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IPCC報告書の論点
気温上昇目標、見直しを
山口光恒 東京大学客員教授
<ポイント>
○コストを考慮し実現可能な目標設定が必要
○現行の2度目標は科学的根拠も十分でない
○大規模損害のリスクマネジメントに軸足を
気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は3つの作業部会で構成される。4月13日に最後の第3作業部会(WG3)報告書が公開され、第5次報告が出そろった。報告のエッセンスは、第1作業部会(WG1)では温暖化が人為的なものであるとほぼ確定したこと、第2作業部会(WG2)では気温上昇による損害の最新の知見が示されたこと、WG3では気温上昇を抑えるシナリオとその技術・コスト・政策のメニューが示されたことである。今年10月にはこれらを統合した「統合報告書」が出る予定である。
筆者はIPCC報告書に執筆者として関わってきた。その経験も踏まえ、第5次報告の主要論点と今後の国際交渉への影響を論じたい。なお、IPCC報告書は信頼できる論文を専門家が整理し、その客観的知見を政策決定者に示すことを目的としており、IPCCが何かを主張するとか結論づけることはない。この点は報告書に明記してある。
報告の論点の第1は温暖化問題の位置づけである。英エコノミスト誌はWG2報告が出た直後に「温暖化問題特別扱いの終焉(しゅうえん)」と題する記事を載せている。この意味は、気候変動は大きなリスクであるが、他にも地球規模で重要なリスク(貧困、食糧確保、エネルギー安定供給など)があり、損害防止にどれだけコストをかけるかは全体のバランスで考えるべきだということである。
WG2報告書には人の健康へのストレスは温暖化以外の要素が大きいとか、温暖化への適応計画が、より広い概念である経済発展全体の文脈で検討されているとの記述がある。WG3報告書は温暖化リスクへの対処に際して、持続可能な成長の文脈で見る必要があることを明記している。
従来、温暖化問題の専門家は温暖化を唯一最大のリスクと考えがちであったが、政策決定者は常にほかの重要問題との対比で政策を決定している。全体のバランスで考えるという指摘は重要である。
論点の第2は温暖化による損害である。対策の有無にかかわらず温暖化が進むこと自体は必至である。WG2報告書は気温上昇に応じて種の多様性、異常気象、それにグリーンランドの氷床崩壊のような大規模事象など5つの項目の損害の程度を示している(図参照)。これを以前の報告書と比べると、より低い気温上昇で影響が出ている。
では温暖化による地球規模での経済的な影響(損害額)はどの程度か。WG2報告書は、モデルによる前提条件の相違(大規模事象や生態系損害など非市場価値を含むかどうかなど)から推定は困難としつつ、1986〜2005年の気温からセ氏2度(18世紀の工業化以降では2.6度)上昇した場合の損害額は所得の0.2〜2%としている。また、損害額がこの範囲から小さくなるよりは大きくなる確率が高いとの文言がある。つまり対策によって気温上昇をこのレベルに抑えても大きな損害が見込まれるということである。
論点の第3は対策の実現性とコストである。従来、政府間の国際交渉では工業化以降の気温上昇を2度以内に抑えること(いわゆる2度目標)の重要性が共通認識となっている。WG3報告書も、現在からでも思い切った削減策をとれば2度目標は達成可能としている。
しかし、そのためには例えば2050年までに世界の温暖化ガス排出量を2010年比で40〜70%削減しなければならない。現実は中国など新興国の二酸化炭素(CO2)排出急増が続いており、実現がますます困難になっている。また、多くのモデルでは2100年までに排出量をゼロ以下、マイナスにしなければならない。それにはバイオエネルギーで発電し排出されるCO2を地中に貯留するか、大規模植林が必要だ。土地の手当てや食糧生産への悪影響を考慮する必要があるが、この点の十分な分析はなく、実現性は不透明である。
対策コストはどうか。WG3報告書によれば2100年に2度目標を実現するコストは同年の消費の3〜11%(中央値は4.8%)とかなり大きい。これだけのコストをかけてどの程度の便益(回避できる損害)を得られるのか。対策無しの場合の予想損害額の提示がないので便益は計算不能である。このほか、対策に伴う大気汚染軽減などの間接効果は不明確で、生態系など非市場損害や、氷床崩壊による海面大幅上昇のような大規模損害の扱いも曖昧だ。コストと便益についてはまだまだ詰めるべき点が多い。
コストについては今後の消費の伸びを考慮すると大きくはないとの数値も示されているが、同じことは損害にも当てはまる。さらにコストの試算は米国と中国を含む全世界が直ちに削減を開始し、世界中が統一炭素税を導入し、全ての技術が利用可能との非現実的な条件が全部そろった場合を想定している。もしCO2の地下への貯留技術が使えなければコストは2.4倍になり、さらに他の技術にも制約が加わると物理的に2度目標は不可能となる。
国により参加の時期が違ったり炭素価格が複数あったりすればその分非効率となり、さらにコストは上昇する点に注意が必要である。ただし目標を例えば2.5度に緩めるだけでコストは3分の1〜3分の2と大幅に低下する。
筆者は世界が協力して温暖化対策を早急に進めるべきであると考えている。問題は、どこまでやるべきかであり、世界の政治家は前述の点を念頭に、かつ世界の他の重要課題とのバランスを考慮した対策を進めるべきだと思う。
次に報告書の国際交渉への影響についてみよう。IPCC報告書のうち「政策決定者向け要約」だけは全ての政府の承認を得て公表される。今回この過程で極めて重要な変更があった。最も重要な変更点は、1970年以降の地域別排出量の図が削除されたことである。
この図を見ると世界の排出量の増大は中国を含む新興国排出増によるところが大きいことが一目瞭然なので、こうした国を中心に反対があった。明らかに今後の国際交渉を意識した動きである。英エコノミスト誌はこれを「科学に基づく政策」ではなく「政策に基づく科学」と評している。このほか温暖化による損害を大きく見せ、対策コストを小さく見せるなど、今後の国際交渉をミスリードする懸念のある変更も加えられた。
今後の温暖化対策の国際的枠組みとして、各国政府ができる範囲で誓約してその状況を審査する「誓約と審査」方式しかない点は各国とも合意している。こうした中で、技術、コスト、あるいは温暖化以外の重要課題との資源配分の観点から、2度目標は特段の科学的根拠がない上にあまりにも非現実的で、これに固執することはかえって実効性のある温暖化対策を妨げると筆者は考える。他方、気温上昇がある一線を越えると海面大幅上昇など不可逆の大規模損害が発生する可能性はあるが、この点については不確実性が高く科学的知見が限られる。
国際交渉の主たる議論は2度目標実現の方策ではなく、各国ができる範囲で排出削減と温暖化への適応に取り組みつつ、不確実な大規模損害のリスクに対しどう対応するかというリスクマネジメントに焦点を移すべきである。IPCCが政治に巻き込まれればそれだけ報告書の科学としての信頼性が損なわれる。IPCC報告書の最終段階での各国政府による審査は再考すべきである。
やまぐち・みつつね 39年生まれ。慶大卒。専門は環境経済
[日経新聞5月6日朝刊P.19]
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