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http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140117/waf14011713230020-n1.htm
2014.1.24 07:00 (1/4ページ)[衝撃事件の核心 west]
70歳の妻が90歳の夫を包丁で刺すという事件が大阪で起きた。妻は夫の介護を15年続け、鬱病も患っていたという。「老老介護」をめぐる悲しい事件は後を絶たない。刺された夫は、自分も死のうと考えていた妻にこう告げたという。「生きるんだ!」(※写真は本文と関係ありません)
15年にわたる夫の介護生活で鬱病を患った末、90歳になった夫の左胸を包丁で刺して無理心中を図ったとして、殺人未遂罪に問われた70歳の妻が昨年12月、大阪地裁から懲役3年、執行猶予3年(求刑懲役5年)を言い渡された。生活のほぼすべてを「老老介護」にささげてきた“苦難”から逃れようと、妻は意を決して夫の胸に包丁を2度も振り下ろした。だが、まさに出血して命を絶たれようとする夫の発した意外な言葉で、致命傷を加えるのは思いとどまった。「生きるんだ!」。それは自らに刃を向けた妻を叱咤(しった)するメッセージだった。
胸刺されても「大丈夫」
平成25年6月16日の早朝、大阪市内のマンション8階の一室。台所から持ち出した刃渡り21センチの刺し身包丁を手にした妻は、寝室で眠っていた夫の胸に包丁を2回振り下ろした。「痛いっ。何するんだ」。驚いて目を覚ました夫に、妻は「あなた、死んでください。私も飛び降りて死にます」と迫った。
だが、夫も性根がすわっていた。「生きるんだ!」と妻を一喝し、知人に連絡するよう指示。その知人からの119番で救急隊員が駆けつけると、シャツを血に染めた夫が横たわるベッドのそばで、妻が呆然(ぼうぜん)と立ちつくしていた。
夫は搬送時、隊員に「妻に胸を刺されたけれど、大丈夫」と話したという。傷は2カ所あり、深さはいずれも4〜5センチ。心臓や動脈には達しておらず、約3週間のけがで命に別条はなかった。
妻は殺人未遂の疑いで大阪府警に現行犯逮捕された。当初から容疑を認め、「介護に疲れた」と供述していた。
ほぼ24時間の付き添い
90歳の夫の面倒を70歳の妻がみるという典型的な「老老介護」。12月に開かれた公判では2人のなれそめから、介護生活の詳細までが明らかになった。
検察側の冒頭陳述などによると、妻と夫が知り合ったのは昭和60年ごろ。夫は大阪府内で病院長を務め、前妻とは別居状態。妻はその病院の看護師長で、同じころ前夫と離婚した。
2人ともそれぞれ前の結婚相手との間に子供がいたが交際をスタート。転機は平成10年に訪れた。多忙の夫は脳出血で倒れ、言語障害とともに右半身まひとなり、車いす生活を送るようになったのだ。
妻の一日はトイレへの付き添いから始まる。夫が便意を催す午前2時か3時ごろに目を覚ますと、トイレまで連れて行く。夫は排便を促すため温水洗浄便座の水を出し続け、用を足し終えるまで1〜2時間。妻はトイレの近くで待機する。
束の間の睡眠をとって起床するのは午前5時半ごろ。夫の体温を測って手足のマッサージをし、筋肉硬直を防ぐための右半身の運動も欠かさない。
障害のため夫の口元は緩く、タオル3枚の「よだれかけ」を着用。一日に3枚ごと3回取り換える。朝食後に約30分かけて7種類の薬を飲ませ、温かいタオルで顔や首などをふく。夫がトイレの便座に座っている間に買い物を済ませる。
《友人に会っておしゃべりしたくても、夫がいつトイレを終えるか気が気でなく早く帰らなければ、と思ってしまう。ずっと便器に座らせておくのも申し訳ない》(妻の供述調書から)
週3回、昼食後に歩行練習に励む。妻が夫の右半身を支え、玄関からリビングまでの廊下を手すりにつかまりながら歩く。
夕食時もご飯やおかずをこぼすため介助が必要で、寝るのは午後9時半ごろ。夜中も尿器の取り換えで起きることがあり、ここ数年は熟睡したことがなかった。デイサービスを週2回利用しているが、ほかの時間は妻が付きっきりで面倒を見てきた。
夫を「先生」と呼ぶ妻
妻もかつては自分の娘の家へ遊びに行ったり、看護師時代の友人と美容院に出かけたりしていたという。だが、そうした付き合いもなくなっていった。
《夫は「嫁に来たのだから、この家のことだけしていればいい」と、1〜2年前から娘の所にも行かせてくれなくなった》(妻の供述調書から)
妻の長男は公判に情状証人として出廷し、証言している。
「母はお花やお茶の稽古をしていたが、義父の体調が悪くなってから介護だけの生活になった。義父のことを『先生』と呼び、夫婦でないような関係だった」
外出もままならない妻は次第に精神のバランスを崩していき、平成24年には鬱病と診断。自殺願望を抱くようになった。
夫の長女の供述調書によると、50年以上医師として働いてきた夫は「プライドが高く、家族には身勝手に振る舞った」といい、鬱病の発症には夫の性格も影響したようだ。
《普段は温厚だが気に入らないことがあると、カッとなる。口がたつので反抗できない。私が長電話をしていると、相手をしてもらえないからか機嫌が悪くなり、私が子供たちの面倒を見るのも嫌がった》(妻の供述調書から)
回覧文書で窮地に
法廷に姿を見せた妻は小柄でやせていた。
被告人質問では、ほぼすべての時間を介護にささげてきた心情を「覚悟はしていたが、きつかった」と吐露。「夫は私一人に世話してもらいたい感じで、『つらい』と言いにくかった」と弱々しい声で語った。
肉体的にも精神的にも追い詰められた妻を凶行に走らせたきっかけは、事件前日に自宅マンションで回覧された連絡文書。その一文に目がくぎ付けになった。
《約1年前から夜中に不審な物音がするとの苦情多数》
我が家のこと−。そう直感した。夫が夜中の2時や3時に車いすの音を響かせてトイレに移動したり、物を取ろうとして家具を倒したりすることもあったからだ。
妻は被告人質問で犯行に及ぶまでの苦悩を打ち明けた。
「夫の状態は良くならない一方で人様に迷惑をかけている。子供たちにも頼れず、どうにもならない状況で、もう無理だな、と。夫一人では生きられないし、私も死にたいと思ってしまった。疲れ果てて…」
判決に込められた願い
《15年間生きてこられたのは妻の介護のおかげ。私は妻の心の内を理解していなかった。何とか刑を軽くして助けてください》
弁護側は夫の嘆願書を証拠として提出し、情状酌量を訴えた。
妻は被告人質問で「矛盾しているようだが、夫が助かってよかった」と打ち明け、「今も死にたいと思うことはある。夫には施設に入ってもらうなど少し距離を置き、社会復帰後は一人で暮らしたい」と述べた。
大阪地裁は判決で「長年夫に尽くす中、一人で問題を抱え込み悩んでしまったことが原因。高齢者間の介護も背景にあり、同情すべき余地は相当に大きい」と指摘。懲役3年、保護観察付き執行猶予3年を言い渡した。
保護観察付きとなったのは、自殺願望が残る妻には保護司の支援が必要と判断したからだ。最後に裁判長はこう説諭した。
「判決には私たち裁判官と裁判員の願いを込めました。それは、命を大事に生きていってほしいという思いです。どうか忘れないでください」
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