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「被害者とは呼べません」…三鷹バス痴漢えん罪事件・控訴審始まる
2013.11.05 Tuesday
http://blog.iwajilow.com/?eid=1071800
バスの車載カメラにメールを右手で打ち、左手で吊革につかまっているのが記録されていがら、痴漢をすることは「容易ではないが著しく困難と言えない」と常軌とは思えない判断を裁判官にされて有罪判決を下された津山さん。その控訴審第1回公判が先月28日に東京高裁で開かれました。
42の傍聴席に対して162人が並び注目度の高さを示していましたが
マスコミ席は一席もなし。いかにマスコミが冤罪というものに無関心であるかを象徴していました。
裁判長による人定質問のあと、弁護側の控訴趣意の要旨が述べられました。
「被告人は無実。原判決は事実誤認に基づいており、必ず破棄されなければなりません。
第2被害は不可能です」
この第2被害というのは、女子高生が「お尻を撫で回されるように触られた。絶対に手で触られました」と確信に満ちて証言している被害です。
しかしまさに、この「触られた」という時間、津山さんは左手で吊革をつかみ、右手でメールを打っているのがバスの車載カメラに記録されていました。
このことから検察は犯行時間を特定せずあいまいにしたまま起訴しました。
「検察は第2被害の時間を特定せずあいまいにしているがこのことは被告人がすべての時間に対して無実を証明しなければならず、被告人の防御権においても著しく不利である。
女子高生は『バスが揺れたのでよろけると被告人の懐の内側に入りねっとりとお尻を撫でまわされた』と証言している。
車載カメラの画像によると女子高生は21時34分25秒まで同じ方向を向いて立っていたが21時34分25秒ころバス後方に向きを変えている。第2被害は21時34分25秒の直前と考えられる」
さてここで検察感が発言します。
検察:被害者特定にかかわるので、女子高生といういい方も抽象的ではあるが属性を明らかにせず「被害者」と呼べないか?
弁:弁護人は女子高生を被害者として考えていないので「被害者」とは呼べない。
検察:手続き的には被害者がいて被告人がいるのだから被害者と呼んでも差し支えないのではないか。
裁判長:このままで
裁判所は弁護側の主張を認め「被害者」とは呼ばせませんでした。
「被告人は21時32分41秒、交際している女性からメールが入り、右手でそれを確認した。被告人がメールに返信をしたのが21時34分18秒。車載カメラには21時33分03秒から右手で携帯を操作している状況が写っている。被告人が携帯電話をポケットにしまうのが21時34分22秒。
車載カメラによれば被告人は21時33分03秒から34分22秒まで少なくとも携帯を持って操作していた。21時34分25秒の直前に女子高生のいうような痴漢をする余地はありません」
弁護側は女子高生の証言に言及します。
「女子高生は第2被害の時に被告人は『左手で吊り革をつかんでいたと思う』と証言している。
原審でのやり取り
女子高生『被告人の左腕が吊り革につかまっていました』
検察『右腕はどうなっていましたか』
女子高生『わかりません』
翌日行われた実況見分写真でも右手で尻を触っている状況を再現しています。
21時34分14秒〜34分20秒までバスが左に大きく揺れました。
34分17秒〜20秒まで被告人の体が女子高生にあたっていてここで右から左へ揺れ戻ります。34分18秒 被告人の左手は吊り革をつかまっている。
33分49秒から34分24秒まで被告人が吊り革につかまっている状況はつながりからも確認できる。
原判決も右手で携帯を持っている状態は認めています。
しかし原判決は『33分52秒〜34分12秒まで吊り革をつかんでいるのは確認できるがそれ以外の時間は不明である。だから痴漢はできる』としています。
原判決は女子高生が『左手で吊り革をつかんでいた』としているのは痴漢の始まったころと限定して解釈しているが特に根拠は示されていない。
第2被害が始まったころ左手は吊り革をつかんでいた。つまり痴漢は左手で行われたのではないとしている。その一方で右手は携帯を操作していた。原判決の説示は痴漢が始まったころ両手がふさがっていたことを認める矛盾をおかしている」
