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毎年8月12日が来ると日航123便墜落事件が走馬灯のように蘇る:元・日航エリート社員の故・佐宗氏の遺言を聴け!(新ベンチャー革命 2014年8月12日 No.948)
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/34025298.html
1.毎年8月12日になると29年前に起きた日航123便御巣鷹山墜落事故が走馬灯のように蘇る
今日は2014年8月12日、29年前の1985年同日、日航123便御巣鷹山墜落事故が発生しました。そして五百数十人が亡くなりましたが、今日はその命日です。
本ブログは毎年、この日の前後、日航機123便墜落事件を取り上げてきました。
この事故原因が、ボーイング社の修理ミスによる後部圧力隔壁の破裂とする政府公式レポートを信用する人は今ではもう一人もいないでしょう。
もっとも説得力のある事故原因分析は、元・日航エリート社員(東大法卒、日航経営企画部出身)の故・佐宗邦皇氏の分析ではないかとみなせます(注1)。
なお、故・佐宗氏は日航機事故の真相を講演で暴露した直後、不審死されています。
本件、本ブログでも過去、すでに取り上げています(注2)。
2.日航123便にはオレンジ色の無人標的機が衝突したようだ
故・佐宗氏によれば、日航機123便に最初に当たったのは軍事演習用のオレンジ色の無人標的機(爆弾搭載せず)とのこと。
ネットにはそれについて詳細な情報が存在します(注3)。
筆者の記憶によれば、123便事故発生当時、相模湾を捜索していた船がオレンジ色の大きな破片を引き上げていた写真を新聞かテレビで観た記憶がありますが、その後、この情報は一部のマニアしか取り上げませんでした。
相模湾上空7000mで123便に異常が発生した時刻、その海域で護衛艦『まつゆき』(注4)が引き渡し前の試験航行していたことはわかっています。
この『まつゆき』は、1985年当時、筆者が勤務していたIHIの豊洲・東京第一工場で建造されています。
ネット情報(注3)によれば、123便に当たったのは『まつゆき』に搭載されていた無人標的機・ファイヤー・ビーとチャカ2ではないかと疑われています。
故・佐宗氏の証言(注1)から、このネット情報(注3)の信ぴょう性は高いと思われます。
自衛隊護衛艦が誤って、123便に演習用標的機(爆弾搭載なし)を当てたのなら、そのことを国民に知らしめて、日本政府が国民に誤ればよかったわけです。
ちなみに、1971年、全日空機と自衛隊戦闘機が岩手県上空で空中衝突を起こしたことがありますから(注5)、自衛隊のミスで起きた旅客機墜落事故を極秘にする理由はどこにもありません。
123便の垂直尾翼が大きく損傷して方向舵がきかなくなったため、事故後、123便は両翼4基のエンジン噴射操作で操縦されていたようです。
3.1985年8月12日、引渡し前の試験航行中の護衛艦『まつゆき』のミサイルテストを誰が仕切っていたのか
1985年8月12日夕刻、相模湾上空7000mでの123便事故発生当時、相模湾海上にいた護衛艦『まつゆき』はまだ引き渡し前の試験航行中であり、同艦搭載の誘導ミサイル試験にミサイル・メーカーもしくはミサイルテスト用標的機メーカーが参加していた可能性があります。ちなみに、チャカ2は米軍事企業ノースロップ社製のようです(注6)。また、上記、ファイヤー・ビーはチャカより大きいようで、メーカーは米軍事企業ライアン(現在はノースロップ・グラマン系列)です(注7)。
そこで、『まつゆき』の誘導ミサイルテストでファイヤー・ビーおよびチャカ2を123便に向けて発射したのは、自衛隊員だったのか、ミサイル・メーカーもしくは標的機メーカーの社員だったのかが問題です。
無人標的機の情報(注6、注7)から判断すると、護衛艦『まつゆき』にいた標的機操作者は故意に123便を狙ったような気がします。もし、発射ボタンを押したのが日本人の自衛隊員であったとすれば、故意に123便を狙う理由がわかりません。
そこで考えられるのは、何者かが標的機を自衛隊員に発射させて、123便に衝突させて撃墜し、自衛隊にすべての罪を押しつけようとした可能性があります。123便が相模湾上空で撃墜できていれば、自衛隊員の誤射で123便が墜落したことにされて、71年の全日空機雫石衝突事故と同様に、自衛隊が責任を負わされる予定だったことになります。
ところが、何者かの意図に反して、123便は標的機に衝突してもすぐには墜落しなかったと思われます。
4.123便は米軍戦闘機によって群馬県上空に誘導されて、撃墜されたのはほんとうか
