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次の手は百年の後か夏木立 −− 岡潔
みなさん、こんにちは。
先日、週末に高知に行ってきたのだが、その際、「岡潔思想研究会」
の主宰者とメンバーの方々にお会いすることが出来た。主宰者の数学者岡潔思想研究会
横山賢二さんとそのメンバーの2人である。
単に私の
の中で、何箇所か岡潔の言葉を引用しているので、その本を氏に献本した。それで用事のついでに先に本の引用箇所を紹介できる機会があればと、連絡をしたのである。
「ニコラ・テスラが本当に伝えたかった宇宙の超しくみ」下巻がいよいよ来週発売!
運良く時間をとっていただき、初日の夜には、我々夫婦と会のメンバー3人で楽しい夕食をとりながら、歓談できたのである。ほんとに楽しいひとときでした。私はふだんは人と話す機会がほとんどないので、久しぶりの歓談であった。奥さんも歓談を楽しんだ。ありがとうございました。
翌日には、徳島ヴォルティスのJ1昇格戦があるので、それをテレビでみるためにすぐに帰宅しなければならなかった。が、その帰り際に自宅に招いていただき、岡潔のたくさんの資料を見せてもらうことが出来たのである。そればかりか、未発表の重要な資料のコピーをたくさんいただいた。どうもありがとうございました。
いや〜〜、それにしても、まるで岡潔展示会のような資料室には驚いたものである。
さて、そんな岡潔の資料を読んでみると、以前ここにもメモした
岡潔 「自然科学は間違っている」(3)の解説講演「日本民族」よりの主張がやはり頻繁に出てくるのである。
そこで、今回は私が岡潔の主張のどこに注目しているかという、その部分の最初の一部のみメモしておこう。
岡潔は、簡単にいえば、次のようなことを何度も何度もあらゆる場所であらゆる機会で述べている。
自然科学者はこの宇宙には法則があるという。たとえば、流体力学の法則が存在し、それを記述するための流体力学的方程式(ナビエ―ストークスの方程式という)があるという。
はたしてこういう考え方をとる場合、流体力学に従う粒子というものは、知性を持つというのか、知性を持たないというべきなのか、どっちなのか?
もし流体粒子が知性を持たない単なる水粒子だとするのであれば、どうやってこの水分子の粒子一つ一つが流体力学の力学の方程式を解かないと人間がわからないような複雑な運動を寸分違わずに行うことができるのだろうか?むしろ、この場合には、水の粒子の一個一個は絶対的な完璧な知性を持っていると考えるべきであろう?
人間がなぜ法律に従わないかと言えば、せっかく人間のために作られた法律において、その意義を理解するだけの知性の欠片もないからである。要するに我々人間がバカだから、法則や法律に従わないということが起こっているのだ。
これに対して、水分子は寸分たがわずに流体力学の法則に従うと科学者はいう。しかし、これは逆ではないのか? 水には絶対的知性がないと科学者は言っている。水は我々人間より下等だと考えるのである。ならば、水分子が流体力学の法則に絶対的に従うことができるという保証はいったいどこからやってくるのだろうか?
こういうような意味で、自然科学は間違っていますヨ。あまりに支離滅裂に精神分裂していますよ、とまあ、岡潔博士はそう言っていたのである。こんな趣旨の内容のことを頻繁に主張したのである。
私自身このことはいつも気になってきた問題である。
たとえば、どうしてDNAの中の電子は、自分がDNAの中を走っていることを知るのだろうか?自分がどのようにしていま安定軌道にいることを知るのだろうか?こんなことに遭遇するのである。我々がシュレディンガー方程式を解くことが出来てやっとのことで分かることを電子はすでに勝手に行っている。
バネや振り子がニュートンの法則に従って振り子運動する。あるいは振動する。バネや錘(おもり)はどのようにして自分が従うべき法則を理解し、それに厳密に従う必要を感じるのだろうか?
どうして?なぜ?というわけである。
この問題に岡潔博士だけがそれなりの答えを持っていた。というより、岡潔博士はすでに仏教の太古の高僧たちはそういう問題に決着を見ていたということを発見していたということである。
私個人の理解では、岡潔博士の見解は、つまり言わんとする所は、西洋人と日本人の理解の仕方は逆であるということだろうと思う。
西洋人は、物質はバカだから自然法則に絶対服従するのであって、人間(西洋人)には知性があって利口だからそれに刃向かえると考える。しかしながら、日本人は逆に、自然には無限の叡智が潜むから人間すらその方程式を解けない自然法則に従うが、我々人間がバカだから自然に背いた真似をするのである。こう考える。明らかに西洋人の発想には無理がある。この点、日本人の方が格段に上だな。
こんなふうに考えたのではないかと私は思うのである。
いまいうところの科学は古代ギリシャから端を発したものである。それが西洋に引き継がれて今日に至る。古代ギリシャの哲人の原始的な自然認識の悪影響をもろに受けてきた。だから、単純な原子論思想に毒された科学文明圏を生み出してしまったのではないか。
なぜ我々が自然法則を発見し、それを時には超スーパーコンピュータで解かねばならないことを、自然は瞬時にやって遂げるのか?
この問題は実は近代科学の根幹に対する根本問題の一つなのである。
いまのところ、私にはその答えは得られていない。
いや〜〜、岡潔恐るべし。というわけですナ。
岡潔「次の手は百年の後か夏木立」:叡智を持つのは自然か人間か?どっちだろうか? 井口和基ブログ
http://quasimoto.exblog.jp/21433793/
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