http://www.asyura2.com/13/nature5/msg/816.html
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「対照的運命/笹井芳樹と山中伸弥」(EJ第4038号)
http://electronic-journal.seesaa.net/article/419256578.html
2015年05月21日 Electronic Journal
考えてみると不思議な話です。山中伸弥氏は1962年に大阪
で生まれ、現在は52歳です。英国のジョン・ガードン博士が学
位論文を発表したのが同じ1962年なのです。5月15日付の
EJ第4034号でご紹介したアフリカツメガエルのクローンを
作った細胞生物学者で、現在78歳です。
まさか、1962年に大阪で生まれた男の子と、カエルの実験
で学位を取得した英国人が、50年後にノーベル賞を分かち合う
ことになるとは、本人たちはもちろんのこと、一体誰が想像した
でしょうか。誠に不思議な縁といえます。
似たような話があるのです。ハンス・シュペーマンというドイ
ツの発生学者(1869〜1941)の話です。動物発生のごく
初期の段階の細胞の塊を「胚」といいますが、シュペーマンはそ
こに二次胚を誘導し、体のそれぞれの部分に分化させる司令塔の
役割をする謎の物質があると指摘し、その功績によって1935
年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。
しかし、シュペーマンはその謎の物質を生み出しているものが
何であるか自分の生涯において突き止めることはできなかったの
です。そのためその謎の物質を生み出すものは、それを指摘した
シュペーマンの名前をとって、「シュペーマン・オーガナイザー
(形成体)」と呼ばれているのです。
その謎の物質の正体を突き止めたのは日本人の研究者で、その
名は笹井芳樹氏──STAP細胞事件の主役の一人です。笹井氏
は1994年に米カルフォルニア大学ロサンゼルス校に医学部客
員研究員としての留学中に「自分が謎の物質を特定する」と宣言
し、その言葉通りそのメカニズムを解明するとともに、シュペー
マン・オーガナイザーが生み出している物資は「コーディン」と
いう名のタンパク質であることを発見しています。まさに天才を
絵に描いたような男であり、これによって停滞が続いた発生学は
笹井の発見で息を吹き返したというのです。その笹井芳樹氏も、
山中伸弥氏と同じ1962年生まれなのです。
シュペーマン・オーガナイザーは、初期胚の背側部分に存在す
る小さな組織で、これから分泌されるコーディンなどの司令因子
の濃度勾配によって、分化する組織が決まるというのです。濃度
が高いところでは脳など背側の組織が、濃度が低いところでは造
血組織など腹側の組織が形成されるというのです。
1913年6月に理化学研究所は、このコーディンに関係する
次の研究成果を公表しています。
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◎動物の体を相似形にするメカニズムを発見/「大きなカエ
ルも小さなカエルも同じ形になる」という長年の謎を解明
http://bit.ly/1HldQCf
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山中伸弥氏と笹井芳樹氏の関係を整理しておきます。山中伸弥
教授というと、京都大学のイメージが強いですが、出身は神戸大
学医学部の出身(1987年3月)であり、笹井芳樹氏が京都大
学医学部の出身(1986年3月)なのです。同年齢であり、同
じ関西の出身ということで、生い立ちはよく似ています。
実は、笹井氏が謎の物質コーディンを発見するため、カルフォ
ルニア大学に客員研究員として渡米していた時期に、山中氏も同
じカルフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)のグラッ
ドストーン研究所に博士後研究員として留学していたのです。
しかし、その時点では笹井氏が既に天才といわれていたのに対
し、山中氏の場合は研究員としてはスタート時点に立ったばかり
であり、2人の間には大きな差が開いていたのです。
山中氏は整形外科医を目指したものの、その技量には問題があ
り、普通なら10分で終わる手術が1時間も2時間もかかるとい
う有様だったのです。周囲からはちゃんと名前を呼んでもらえず
居ると邪魔という意味で「ジャマナカ」といわれたのです。
「自分は臨床医に向いていないのじゃないか」と考えた山中氏
は、基礎研究で身を立てる決心をし、大阪市立大学大学院医学研
究科薬理学専攻博士課程において基礎研究をはじめたのです。博
士号を取得し、どこかの研究室で「ポスドク」として一定期間研
究をすることができるからです。ポスドクとは「博士後研究員」
という意味です。
山中氏は研究者として身を立てるには、米国で勉強する必要が
あると考えたのです。そこで、科学雑誌に載っている研究員募集
に片っ端から応募したものの、ほとんど無視されたと山中氏は述
懐しています。
結局最初に返事をくれたカルフォルニア大学サンフランシスコ
校のグラッドストーン研究所に電話で面接を受け、採用され、サ
ンフランシスコに渡ったのです。1993年4月のことです。
しかし、サンフランシスコでの生活は3年で終り、帰国するこ
とになったのですが、戻る場所がないのです。このときのことを
山中伸弥教授は、日本経済新聞「日曜に考える」のインタビュー
で、次のように述べています。
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僕もかつて米国で研究した後で帰るところが見つからずに困り
日本学術振興会の特別研究員として救われた。戻れないという恐
怖心はよくわかる。──2015年5月17日付、日本経済新聞
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その一方で笹井芳樹氏は、山中氏が日本学術振興会の特別研究
員になった1996年には、京都大学医学部助教授として「生体
情報科学講座」を担当し、2年後の1998年5月には、京都大
学再生医療科学研究所の教授に就任しているのです。まさに京都
大学の再生医療の星的存在になっていたのです。
山中氏は1996年10月には、大阪市立大学医学部助手とし
て薬理学教室を担当しますが、米国と違って研究室の設備は貧弱
なうえに予算もなく、研究らしい研究ができないでいたのです。
しかし、2OO3年になって奈良先端科学大学院大学に採用され
研究の道が開けたのです。 ── [STAP細胞事件/011]
≪画像および関連情報≫
●インタビュー「この人に聞く」/笹井芳樹氏/2013
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聞き手:ES細胞に注目し、研究に使うようになったきっか
けはどんなものでしたか。
笹井:私が京都大学に入学したのは1980年。その1年後
には、マウスES細胞がすでにつくられていましたので、学
生時代からその存在はもちろん知っていました。一方、私が
実験対象として扱っていたのは、アフリカツメガエルです。
このモデル動物は、初期の神経分化制御機構を解析するのに
とても優れています。1993年から96年にかけて、カリ
フォルニア大学(UCLA)医学部に留学していたときに、
研究プロジェクトの中でアフリカツメガエルから「コーディ
ン」という神経誘導因子を単離することができました。コー
ディンは、初期胚のシュペーマン形成体という部分から分泌
され、外胚葉に働きかけて神経細胞の前段階となる神経前駆
細胞を分化誘導します。この研究は予定通りに進みました。
その後、京都大学に戻ってきてから、取り組んだのは主に2
つのことです。1つは、引き続きアフリカツメガエルを使っ
て、今度はコーディンから誘導された神経前駆細胞からどの
ように複雑な脳ができていくのか、そのパターン形成を調べ
ていったのです。もう1つは、発見したコーディンによって
神経ができていくしくみを、哺乳類を用いて観察することで
した。この研究で使ったのが、マウスのES細胞です。ES
細胞は、初期胚の「増えていく」という特徴をよく反映して
います。 http://bit.ly/1Gh9Cg5
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