26. 2014年5月20日 18:14:58
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ノートの数は問題ではないA:彼女(小保方晴子さん)は『ネイチャー』に投稿した論文はSTAP現象が存在することについて述べたもので、その再現に最適な条件については次の論文で述べるつもりだったと言っている。二段構えで注目を集めようとするのは、野心的な研究者なら不思議なことではないよ。 B:野心のない科学者なんかいません。問題は、その野心が科学研究の世界からはみ出しちゃうことです。 A:科学者に野心がなければ、科学の進歩なんて有り得ない。彼女は論文を撤回しない、撤回すれば結果まで否定することになるからだ、と言っている。よほど、自分が見た「結果」に自信があるんだね。 一方、理研は専ら論文の瑕疵を問題にし、故意による改竄・捏造と断じた。行き着く先は懲戒解雇だ。研究者としても社会人としても抹殺される。だから彼女は弁護士を立てて法廷闘争も辞さない構えだ。あの記者会見は、地位保全闘争の第一段階なんだよ。 組織対個人の構図になった時、俺は一応個人の側に立って、「こいつの言い分をよく聞いてみよう」と考える。とりわけ年寄り対若者となったら、「若いもんの言うことを聞いてみようや」という立場だ。別に若い女性だからというわけじゃない(笑)。 B:しかし、1回の実験に7日かかるんでしょ?彼女は200回以上成功したと言うが、単純計算で50カ月、4年ちょっとかかる。本当にそんなにやったのかなあ? A:彼女は補足説明で、毎日複数回、実験をやったから200回に及ぶと言っている。それにしては実験ノートが3年間で2冊しかなかった件については、「調査委員会に提出したノートが2冊」であって、ハーバード大学にあと4、5冊あると言う。しかし、ノートの数がそんなに問題かね。 B:ノートにはムーミンの落書きなんかも書いてあったそうですね。 A:落書きくらい書いてもいいじゃないか。大発見にルンルン気分でやっていたんだよ(笑)。 B:ノートを杜撰に書く人はたくさんいる。僕なんかも駄目だな(笑)。学生時代から、専ら真面目なヤツのノートを見せてもらっていた。 C:自分で取ったメモが判読できないことがあります(笑)。 A:俺は記者時代に、メモさえロクに取らなかった。全部記憶した。それで200本以上の記事を書いたけど、おかしなことは1度もなかった。 頭の中にビデオレコーダーがあるんだよ(笑)。後はそれをトレースすればいい。彼女も自分のノートについて、「私には充分トレースできるものでしたが、第三者がトレースするには不十分だったのかも」とも言っている。ノートなんて、自分でトレースできれば十分じゃないか。 ところが、科学者の世界では違う。テレビが京都大学の山中伸弥教授の研究室で使っている実験ノートを映していたけど、日々の実験を事細かに記して、上司のサインをもらう。それが後でイチャモンを避ける、つまり身を守る武器になるという。彼女の出た早稲田大学や理研では、そういう方式を取っていなかったんじゃないか。そのため、今まさにそこを突かれているわけだ。しかし、問題はノートの数や質じゃない。肝心なのはSTAP細胞の有無だよ。 C:彼女は会見で、「STAP細胞はあります」と断言しています。 ・理研の対応は見苦しい A:報道は色々と複雑なことを言っているが、この問題は至極簡単な話なんだよ。理研の調査委員会は専ら論文の瑕疵を問題にしたけど、STAP細胞の存在については「不明」とし、今後1年かけて検証するとしている。 一方、彼女はこう訴える。 「STAP細胞は存在します。私は200回以上も作成した。私なりのコツというかレシピがある。作るところを見たいというなら、どこへでも出かけてお見せしたい」 そのコツとやらが判然としないという批判もあるが、あの会見の場は実験の場じゃない。大体、コツというのはおいそれと言語化できるものじゃない。だから2番目の論文に書くと言っている。 それより何より、彼女が「いつでも作って見せる」と言ってるんだから、理研は改めて彼女に実験をやらせてみれば事の当否が判明したはずじゃないか。たいして時間もかからない。それもせずに、彼女によれば予め決めた設問にイエスかノーで答えろという形で査問した。それがホントなら、まるで宗教裁判だ。