03. 2014年4月11日 10:03:31
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日経BP【293】「その時マウスは緑色に光った!」若山教授が語った幻のSTAP細胞誕生秘話 2014年4月10日 ■若山教授から直接聞いた真実のストーリー 「世紀の大発見・STAP細胞」で「日本初の女性ノーベル賞もありか?!」とまで言われた小保方晴子さん。4月9日、論文に「改ざん」や「ねつ造」があったと、所属する「理研」から不正認定された事に不服を申し立てた小保方さんの記者会見があった。 入院中の病院から会見先のホテルに現れた小保方さんは会見の冒頭、マイクを握りしめ口に持って行ってはみたものの、10秒ほど声が出せない自分に戸惑い、唇だけ動かしたり首を傾げたりした後、ようやく話し始めた。 「…このたびは私の不勉強・不注意・未熟さ故、論文にたくさんの疑義が生じてしまい…」。そして6分間。反省と悔恨と釈明を述べた。その間3回頭を低く下げ謝罪の意を表した。晴れやかな割烹着の「リケ女」の姿はそこに無かった。 私は格別な思いでその光景をテレビで見ていた。というのも「疑義発覚」の直前、小保方さんの共同研究者、山梨大学の若山照彦教授の研究室で先生から「STAP細胞」発見に至る苦労話とともに、小保方ユニットリーダーの熱心な研究ぶりを伺っていたからだ。 若山教授はとても誠実なお人柄で、世界一科学に疎いアナウンサーのために超多忙なさなか、貴重な時間を割いて下さった。 そして滅多に聞けない感動的なエピソードの数々を是非本コラムの読者に伝えようと原稿を書き上げたその日に、若山教授と、そして小保方さんにとてつもない事態が発生していた事を知った。 理研の「調査委員会の最終報告」も出た今、小保方さん、若山教授、及び理研バッシングの嵐が吹き荒れ、小保方さんの記者会見を見終わった今、あえて、当時書き上げたが掲載しなかった原稿を公開しようと考えた。 小保方さんや若山教授がSTAP細胞とどう取り組んだのか。その「事実の一端」をご紹介しておきたいと思ったからだ。 ■共同研究はこうして始まった 以下は、疑惑発覚の直前、若山教授から直接伺ったSTAP細胞研究の真実のストーリーである。 二人の接点は4年ほど前。小保方さんはハーバード大学留学中の4年も前。既にSTAP細胞の着想を得てはいた。しかし実験での証明にはことごとく失敗を重ねていた。世界的研究者達も彼女の頑張りは評価しながら「そもそもあり得ない」「常識はずれの研究」と距離を置く。そんな中、世界で初めてクローンネズミ作製に成功していた世界的研究者で、当時神戸の理化学研究所の研究員だった若山教授は、彼女の「めげない情熱」に共感し注目していた。 そして「もし困ったことがあったらいつでも連絡してね」と伝えていた。 それから2年。失敗の山を富士山より高く積み上げたすえ小保方さんは若山教授に救いを求めた。奇跡のコンビ誕生だ。二人の理化学研究所での共同研究が本格的にスタートする。 実験では小保方さんが細胞を作り若山教授がマウスの受精卵を移植する。実験の正否判定の方法は、ネズミのお腹を開いて、緑色に光るマウスの子供が生まれて来るかどうかで決まるのだと言う。実は当初から若山教授もハーバード大学の研究者と同じく「常識的にみてこれはうまく行かない。緑色が見える可能性は無いだろう」と思ったそうだ。 梶原「じゃあどうして引き受けたんですか?」 若山教授「来るものは拒まず、が僕の主義。それに彼女は、失敗すればするほどさらに膨大な実験を積み重ね失敗の原因を突き詰め、次の作戦を持って来た。若い男性の研究者ならとっくにあきらめる。成果の出ない実験にいつまでもこだわっていると、次の就職先とか新しい研究テーマに乗り遅れる。時代に取り残される。研究者としての将来が危うくなるとあきらめるケースが多い」 「そりゃあ、研究には機材、薬品、人件費など多くの経費がかかっているから研究機関に迷惑もかかる。いい加減にしたら?という<空気>を察知することだって必要だ。ところが彼女は<次は絶対いけますので、実験、御願いします!>。普通ではあり得ない熱意にほだされたのかなあ」 ■どんな言葉で慰めようかと思っていたら、光ったんですよ! 来る日も来る日も、失敗が続いた。 若山教授は淡々と検体を顕微鏡で覗き続けた。 梶原「小保方さんの情熱を目の当たりにしながら先生も<できっこ無い>から<もしかして成功するかも・・>と期待する方向に傾いて行ったんですね?」 若山教授「いえいえ、全く。