01. 2014年12月02日 20:49:30
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被害者女性は「一生、刑務所から出さないで」と泣いた「エイズ感染」告知後に5人をレイプ 失意が生んだ戦慄の犯行手口 それは、あまりにも身勝手な犯行動機だった。HIVに感染していることを知り、将来を悲観し自暴自棄になった男が、見知らぬ女性5人を強姦—。前代未聞のレイプ事件の一部始終を記す。そのまま膣内に 〈被害者らが感じた恐怖と絶望と屈辱は、想像を絶するものがある〉(判決文より) 11月14日、横浜地裁で一つの判決が下された。被告人は三木英夫(49歳)。罪状は強姦、強姦致傷、住居侵入、窃盗で、懲役23年の実刑判決だった。 三木は5人の見知らぬ女性を次々と強姦した後、金品を盗んだ容疑で神奈川県警に逮捕されていた。 5人の女性をレイプ、その事実だけでも十分すぎるほど非道だが、今回の事件では、さらにそれを超える「特殊な事情」が逮捕後、明らかになっている。 三木はエイズウイルス(HIV)に感染していた—。 しかもそのことを知っていながらレイプに及んでいたのである。 事件を取材した全国紙記者が語る。 「自身がHIVに感染していることを認識していながら、無差別に女性をレイプするなんて、国内では前代未聞です。 しかし、この事件はテレビも新聞もほとんど報道していません。被害者への配慮というのがタテマエですが、『あまりにショッキングで、扱えない』というのが正直なところでした」 三木が最初に犯行に及んだのは、'12年7月8日のことだった。 被害者は横浜市内のマンションで一人暮らしをしていたA子さん(当時21歳)。 午前2時頃、無施錠の玄関から堂々と侵入した三木は、寝ているA子さんの口を手で塞ぎ、そのまま首元から肩付近を押さえつけ、こう脅した。 「静かにしろ。騒ぐと殺すぞ」 三木は、恐怖で身動きができないA子さんに対して、さらにこう続けた。 「服を脱げ」 タンクトップを脱がせ、それを彼女の顔面に巻きつけて目隠しする。視界を遮られ怯えるA子さんを、三木は避妊具すら装着せず、強姦した。 強い痛みを感じたA子さんが「やめて」と懇願したが、三木は「だんだん気持ちよくなってくるから」と卑劣な言葉を発し、彼女の首や足の付け根を押さえつけ、姦淫を続けた。そして、膣内に射精したのである。 A子さんにとって悪夢のような時間は、三木が部屋から立ち去るまで45分間、続いた。 三木が去ったあと、A子さんは下腹部に鈍い痛みを感じた。無理やり挿入されたため、膣壁裂傷を負ってしまったのだ。 検査結果を待つ不安 三木の凶行は続く。8月には藤沢市に住むB子さん(当時22歳)のマンションに、無施錠のベランダから潜入。首をタオルで絞め、両手をそのタオルで縛った後、自らの陰茎を舐めさせ、またしても避妊具を装着せずに行為に及んだ。 さらに三木はC子さん(当時22歳)、D子さん(当時25歳)、E子さん(当時23歳)と、最初の犯行から4ヵ月の間に合計5人もの女性をレイプした。犯行後、財布や現金、下着などを盗んでもいる。 三木は、行為中の動画を携帯電話で撮影しており、一部の被害者には「もし警察に通報したら、この動画をばらまくぞ」と脅し、口止めしていた。 また、性玩具を使って被害者女性の陰部を弄び、肛門や膣にシャワーホースで湯を入れるなどの凌辱行為も行った。三木の犯行は常軌を逸しているとしか言いようがない。 その一方で、三木には計画的な一面も見られた。防犯カメラを避け、犯行後、濡れたタオルで指紋をふき取る隠蔽工作をしている。 捜査関係者が語る。 「三木がシャワーホースを使ったのは、膣内に残った自分の精液を洗い流し、証拠を隠滅しようとしたからだとも取れる。 また三木は一人暮らしの女性のワンルームマンションを事前に探し、無施錠がちな部屋に目星をつけていた。犯行当日、その部屋が無施錠であるかを試し、女性が一人しかいないことを確認した後、強姦に及んでいることから、犯行は計画的だったと考えられる」 裁判では、被害者女性たちが捜査員に語った悲痛な声が公開された。 「電気を暗くすると眠れなくなった。常に不安を抱えて生活しています」 「出歩くときは周囲を極度に警戒してしまう。もう誰とも結婚できないし、友人にも言えない。真っ暗な未来しか描けません」 「私の人生は終わったと思い、いっそ死んでしまおうかとも考えました」 だが、悲劇はそれだけではなかった。この後、被害者たちを、さらにどん底に叩き落とす事実が明らかになる。警察は、電話で彼女たちにこう告げた。 「逮捕後、三木がHIVに感染していることが判明しました。ただちに病院で検査を受けてください」 その時の被害者女性の恐怖と不安を、判決文はこう慮る。 