ジャンヌ・ダルクは「神を見た」と言って火炙りにされたけど、「STAP細胞を見た、作った」という彼女の場合、実験をやらせてみれば判然とする問題だ。神様と細胞は違うんだからね。 総じて理研の対応は見苦しい。論文への疑義に慌てふためき、バタバタと組織防衛に走ったとしか思えないね。彼女が科学者としてのマナーに欠けるところがあったのは確かで、彼女も反省・謝罪している。しかし、科学はマナーの問題ではなく、マター(事実)の究明だ。理研理事長・野依良治(ノーベル化学賞受賞者でもある)に言いたいね。 今からでも遅くはない。第三者の生化学者立ち会いのもと、彼女に実験をやらせてみよ。それが科学を法定の泥まみれから救う唯一の道だとね。首尾良くSTAP細胞ができれば人類の福音となり、できなければ1人の未熟な女性研究者の妄想だったというに過ぎない。至極簡単な話じゃないか。 C:小保方さんはユニットリーダーであっても、他にもメンバーがいましたし、共著者もいる。なのに、彼女に全責任を押し付けようとしている印象です。 ・実験をさせればいい A:これから理研の検証チームのトップに坐る丹羽仁史は論文の共著者の1人で、「論文投稿の時点では、目の前で彼女がSTAP細胞を作るのを何度も見ている」 「できていく過程を、複数の実験で生データと映像で確認した」 と言っている。なのに存在するかどうかを、今後1年かけて検証する? 「一体、お主は何を見ていたのか」 と問いたいね。 大体、いい歳をした男が数人も彼女の論文の共著者として名を連ねている。彼らはロクに中身を検証もせずに、「世紀の大発見」のお裾分けに与りたかったという魂胆がミエミエだ。学者の世界では、論文を何本書いたかが問われる。共著者になれば、業績が1本増える。これを「名義貸し」という。名義を貸した連中が今になって掌を返して彼女を見捨て、だんまりを決め込もうとしている。 理研は彼女1人をスケープゴートに差し出して事を収めようとしているようだが、まったく見苦しいねえ。テレビが理研の何人かの所員にインタビューをしていたが、中年の男が「問題はSTAP細胞の有無ではなく、倫理の問題です」と言う。 俺は咄嗟に、映画『アレクサンドリア』(監督/アレハンドロ・アメナーバル、2009年)を思い出した。古代エジプトの女性天文学者ヒュバティアの悲惨な最期を描いた映画だ。彼女は当時、「知の宝庫」と言われたアレキサンドリア図書館の館長の娘で、地動説を唱えて地球の軌道が楕円であることを発見した。ケプラーより1200年も前に、だ。ところが、キリスト教徒から異教徒、魔女扱いされて最後は石打ちの刑になるんだけど、俺が文献を調べてみると、石打ちどころかより残酷な一寸刻みの皮剥ぎの刑に処されたとあった。 この映画を作った監督はスペイン人。スペインはかつて大審問官トルケマーダを生んだ国だ。そんな国で、かくも痛烈なキリスト教批判の映画が作られたのかと感慨深く見た。いかに宗教が科学の進歩を妨げるか、その典型的な例としてこの映画を撮ったわけだ。ガリレオも、モンキー裁判(アメリカでチャールス・ダーウィンの進化論を教えた教師が裁かれた)もそうだ。 繰り返すが、科学はマター(事実)の問題で、マナーの問題じゃないはずだ。だからこそ、第三者立ち会いのもと、彼女(小保方晴子さん)に実験をやらせてみれば済む話じゃないか。何も法廷に持ち込まれるような話じゃない。 業績・成果主義の弊害 B:山崎豊子の『白い巨塔』に、誤診した教授の無罪主張に対し、「あなたは医学の因果関係を法律の因果関係にすり替えている」と批判する場面がありました。確かに小保方騒動も、Aさんご指摘通り、すでに科学論というより法律論争になってしまっていますね。 ところで、僕がこの問題で注目すべきだと思ったのは、大騒ぎの背景にあるものです。 例えば小保方を駆り立てたのは、科学界を支配する業績・成果主義です。結果が全てであって、産業界や国家もその成果に対して資金援助し、それ以外はどうでもよいとする考え方です。しかし考えてみれば、科学の実験なんて失敗があるのは当然で、さらに言えば、結果より発想やアイデアこそが大事なはずでしょう。 ところが、成果主義によってアイデアは蔑ろにされ、いつの間にか通俗的な部分から評価されたり、また非難されたりしている。これでは科学の進歩なんてありませんよ。 