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科学研究の問題点:科学はどこで間違えるのか
2013年10月21日(Mon) The Economist
(英エコノミスト誌 2013年10月19日号)
科学研究は世界を変えてきた。今度は科学自身が変わる必要がある。
科学を支えているのは、「信用せよ、だが検証せよ」というシンプルな考え方だ。研究結果は、常に実験による検証を受けなくてはならない。そのシンプルだが強力な考え方が、膨大な量の知識を生み出してきた。17世紀に登場してからというもの、現代科学はこの世界を見分けがつかないほど、しかも圧倒的に良い方向に変えてきた。
だが、成功は時に自己満足を生む。現代の科学者は、過剰に信用しすぎる一方で、検証作業は十分に行わない。それが科学全体に、そして人類全体に損失をもたらしている。
今の学術界は、いいかげんな実験やお粗末な分析を基にした研究結果があまりにも多く氾濫している。バイオテクノロジー関連のベンチャーキャピタリストの間には、「公表された研究の半分は再現不可能」という経験則がある。それさえも楽観的かもしれない。
バイオテクノロジー企業のアムジェンの研究者が昨年実施した調査では、がん研究分野の「画期的な」研究論文53本のうち、再現できたのはわずか6本だった。それ以前に製薬会社バイエルの研究グループが行った調査でも、同様の重要論文67本のうち、わずか4分の1しか再現できなかった。ある著名なコンピューター科学者は、自分の専門分野で発表される論文の4分の3はでたらめだとこぼしている。
2000年から2010年にかけて、およそ8万人の患者が、のちに誤りや不適切さを理由に撤回された研究に基づく臨床試験の被験者となっていた。
大量のゴミ論文
研究の大半は、製品が市場に出回るよりはるかに前の段階にあるため、人命を危険にさらすほどの影響は出ない。だが、たとえそうだとしても、資金や、世界でも最優秀の人材の労力は浪費されている。科学の進歩が阻害されている機会費用を数値化するのは難しいが、恐らく膨大な額に上るだろう。そして、その額は膨らんでいる可能性がある。
その理由の1つが、科学の世界の競争だ。現代の学術研究は、第2次世界大戦での成功を経て今の形を取るようになった1950年代には、まだ高尚な楽しみにすぎなかった。科学者の総数は数十万人程度だった。その数が増えるにつれて(最新の推定では、現役の研究者は600万〜700万人)、科学者たちは自己管理と質の管理を大切にするかつての気質を失ってしまった。
「消えたくなければ論文を発表せよ」という義務感が、学究生活を支配するようになった。職を巡る競争も熾烈だ。米国では、2012年の正教授の平均年収は13万5000ドルだった。これは判事の年収よりも多い。毎年、新たに博士号を取得した研究者6人が1つの研究ポストを奪い合う。
昨今では、検証(ほかの人の研究結果の再現)の業績は、研究者の昇進にはほとんど役に立ない。そして、検証が行われないために、疑わしい研究結果が生き続け、科学を誤った方向へ導くことになる。
研究者の出世主義は、実験結果の誇張や、自分に都合のいい部分の取捨選択も助長している。主要な学術誌は、独占的な立場を守るために、高い論文リジェクト(掲載不可)率を維持している。投稿された論文の90%以上をリジェクトするのだ。
人目を引く研究結果ほど、掲載される可能性は高くなる。そのため、実験結果から「直感に基づいて」不都合なデータを除外するなどして論文を脚色することになる。研究者の3人に1人が、そのような操作を行ったことのある同僚を知っていると回答することも、さほど驚くにはあたらない。
そして、同じ問題に取り組む研究チームが世界中で増えている結果、少なくとも1つのチームが、本物の発見を示す望ましい徴候と統計上のノイズにすぎない異常値とを、うっかりと混同してしまう可能性は高くなる。そのようにして誤って発見された相関関係が、人目を引く論文を熱望する学術誌に採録されることは珍しくない。その研究が飲酒や痴呆や子供のビデオゲーム習慣に関係するものなら、新聞の1面を飾る可能性もある。
それに対して、仮説を検証できなかったという研究結果は、掲載が受理されるどころか、掲載申請が出されることさえめったにない。「否定的な研究結果」は、1990年には公表された論文の30%を占めていたが、現在ではわずか14%にまで減少している。
だが、科学にとって、何が誤りかを知ることは、何が真実かを知ることと同じ重要性を持つ。研究の誤りが公にされなければ、研究者はすでにほかの科学者により探究済みの袋小路をあれこれと調べる羽目になり、資金と労力が無駄になってしまう。
ピアレビュー(査読)という神聖なプロセスも、期待通りの効果を発揮できていない。ある著名な医学誌が、論文を同分野のほかの専門家にチェックしてもらう調査を実施したところ、ほとんどのレビュアーは、それが調査であると教えられた後でも、論文に意図的に挿入された誤りを発見できなかった。
壊れているなら修繕を
そうしたすべては、世界の真実の発見に尽力すべき大事業の基盤を揺るがしている。それを補強するためには、どうすればいいのだろうか? 最優先事項の1つは、基準を強化するために多くの努力を行ってきた分野の前例に、あらゆる分野が従うことだ。統計の十分な理解は、その手始めになるだろう。
何らかのパターンを求めて膨大なデータをふるいにかける分野が増えているが、とりわけそうした分野では、統計の理解が重要だ。遺伝学の分野では、すでにそれが実施されている。その結果、以前は大量の見かけだおしの成果が生まれていたゲノム解読研究で、本当に重要な少数の成果が得られるようになった。
できれば、研究プロトコルを前もって登録し、バーチャルな研究ノートをモニタリングすることが望ましい。そうすれば、途中で実験の設計に手を加えて、結果を実際よりも説得力のあるものにしたいという誘惑を阻むことができるだろう(医薬品の臨床試験はすでにその方向で進んでいるが、コンプライアンスがまだ不十分だ)。可能であれば、治験データをほかの研究者に公開し、調査や検証ができるようにすべきだ。
見識のある学術誌は、すでに退屈な論文でもそれほど拒絶しないようになっている。毎年300億ドルの研究費を出している米国の国立衛生研究所をはじめ、政府が資金を提供する一部の機関は、再現実験を促進するための最善策を模索している。また、若い世代を中心に、統計的な知識を持つ科学者も増えている。
だが、そうした潮流をさらに推し進める必要がある。学術誌は「おもしろくない」研究にもページを割かなければならない。補助金を出す組織も、そうした研究のための資金を確保する必要がある。
ピアレビューを厳格化し(完全に排除してもいいかもしれない)、コメントの追加などによる公開後の評価システムを強化すべきだ。そうしたシステムは、ここ最近、物理学や数学などの分野でうまく機能している。そして政策立案者は、公的資金を使う組織に、規則をきちんと尊重させなければならない。
宇宙の理解を妨げる許し難い障壁
科学は、時に困惑させられることはあっても、今なお大きな尊敬を集めている。だが、その特権的な地位は、ほぼ常に正しさを保ちつつ、間違った時には誤りを修正できるという能力の上に成り立っている。
この宇宙からは、科学者たちがこれから何世代にもわたって研究に精を出しても、本物の謎がなくなることはありそうにない。いいかげんな研究により築かれた偽りの道は、宇宙の理解を妨げる許し難い障壁なのだ。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/38968
- 西内啓氏 〜統計学〜統計学が最強なワケ SRI 2013/10/21 17:18:36
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