〈被告人が逮捕された後、犯人がHIVに感染していたことを知らされ、検査結果を待つまでの間、ただでさえ強姦被害により相当な精神的苦痛にさいなまれていた被害者らが、どれほどの恐怖と不安を感じたか、その心情は察するに余りある〉 地獄のような恐怖を2度味わわされた被害者女性たちは、三木に対する苛烈な処罰感情を、公判で涙ながらに訴えた。 「私や家族の生活を変えた犯人のことを許すことはできません。一生刑務所に入れておくような厳罰を望みます」 「犯人は世の中に出てきてほしくないし、出てきてはいけないと思います。懲役は、できる限り一番重い期間であってほしい」 検査の結果、被害者女性のなかにHIV感染者はいなかったが、それは不幸中の幸いと言うほかない。危険は十分にあった。 「1回の性交でHIVに感染する確率は決して高くありません。しかし、膣壁裂傷していたとなると話は深刻です。血液感染の可能性も出てくるので、感染の危険性は一気に高くなります」(大阪医療センターHIV/AIDS先端医療開発センター長の白阪琢磨氏) 逮捕後、三木は犯行の動機についてこう供述している。 「自分がHIVに感染していることを知り、残りどれくらい生きられるか不安を抱えていた。エイズウイルスの増殖を抑えるために、薬を飲み続けなくてはならないことが苦痛だった」 だが、こんな理由で見ず知らずの女性を5人も強姦したのは、身勝手以外の何物でもない。 妻と別れた直後の犯行 犯行に及ぶまで、三木はどのような人生を送ってきたのか。 三木の出身は茨城県。群馬県高崎市に移住し、一時期はプロゴルファーを目指していたという。だが、カネに困り、'00年にゴルフ用品販売店に侵入し、クラブなどを盗み逮捕されている。 当時の三木について地元住民はこう振り返る。 「おとなしい普通の青年という感じだったので、窃盗事件を知った時、『えっ、まさかあいつが』と驚いた」 三木の前科はこれだけではない。この時すでに三木は建造物侵入と道交法違反で2度の逮捕歴があった。 さらにその後、'03年には群馬県でコメの自動販売機を壊し、中から現金とコメを盗んだとして再び逮捕されている。三木は前科4犯だったのだ。 家族関係はどうなっていたのか。神奈川県警の捜査一課長が答える。 「三木には妻がいましたが、離婚しています。子供はいません。今回の事件で逮捕されたときは住所不定、無職でした。妻と別れてからは神奈川県内で車上生活を送っていたようです」 全国紙記者は「実は三木の元妻もHIVに感染していた」と明かす。 「'11年5月に三木が肺炎にかかり入院した際にHIV感染が発覚し、元妻も検査したところ陽性だったんです。感染経路は不明ですが、三木側の証人として法廷に立った元妻は『感染源は夫からだと思う』と主張し、三木は『いや、妻からだと思っている』と反論していました。 さらに元妻は『元夫の性欲は相当強い。性的玩具を使うのも好きだった』とも証言していた。感染判明後も毎晩のようにセックスをしていたようです」 妻と結婚していた時はまだ、三木の性欲が見も知らぬ女性に無差別に向かうことはなかった。ところが、金銭トラブルにより、二人は'12年6月末に離婚してしまう。そして、妻の家を出た三木は、住む家も失った。 家もない、カネもない、仕事もない。ある種、狂気の暴発に対する「唯一の抑止力」だった妻も消えた。すべてから見放された三木は、やがて失意から犯罪へと手を染めていく。 三木が「HIVが感染しても構わない」という考えで強姦に及んだのは、妻と別れてから10日も経っていない頃だった。 前出の全国紙記者は語る。 「法廷で、三木は反省の弁を述べていましたが、心の底から反省しているようには見えませんでした。裁判長に促されるまで、被害者に謝罪もしなかった。 被害者女性たちは『二度と刑務所から出てほしくない』と望んだが、求刑30年に対して、判決は懲役23年。最大限収監されたとしても、72歳で三木は出所します」 強姦などの性犯罪の場合、出所後の再犯率は約50%と非常に高い。72歳で出所した時に、三木の異常ともいえる性欲が消えているという保証はない。 エイズ患者の生活を支援するNPO・ジャンププラス代表理事の高久陽介氏は、この事件がきっかけで、エイズ患者に偏見の目が向けられることを危惧する。 「エイズ患者さんの多くは、エイズと向き合い、闘いながら日常生活を送っています。こういう男のせいで、エイズ患者全体が危険だと認識されるのはあまりに悔しい」 身勝手な理由で、無抵抗な女性の人生を破壊する—三木のような犯罪者が生まれることは、もう二度とあってはならない。(文中一部呼称略) 「週刊現代」2014年12月6日号より http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41268
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