故・佐宗氏によれば、標的機に垂直尾翼を破壊された123便は、4基のエンジン噴射操作によってターンして、米軍横田基地に緊急着陸すべく横田基地に向かったようです、つまり、事故当初、米軍横田基地は123便受け入れを認めていたのではないでしょうか、ところが、着陸直前に、米軍横田基地から拒否されたそうです。この間、何があったのでしょうか。
そして、米軍横田基地から米軍戦闘機がスクランブル発進して、123便を群馬県方面に誘導し、中性子爆弾を搭載した米軍機が空対空ミサイルを発射して御巣鷹山に墜落させたようです。
それがほんとうなら、米軍横田基地はなぜ、123便の横田基地着陸を拒否した上、残酷にも撃墜したのでしょうか。何らかの証拠隠滅なのか、123便が燃料切れで市街地に墜落するのを避けるためか、この点はまったくの謎です。
ところで、123便乗客の救助に関して、事故当時からウワサされていたのは以下です、すなわち、123便墜落現場を最初に発見したのは米軍輸送機で、その機からの連絡で、米軍座間基地から救難ヘリが現場に到着、救助活動に入ろうとしたところ、米軍横田基地から、救助するなと命令されたというウワサです。本件、ウワサではなく、事実だったことが後に、テレ朝にて実証されています(注8)。
以上のことから、米軍横田基地は123便を残酷にも見殺しにしたのは確かです。故・佐宗氏によれば、123便が横田基地着陸寸前に拒否されたが、その命令を下したのは中曽根氏だったのではないかとのこと。それが正しいなら、米軍横田基地ではなく、当時の総理・中曽根氏が123便を見殺しにしたことになります。
ただ、故・佐宗氏は、123便事故後の1985年9月に行われたプラザ合意と123便事故が関係あり、米国政府は日本政府に圧力を掛けていたことを匂わせています。
5.無実のボーイングはなぜ、123便墜落事故の罪をかぶったのか
故・佐宗氏によれば、123便事故原因が後部圧力隔壁の破裂というのはまったくのウソであるとのこと。本件、ネット界で123便墜落事件に関心のある人のほとんどは、佐宗氏の主張に同意するでしょう。それならば、ボーイング社は無実であり、他の誰かの罪をかぶったことになります、なぜなら、ボーイング社は日本政府のウソの調査報告書を自ら認めているからです。
本件について、本ブログでは、ボーイング社は、123便墜落事故の原因が後部圧力隔壁の修理ミスというウソを認めて罪をかぶる代わり(見返り)に、オスプレイ開発プロジェクト(2兆円規模)の受注を獲得したとみています(注2)。
いずれにしても、中曽根氏は123便墜落事故の真相のすべてを知っているはずですが、国民に真実を告白してからあの世に行ってもらいたいものです。
注1:You Tube“「御巣鷹山JAL123便墜落事件の真相について!」佐宗邦皇代表”2009年10月25日
https://www.youtube.com/watch?v=Y-rbgPbmmTo
注2:本ブログNo.618『日航123便御巣鷹山墜落事件とオスプレイ(鷹)をつなぐ糸:1985年、濡れ衣を着たボーイングへのご褒美はおいしいオスプレイ開発受注(2兆円)だった?』2012年8月12日
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/30141716.html
注3:世界の常識や定説は真逆である“日本航空123便に衝突したのはファイヤー・ビーとチャカ2”
http://www.link-21.com/earth/b05.html
注4:まつゆき(護衛艦)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%86%E3%81%8D_(%E8%AD%B7%E8%A1%9B%E8%89%A6)
注5:全日空機雫石衝突事故
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E6%97%A5%E7%A9%BA%E6%A9%9F%E9%9B%AB%E7%9F%B3%E8%A1%9D%E7%AA%81%E4%BA%8B%E6%95%85
注6:Northrop BQM-74 Chukar
http://en.wikipedia.org/wiki/Northrop_BQM-74_Chukar
注7:Ryan Firebee
http://en.wikipedia.org/wiki/Ryan_Firebee
注8:You Tube“日航機墜落事故 米軍幻の救出劇 (米軍パイロットの証言)”2012年8月2日
https://www.youtube.com/watch?v=65krBx_Bblg
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