きすぎて、言葉にもできないほどだった。誰がやったのかも分からない。「アメリカ帰りふざけるな!」「調子にのるな!」と、サインペンで書かれ、引き裂かれた上履きにただただ呆然とし、どうしていいかも分からなかった。 ちょうど時を同じくして、母親が長期間入院することになった。父は単身赴任していて、留守番をする高校生の兄と私を母は案じ、心配していたのだが、私はひたすら「大ジョウブ!」と明るく笑っていたのだ。 ホントは不安だらけで、上履き事件のことを母にも言いたかったのに、言えなかった。 中学生は、オトナから見れば、まだまだ子供だ。だが“自分”は、十分「オトナ」だと思っていたし、心配をかけたくなかった。 いや、心配をかけたくない、という気持ちとはちょっと違う。オトナになってしまった私には理解できない、“子供のときの私”の気持ちが、そうさせたのである。 おそらく遼太君も同じだ。「必死に平静を装っていた」のだ。その笑顔を、肉体的にも精神的にもギリギリで、生きるのに精一杯の母親は、信じよう、信じていいんだよ、と自分に言い聞かせた。母親自身も「どうしてこんなに働いているのに、楽にならないのだろう」なんて疑問をもつ余裕もなければ、「子供と向き合える余裕がない」と不満をもらす余裕もない。だから必死で言い聞かせた。信じていいんだよ、と。 表に出てこないのが最大の問題 それ以上に母親たちは分かっているのだ。自分の置かれている状況を他人に話したところで、何の足しにもならないってことを。自分が惨めになるだけ。ましてや、子供がそのことで変な目で見られたり、いじめられたりしたら困る。 声にならない声。表に出てこない貧困――。これが、シングルマザーの貧困の最大の問題なのだ。 実際、女性の貧困が表面化したのは、2008年に「女性と貧困ネットワーク」が立ち上がったことがきっかけだとされている。 「……男性の扶養に入らないシングルマザーたちの経済的困難は、事実上この日本社会の中で放置されてきました。……『女・子どもを養うことができない』男性の貧困は顕わになりましたが、『女性』が『貧困』であるということは、当初マス・メディアからも、ほとんど注目されませんでした。それならばと自ら声を上げ、誕生したのが、このネットワークです」(女性と貧困ネットワークHP “設立理念”より) ※女性と貧困ネットワークは2012年10月に活動を停止させている。 その後、さまざまな機関が調査を実施し、 「仕事で疲れ切ってしまい家事や育児等ができなかった」と77.2%が答え、 「仕事の時間が長すぎて家事や育児を果たす事が難しい」と61.3%が答えていることが明らかになった(『子どものいる世帯の生活状況および保護者の就業に関する調査』(独立行政法人 労働政策研究・研修機構(JILPT))。 また、シングルマザーたちの貧困の原因は、全体の半数以上を占める非正規雇用だとされているが、「母子家庭では非正社員で働く母親の8割は正社員の就業を希望しているが、今後 3〜5年の間に転換を希望している人はその半数にも満たない」ことなども明らかになっている(「正社員就業がなぜ希望されないのか」(JILPT))。 つまり、当事者であるシングルマザーたちは「正社員になりたいです。でも……」と躊躇しているにも関わらず、「正社員化=脱貧困」という流れだけ取り沙汰され、就業・自立支援政策ばかりが加速している。 何も正社員化が悪いと言っているわけじゃない。だが、非正規で働いている女性たちの中には、バリバリ働く正社員の女性たちを見て、「私には、そんなパワーも能力もないから無理」と思っている人が想像以上に多い。特に、中卒や高卒の人ほどその傾向が高い。 安倍首相は格差を否定するけれど… 政府は来月からは、高校卒業資格の取得などを目指すシングルマザーらの「学び直し」を重視し、講座受講のための費用を補助する制度を新たに始める予定だが、子供と向き合う時間すら取れないシングルマザーたちが、どうやって「学び直す」時間を作ればいいのだろうか。 だいたい転職の相談に行きたくても、平日の昼間に仕事を休んで相談に行くことすらできないわけで。どんなに正社員になりたくても、正社員になるには学歴やスキル習得が必要だとどんなに言われても、今を生きるのが精一杯の母親たちは、明日の食事のために会社に行く。それが現実。そう、これが現実なのだ。 先月、国会で民主党新代表の岡田克也氏が、「国民の間に格差が広がっていることを認めるべきだ」としたのに対し、安倍首相は、「許容できない程の格差は確認されていない」とし、以下のように回答した。 「母子家庭が貧困になっていることは認識している。一人親の家庭にスポットをあてながら、自立できるように応援してゆきたい。貧困によって教育の機会が失われる日本にしてはいけない。無利子の奨学金をしっかりと必要な人に渡るようにしていきたい」 自立――「他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること」(大辞泉)。 働けど働けど楽にならず、子供と向き合う時間も持てない母親は、自立していないのか? 自立した結果、貧困の蜘蛛の巣から抜けられなくなったんじゃないのか? シングルマザーの貧困は、自立の問題なんかじゃない。政治の問題。うん。政治の問題なのだ。 イギリスで貧困が減少したワケ イギリスは1990年代半ばから2000年代半ばにかけて貧困が減少した世界でも数少ない国で、それを可能にしたのが、ブレア政権が断行した、母子家庭政策の改革である。 この改革を一言でいえば、“シングルマザーのワークライフバランス”。すなわち、働くシングルマザーたちの仕事と育児が両立できる環境を、徹底的に整備したのだ。 まず最初に手をつけたのが、5歳未満の子供を預かる全日制の保育所(=学童保育)。小学校の施設を利用し、民営化することで、コストを大幅に削減した。その上で、サービスの質に差が出たり、利用可能な層が限定されないように、監査機能の強化を行い、保育サービス事業拡大と併せて経済的負担軽減策を実行した。 さらに「働くことが割に合う」ようにという基本理念のもと、最低賃金制度を導入し、タックス・クレジット(収入が一定水準に満たない人は税金を納めず、逆に給付金を受け取れる制度)の導入と拡大や、児童手当の引き上げなども実施。 就労インセンティブのある給付つき税額控除を導入する国は他にも存在するが、イギリスでは低所得の有子世帯に対する単なる所得保障にとどまらず、保育サービスに必要な費用そのものをターゲットとしている点に特徴がある。 こういった就学前の子どもとその親に対する包括的かつ総合的な取り組みの結果、1990年代初めには稀な保育形態だった学童保育が、ブレア政権期に事業者数で約4倍、定員数で約4.5倍にまで激増した。貧困世帯で暮らす子どもの数は2005年度には280万人となり、1998年度より60万人減少したのだ。 とはいえ、これらの政策では限界があることも分かり、ブレア政権後期からは「同一価値労働同一賃金」の原則に基づく法制度の拡充を進め、雇用形態や性別、学歴による格差是正に取り組んでいるのである。 「おいおい、また政権批判かよ」「子育てもしてないお気楽シングルが何言ってるんだ」と、口を尖らせている人たちもいることだろう。でも、イギリスの前例は見習う価値が大いにある。ん、何?「自立できるよう応援する」とは、「なぁ〜んにも考えてません」って意味だって? ま、まさかね……。 このコラムについて 河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学 上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。
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