今更だけど、(警察の不手際は言語道断にしても)この事件では、江川紹子と例の自称音楽家「八木」の不気味さが記憶に残る。 PCを遠隔操作された冤罪で、大学を退学になったり、犯罪者として取り調べを受けた冤罪被害者が複数存在するのに対し、江川と八木は、そんな冤罪被害者たちそっちのけで、片山懲役囚(本ボシ)を徹底養護した。 まず、この二人はTORの匿名性を前提にしてロジックを展開していたので、その土台自体が誤りであったのだけど、とりわけ八木は、狂ったような警察批判を繰り返し、警察があまり好きではない(特に交通警察が)私でさえ、その狂気と毒気に「正気を失った何か」を当時は感じさせられたものだ。 このことについてはいろいろ考えたのだけれど、例えば、片山と江川、八木が共に半島系であったり、利益誘導があったり、あるいは、統一教会のようなカルト宗教団体の仲間であったとしたら、このような構図に納得がいっただろうと思う。 特に八木について、そのような印象を強く受けたと記憶するが、自称音楽家(音楽家崩れ)のカルト狂信者が、同じカルト信者(片山)を守るためにブログで激しい警察批判を行う、そうして、そのブログで同じ統一教会の複数の信者が、沢山の賛同コメントを寄せる、という構図があったとしたならば、それは「どこかで見たような」既視感に襲われるような構図だったと言えるだろう。 むろん、そのような構図が存在したならば、前記の「狂気と毒気」の源泉がどこかにあるかは明らかだが、一般国民の中には、江川や八木が「社会正義」や「公正・公平な社会」のために発言を行ったと勘違いしたものも少なくなかったはずだ。 私がこの二人に対して非常な異常さや邪悪さの可能性を感じるのはそのような麺だし、彼女たちが、そのような、真に「社会正義」や「公正・公平な社会」のために発言を行うジャーナリストとして活動をしていることを偽装してきたように感じるからだ。 なんの事はない、実のところ、彼女たち(とりわけ八木)は、ワンサイドでボコボコにできるサンドバックをハイエナのような嗅覚で見つけ出し、そして、実際に、(ヘッドバンキングせんばかりに)狂ったように、全力で攻撃を繰り返したに過ぎないのである。 まず、それはTORの匿名性に由来することだ。 つまり、TORなんてものの通信経路は片山の事件当時、すでに傍受されていたが、TORを悪用して犯罪行為を行う輩どもは、警察にとっては道路交通の違反スポットに引っかかってくれるドライバーのような存在だったのである。 TORの匿名性なんかなかったが、警察でも傍受できないような演技をすることにより、馬鹿が自然に引っかかってくれる「犯罪者ホイホイ」なのであり、警察にとっては「非常にありがたい存在」であったことは想像に難くない。 対して、八木あたりは、警察内のカルト細胞などからこのパラダイムについての情報を仕入れ、それが、狂ったような「片山養護」と「警察批判」につながった可能性が高い。 人間、自分が有利な立場に立っていると認識すると、本性をあらわにしがちだ。そのような構図に、統一教会のようなカルト宗教団体の信者であることが重なると、言わずもがなの事態となることは必定だろう。 それにしても、江川と八木は、様々な事件が連日のように発生している昨今、なぜ、わざわざ片山懲役囚の擁護、および警察批判を行ったのだろうか? そのことについてはすでに書いた。 江川と八木は、統一教会というカルト宗教団体の信者、あるいはカルトから利益誘導を受けた人物である。 それでは、彼女たちの勝算はどこにあったのだろうか? それは、本当にTORに匿名性が確立されていると信じている「文系馬鹿」であるか、警察内の細胞からTORの匿名性についての「演技」についての情報を仕入れ、ハイエナのようにそれに食いついたかのいずれ価値に違いないだろう。 しかし、片山のツラを見て、誰がこいつに共感するのだろう? 典型的なカルト顔であり、知恵遅れのようであり、エプシロン階級そのままといった案配だ。 江川と八木は同じカルト仲間だから親近感を感じるのだろうが、気質の一般女性にとっては、このキモい片山にチンポコをねじ込まれるような事態は「自殺に値する」に違いないだろう。 すなわち、江川と八木が積極的に片山を養護するようなポジション事態が疑わしい、という客観的な見方をされるということを自覚しなかったのだけれど、それも、二人が狂信者であるが故だろうと思う。 なんにしても、ハイエナのような輩共が、国民を騙し、ジャーナリストとして「社会正義」や「公正・公平な社会」のために活動をしているように偽装するようなことは、邪悪かつ悪質な行為であり、ジャーナリストとしての資質を疑問視せざるを得ないだろう。 また、「文系馬鹿」であったケースにおいても同様に、ジャーナリストとしては完全に「能力不足」だ。
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