原判決は「女子高生が『被告人が左手で吊革をつかんでいた」のを見たのは「痴漢行為が始まったころだ」と言っていてなおかつ、その時間はメールを右手で打っていたことを認めているわけです。じゃあどうやって痴漢をしたんだ?この疑問に一審判決は何一つ答えていません。
弁護側は続けます。
「痴漢をすることは不可能である」
「また原判決は『揺れるバス車内で吊り革を離し、左手で痴漢をすることは容易ではないが著しく困難とまでは言えない』としている。
『容易ではない』と認めているというのはそれだけで合理的な疑いがあることになる。
原判決の説示は単なる想像による可能性に過ぎない。
原判決の言う犯行態様は『バスの揺れで倒れ込みながら右手で携帯を操作し、あえて左手を吊り革から離し、お尻を撫でまわす』というもの。
そもそも吊り革をつかんでいなければ元の位置に戻ることは不可能。違う二つの動作を同時にすることもできない。メールをしながら倒れないようにしながら、お尻を撫でまわすというおよそ経験則に反する想像から神業を被告人に押し付けた」
確かに神業です。
裁判所は有罪にするためには常人ではできないようなことを平気で人に押し付けるのです。
たとえば沖田国賠訴訟では、ヒールを履いた状態で179センチもある女性が「腰に陰部を押し付けられた」と被害を主張していましたが、沖田さんは身長160センチそこそこ。とても陰部は腰に届きません。すると裁判所は「吊革につかまって伸びながら陰部を押し付けた」としました。そんな目撃証言はどこにもなく検察も主張していないのに、です。
また小林さん事件では「膠原病で手に物がふれると拷問のような痛みを感じる」から「膣の中に指を入れるという犯行は不可能」と主張する弁護側に対し「不可能ではない」として有罪判決を下しています。
頼むからやってみてくれ。
「被告人の姿はバスの左右への揺れにより一瞬見えなくなることはあるものの23時33分49秒〜34分24秒までは吊り革をつかんでいたと考えるのが妥当である。
原判決は判決文の最初に女子高生の供述要旨だけを取り上げ信用性が高いと結論付けているが車載カメラの映像を一切検討せず早々と結論付けるのは論理則にも違反している」
続いて弁護側は被害者の勘違いである可能性を指摘します。
「第一被害後、女子高生が振り向くと『被告人があまりにも何もしてない様子だったので私の勘違いかなと思った』と供述している。
これは確信度の低さを示している。
女子高生は第2被害後、『よろけて犯人の懐にすっぽりと入った。とても怖くて体全体に恐怖で鳥肌が立った』と証言している。
このような状態で正確な状況確認ができたとは言えない。
原判決もこういっている。
『被害者は痴漢被害にあってから恐怖感と不快感でその状況を正確に記憶することができず、勘違いがあったとしても不思議ではない』
原判決はこういった論理を都合のいいようにつまみ食いしている。
被告人が腹側にかけていたリュックがお尻にぶつかったと考えられます。
リュックの過度の高さと女子高生の臀部の高さがほぼ同じでした。
バスが揺れて被告人が女子高生にぶつかっているのが確認できます。
女子高生の言う第1被のときに両者の位置は人一人が入れるくらいの距離がある。
しかしバスの揺れとともに時々両者が接近している。その時にリュックがぶつかっている。
女子高生も『勘違いしたのかなと思った』と供述している。
女子高生のいう痴漢態様とバスの揺れがおおむね一致している。
女子高生は目視はしていない。触覚だけで判断しています」
さらに臀部の触覚の鈍さを指摘します。
「原判決は臀部による識別困難性を排斥している。
臀部が識別感覚の鈍いことは原判決も認めている。問題はどの程度、感覚が鈍いことを認識しているか。
二点弁別閾値、つまり2点で触られていることがどのくらい2点間に距離があれば識別できるのか?というデータでは最も敏感な手のひらで0.22p、上腕、背で6.75p
厳島鑑定ではリュックと手の識別可能性は鑑定の結果「識別困難」とされた。しかもこの実験では被験者はズボンと下着の2枚の状態だったが女子高生は当時4枚の重ね着をしていた。正確を期すために160回にわたる鑑定をした。
リュックの接触と手の痴漢行為と正確に見極める可能性は1/2にも届かない。
モノによる触り方でも手と勘違いされる可能性は高い。