ずっと無理だと思っていました」 梶原「じゃあ、なぜ、そろそろ終わりにしようかって言わなかったんですか?」 若山教授「普通の若い研究者相手ならとっくにそういっていたでしょうね。しかし、彼女の失敗とその後の戦略の立て直しぶりを見ていると、例えこの件で芽が出なくても彼女にとってこの体験はムダにならない。後々役に立つ失敗を続けていると感じられたから、わたしも真剣勝負で続けました」 梶原「で、成功した瞬間はどうだったんですか?」 若山教授「いつもと同じように、彼女と一緒に研究室でマウスのお腹を見て、ライトを当てて、また何にも変化が起きないんだろうな、と思っていた。わたしも失敗には慣れていますが、彼女は失敗する度、毎回強いショックを受けているのが痛いほど分かる。さあ、今日はどんな言葉で慰めようか、と思っていたら、光ったんですよ! 緑色に!!」 ■手順ミスがあったのかと不安がよぎる 梶原「やった!!大成功って、さすがの先生も興奮したでしょう」 若山教授「小保方さんは涙を浮かべて喜んでいました。でもわたしは何かの間違え、何かの手順をミスして光っちゃったのかと不安に思いました。我々はこれまでの失敗について、すべての行程を記録しています。記憶もしています。どこで何をどうやったら反応が出なかった。それをいつでも振り返られるように行うのが実験ですから。 瞬時に今回の手順と過去の場面と比較してどの段階で何を間違えてしまったのか? 万が一のケアレスミスがあるとすれば、いつの何だろうか? 頭の中でぐるぐる考えていました。だって、万が一、緑の光が成功じゃなくて大失敗の結果だったとすると、小保方さんをぬか喜びさせたことになる。当りが大きかっただけに酷く落胆させる。残酷でしょう? 山の天辺に登らせて地面に突き落とすようなことはしたくありません。小保方さんが<やった!やった!>と感涙にむせぶすぐ横で、わたしは<あそこでこうなって、ここはこうで>とまるで喜んでいない。ところがどう考えてもミスがない。でもあるかもしれない。私はまだ喜ぶのは控えておこうと思ったんでしょうね。 本格的に喜べたのは翌日でした。実験が正しく成功するとは、同じ状況で行うすべての実験が成功するということなんです。その通りそこから先はすべてのマウスが緑に輝きました。そこで初めて<やった!>と思いましたね」 ■ネイチャー誌に論文2本同時掲載の喜び 梶原「そこから世界で最も権威ある科学雑誌イギリスのネイチャー誌に投稿するんですよね」 若山教授「そうです。ネイチャーが認めれば誰も否定できません。ところが、そのネイチャーの審査がすんなり通らない。提出する度にここはどうだ? あれはどうだ? と全部で4回かな? 突き返されたんです」 梶原「<地道に築き上げて来た世界の偉大な科学者を愚弄する、とんでも論文>みたいな言われ方だったって新聞に出ていましたね。ビビりましたでしょう?」 若山教授「いや、それがわたしも小保方さんもこれにはさほど揺さぶられませんでした。だって、実際に実験で確実に証明できているわけですから。後は審査員の方達の注文に一つひとつ応える。時にはキッチリ反論する。この作業を1年ぐらいやりましたかねえ。 普通はネイチャーできつくダメ出しされるとあきらめて、もっと論文の通りやすい学会誌に提出して、そこで通ればそれで満足、という人もいるんです。考え方は人様々です。でも我々にとっては、これまでの実験検証の過程に比べればこの審査に答えるのは何でもない。 疑問→答え。これを繰り返すうち、ありがたいことに論文の質も量もグッと高まってきました。結果的には異例のネイチャーに論文2本同時掲載という、研究者冥利に尽きることとなり、注目度も増したというわけです」 ■無限の可能性が広がるはずだった 梶原「これで、小保方さんと一緒に若山先生もノーベル賞ですねえ?」 若山教授「ノーベル賞? そりゃあどうでしょう。おそらく、この理論がさらに進んでマウスだけでなく再生医療の現場で人に使えるレベルまで広がりを見せてからそういう話が出るかもしれませんね。この研究にだってこれからいくつもの超えるべき壁がある。1カ月後に超えられるかもしれないが、それが5年後かもしれない。10年後かもしれない。 私はこの技術を私の本来の研究テーマ、畜産技術で生かしてみたいと考えています。例えば梶原さんがレストランで美味しいステーキを食べた。こういうお肉をもっと多くの人に食べさせてやりたいなあと思ってお肉の切れ端をそっとハンカチに包んでバッグに入れて持ち帰る。 