ジョン・L・キャスティの『パラダイムの迷宮』(白楊社)という本に、2人の科学者の自殺の話が出てきます。ともにウィーン大学の教授で、1人は熱力学上の研究で知られたルードヴィヒ・ボルツマン。後にボルツマン定数と功績を讃えられた彼の熱理論は、当初、科学界の大御所らの反対派から辛辣な批判を浴び、それに加えて自身の視力障害なども重なって、失意のあまりに自殺してしまう。 もう1人は、生物学の研究者のポール・カンメラー。この人は学習などによる獲得形質が子孫に伝わる、という実験をサンバガエルを使って行い、水中生育性のカエルの特徴である爪を発達させるのに成功した。ところが、「証拠写真の爪がインクの染みだった」と批判されて、結局、実験的結論はその根拠を失ったとされ、やはり失意のうちに自らの頭を撃ち抜いた。両者とも、死後改めて研究を分析してみたところ、間違っていなかったことが判明した。 一方、アメリカではニクソン大統領の癌撲滅演説を機に、研究者の間で資金獲得競争が始まり、野心的な研究者サマーリンが、皮膚移植の実験成果をアピールするため、マウスにマジックインキで斑点をつけるという事件が発覚した。 さて、今回の小保方騒動はこの3つの事例、つまり作為か不作為か、実験や論文は杜撰だったがアイデアや結果は正しかったのか、の3点に収斂されます。でも、僕がここで言いたいのは、キャスティが解説しているように「我々が科学的<真理>と見なすものを確立する時、時に科学の社会的要因が劇的な影響を与える」ということです。 その社会的要因は、科学界の大御所をはじめとする科学者共同体(例えば理研)の保守的圧力や雰囲気であったり、政府や大企業といったパトロンたちの助成金制度や、一般大衆の期待感(特にノーベル賞をめぐる国家的フィーバー)であったりと、様々でしょう。 理研は「愚者の楽園」 A:理研を「特定国立研究開発法人」にする法案を通そうという時期だったから、STAP細胞を打ち上げ花火にしようとしてバタバタと焦って発表したという事情もあるわけだ。 アベノミクスの第3の矢、成長産業促進の一環として、先端科学に新たに1000億円が投入される。その予算の分捕り合戦もある。ライバルは山中伸弥の率いる京大だ。山中のiPS細胞より優れた万能細胞発見となれば、理研としては万々歳だ。だから極秘プロジェクトとして、闇雲に彼女のユニット・チームの尻を叩いて発表を急がせたんだろうね。 B:彼女の出世欲や野心もあったろうけど、それを加速させる雰囲気が理研にもあった。それが科学者の思いを歪めてしまったことを考えると、決して彼女個人の問題ではない。 これは理研に限った話ではありません。責任を末端やミドルクラスに負わせてトカゲのシッポ切りをするというのは日本の組織に共通するもの。科学界、さらには学界と言われる場所にある構図も同じです。こんなものがある限り、とても科学立国として世界に太刀打ちなんかできませんよ。 さらに大きな視点で見るならば、今や科学は国家的なプロジェクトなのです。例えば現在、ロケット開発や原子力発電などを民間に委託しているけれど、実はそれこそ国家が前面に立ってやるべきことでしょう。事実、巨額投資などは国家でないとできない。そういった状況が出来つつある中で、最初の試金石としてこのSTAP細胞騒動があると見なければいけない。 A:理研は独立行政法人で、年間840億円の予算を国から貰っている。職員は全国20数カ所の研究所に3000名からいて、彼らの給料も研究費も税金で賄っているわけだ。まさに国家が全面的に支える組織で、「科学者の自由な楽園」と目されていた。それがこの始末で、「愚者の楽園」であることが露呈した。だから問題なんだよ。決して彼女個人の問題だけじゃない。 B:今度の法案は、理研を世界最高水準の研究機関にするのが目的、と政府は言っている。これが日本サバイバルの突破口になり、ひいては安全保障にだって繋がっていく国家戦略の第一歩と言えるのですよ。 特定国立研究開発法人化 理研の指定見送り STAP問題影響 産経新聞 5月9日(金)15時9分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140509-00000113-san-pol
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