原判決は『1回であれば勘違いの可能性があるが複数回接触した場合では勘違いする可能性はない』としている。厳島第2鑑定ではこの点も鑑定したが臀部において、識別可能性は偶然確立25%程度と結論付けている。つまりあてずっぽうに言ったのと変わらない。回数を上げても正答率は向上しないということである」
そして女子高生の証言の変遷についてです。
「女子高生の証言は
『指2本くらいかな』『指の腹です』
『指4本です』『手のひら全体です』と、あいまいどころか具体的詳細すぎる供述に変遷している。
一般に記憶というのは時間経過ととも減衰していくのだが
捜査段階で『手、あるいは手のひら』と言っていた被害状況は
公判ではより具体化詳細化していく。
具体的詳細だからと言ってそれが信用できると判断するのは間違いです」
そしてこう続けました。
「原判決は独自の知見のみで判断した独りよがりというほかありません。
第一被害も場所時刻の特定もなく
女子高生のいう場所付近では痴漢の様子は全くなく
女子高生と被告人の距離は人一人分あいている。
この距離では手の届くのは背中までで、お尻には届かない。
かがめば届くが、接近した様子もかがんだ様子もない。
吊り革を右手で持っている。
女子高生は『第2被害は絶対モノではない』と断言しておきながら勘違いしているわけだから
第1被害はなおさら勘違いの可能性が高い。
原判決は『被告人が女子高生に近づいている場面がある。その時に痴漢をした可能性がある』としている。可能性から痴漢行為をしたという飛躍をしている。
女子高生は『バスの揺れに合わせた感じでその感触もお尻に押し付けられる感じがしました。必ず揺れに対応していた』と証言している。
バスの中で稲穂が風に揺られるように乗客が揺れている中で、被告人と女子高生が接触しているにすぎない」
津山さんは繊維鑑定でも「シロ」でした。
「科捜研の鑑定で被告人の手のひらに繊維の付着は認められなかった。
女子高生のスカートを触って2.5時間という本件よりも長い時間をおいて鑑定したところ右手左手に各7本、8本の繊維の付着が認められた。
女子高生のスカートの繊維は手に引っかかりやすい材質のもの。
科捜研の鑑定結果は被告人の無実を推認させるものです。
原判決は『付着しないこともありうるので被害者供述の信用性を左右しない』としているが、机上の抽象論だけで片づけたものである」
弁護側は原判決をこう糾弾しました。
「原判決は徹底的に誤っています」
これに対して検察側は「ビデオ鑑定は映像の鮮明化の処理などをせずに不鮮明なままされたもので主観に基づくものだ」と主張しています。
検察官全般に教えてあげたいのですが裁判では有罪の証明は検察官に求められるものであり、弁護側に無罪の証明は求められていません。検察官の立証に合理的な疑いがさしはさめれば、それで無罪になるんです。
つまり、ビデオの画像が不鮮明で主観に基づくものだと主張するのであれば、検察側が鮮明化の処理をして、きちんと痴漢をやっている場面を指し示すとか、弁護側の主張を間違っていることを証明すべきです。
このビデオ画像を見て、携帯でメールを打っている場面ではないと不鮮明な画像をみて主張しているのであれば、それこそ「主観に基づくもの」以外の何物でもありません。
誰か検察官に裁判の原則を教えてあげてくれないでしょうか?
そしてまたディレクターという職業を生業にしている僕から言わせてもらえば、画像の鮮明化などという技術を僕はいまだかつて拝見したことがありません。
元データが最も情報量が多いのであり、画像を明るくしたところで、それは全体が明るくなるだけで鮮明にはなりません。画像の鮮明化などという技術があったらぜひ紹介してもらいたいものです。
検察というのは自分が無知ということを知らない方々なので専門家からすればちゃんちゃらおかしいことを堂々と主張します。そして裁判官も自分が何も知らないということを隠して知ったかぶりをして判決するものだからたまったものではありません。
こうして、専門家でない素人判断が冤罪をたくさん生み出しているのです。だれか検察や裁判所に「謙虚」という言葉の意味も教えてあげてほしいものです。
今回の控訴審でも検察は全くどうしようもないということだけははっきりしました。
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