その一片のお肉からそれと同じおいしいお肉になる牛がドンドン生産される。今後深刻になる世界の食料問題がこれで解決できる。STAP細胞とはそういう可能性につながる研究でもあるんです。みんながそれぞれの分野でこの研究を活用できればいいんです。 STAP細胞のアイデアを出したのは小保方さんです。万が一ノーベル賞を受賞するとすれば、まずは彼女。わたしは共同研究者。実は、我々だけでなく、この実験にはハーバードの先生はじめ、理研の研究者、関係者、色々な方々の理解と応援があってこそ身を結んだんです。私達は本当に運がよかった。 わたしも、相手が小保方さんだから一緒にできた。先ほども言いましたが、彼女のような失敗を力にできる、将来に活かせるタイプでなければ「止めた方がいい」と私はきっぱり言っていたはずです。 <世紀の大発見>なんてばくちです。宝くじかな? いや宝くじだと戦略の立てようが無い。競馬の大穴かな?少しは研究する余地がないでもないし。しかし大穴ばかりねらって、人生棒に振るような生き方は科学者にだって勧められないことです。後輩の研究者が食うや食わずで一生を終えるのは心苦しい。それなりの研究環境が確保されないといい研究だってできないものです。 小保方さんのように世紀の大発見をするなんて、普通はあり得ない。あり得ないことに人生のすべてを捧げるトライなんて、並大抵の人にはできない。だから「やめろ」というほうが上司としては正解なんです」 (以上のやり取りは、梶原が伺った真実のストーリーである) ■「世紀の大どんでん返し」を待ち望む人は多い その後まもなく論文の一部に「引用者を明記していないコピペ」や「博士論文で使用した映像(実際にはパワポで使った別の画像と小保方さんは説明)を条件の違う実験にそのまま使用した形跡」が見つかるなど、次々「疑惑」が浮かび上がって来た。 誰よりも小保方さんをサポートして来た若山教授は早い段階から「誰にも疑われることのない、しっかりした内容の論文を書き上げるため、一旦、これは取り下げよう」との声を上げた。共同研究者としては苦しみ抜いた決断だろう。私には小保方さんの傷を大きく広げないための若山教授の「親心」だと感じた。 先日、小保方さんの論文は、「理研調査委員会の最終報告」で、一部「改ざん」、一部「ねつ造」にあたる不正が行われた、と厳しい判断が下された。 同時に若山教授達共同研究者も「ねつ造、改ざんなど不正に加担したとまでは言えないが、シニア研究者として、データの正当性・正確性などについて注意を払わなかった過失はあり責任は重大」と断ぜられた。 「小保方論文」についての理研の裁定は下された。しかし「世紀の発見・STAP細胞の真相」はいまだ明らかになったとはいえない。「世紀の大どんでん返し」を待ち望んでいる人たちも少なくない。 ■「失敗に懲りない小保方さん」のエネルギーと言葉を信じたい 昨日の記者会見では「難病を抱えこの細胞に期待を寄せた人にどういう言葉をかけるのだ!」というような厳しい声が小保方さんに投げかけられた。若山教授になぜ間違ったマウスを送ってしまったのかについての明確な答えも聞けなかった。 経験や力不足によるミスで、若山教授はじめ多くの方に迷惑をかけた事について詫びる言葉を繰り返し口にしたが、STAP細胞の存在その物については「存在する!細胞作製に200回も成功した」と語った小保方さん。しかし第三者の再現無くしては真実も薮の中だ。 できる事ならば、実験に関わった関係者や、何よりも夢の再生医療に期待を寄せた現に病と闘っている人たちに報いるため、今一度「失敗に懲りない小保方さん」のエネルギーを爆発させてほしい。そして彼女が会見で涙を流しながら語った言葉を信じたい。 「もし私に研究者としての未来があるならSTAP細胞への思いを貫いて、研究を続けたい」 梶原 しげる(かじわら・しげる) 1950年生まれ。早稲田大学卒業後、文化放送のアナウンサーになる。92年からフリーになり、司会業を中心に活躍中。東京成徳大学客員教授(心理学修士)。「日本語検定」審議委員を担当。 著書に『すべらない敬語』『そんな言い方ないだろう』『敬語力の基本』『最初の30秒で相手の心をつかむ雑談術』『毒舌の会話術』『プロのしゃべりのテクニック(DVDつき)』『即答するバカ』『あぁ、残念な話し方』ほか多数。最新刊に『ひっかかる日本語』 (新潮新書)がある。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20140410/392288/?ST=career&P=8 |