01. 2013年8月20日 05:21:27
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NBonline 「山根一眞のポスト3・11 日本の力」 日本の「水月湖」が世界の歴史のものさしに!「年縞」を読み解いた在英日本人研究者(その1) 2013年8月20日(火) 山根 一眞 日本の科学技術は欧米の後を追っているだけ、という論が根強い。開発者や研究者ばかりか経営者の目が国内にばかり向いてきたことが、グローバル化の波に打ちのめされ「日本力」を脆弱なものにしているという意見も多い。世界を熱くさせている「日本発の世界標準」を手にした英国在住の日本人科学者のプロジェクトは、成果を手にする「日本力」のありようとは何かを教えてくれている。 歴史の教科書が書き換えられる大事件 パリ、ユネスコ本部。 エッフェル塔があるシャン・ド・マルス公園は東南方向へおよそ1キロ続く細長い緑地だ。その東南端から300メートル先のフォントノア広場に国連のユネスコ本部がある。 2012年7月9日から5日間、このユネスコ本部で開催された「第21回国際放射性炭素会議・パリ2012」(国際放射性炭素学会とユネスコの共催)で、「日本はすごいぞ!」と叫びたくなる決定が下された。 福井県若狭町の水月湖の「年縞」が世界の歴史の「標準時」となった。 「世界時間」はロンドンの天文台があるグリニッジを標準とするが、「水月湖」は今後、考古学や地質学、地球の環境の推移を知る「歴史の標準時」として欠かせない「ものさし」になったのだ。 2013年7月15日、若狭三方縄文博物館所蔵の水月湖の年縞サンプルを手に山根に説明する中川毅教授(右)。採取した年縞サンプルは急速に酸化するため、これは樹脂で固めたもの。(写真:山根事務所) 「歴史の標準時」と聞いても、ピンとこないだろう。これは、どういうことか。
歴史では、それが「いつ」のものかは何よりも重要だ。歴史とは、「いつ」を知ることなのだから。 歴史的なモノが発掘されたとする。それが、「いつ」のモノかを調べる有力な手段として、「放射性炭素=炭素14」の量が調べられる。 「炭素14」は5568年ごとに半分に減っていく(半減期)。どんなモノに含まれていてもその減り方の時計の針の進みは同じ。よって、出土品に含まれるそのごくごくわずかな量を調べれば、年代がわかる。これを、「放射性炭素による年代測定」と呼ぶ。 この測定法の発見は1947年(昭和22年)、シカゴ大学の化学者、ウィラード・F・リビー博士による(1960年にノーベル化学賞)。 だが、この測定で得られるデータは正確ではなく、時代による誤差がつきまとう。そこで、世界のどこででも通用する、できるだけ長い年代が連続した「ものさし」が求められていた。それが、日本の水月湖の「年縞」で得られたの これは、世界の歴史の教科書が書き換えられる大事件ともいわれている。 湖沼の底に残された“年輪” 「年縞」(ねんこう)。聞き慣れない言葉だ。 樹木の「年輪」は、その輪の縞の1本が1年を意味していることはだれでも知っている。年輪の数を数えれば「樹齢」がわかる。夏は木の生長が早く、冬は生長が遅い。年輪のひとつひとつの幅を調べれば、夏や冬の長さもわかる。 福井県若狭町で見た樹木の断面に残る年輪。この樹木は、縞の数から「樹齢」およそ25年のようだ。樹木の「年輪」は「歴史時代」の標準時として使われてきた。だが、この研究を進めてきた欧州では1万4700年より以前は氷河期で樹木がないため、それ以前の標準時は「年縞」の出番になる。(写真:山根一眞)
これが、2006年夏に水月湖の湖底ボーリングで得た「年縞」の一部。この写真は28cm分だが、得た「年縞」はこの約260倍の長さになる。(写真提供:中川毅) この「年輪」に相当する「縞」は、湖沼の底の泥層にも残されている。 周囲から大きな水の流入などがほとんどない、静かな、そして深い湖沼の底には、さまざまなモノが、そっとそっと降り積もっている。 「縞」は、植物の葉や花粉、植物プランクトンの死骸(殻)、周囲の山が浸食され流れこんだ土壌、湖水に含まれる鉱物質、火山噴火による火山灰、飛来した黄砂などからなる。津波が運ぶ砂が混じることも。それらが作る1年分の「縞」の数を上から勘定していけば、正確な「年」がわかるのだ。さらに縞を詳しく読み解けば、その時代に何があったのかもわかる。 この泥の縞を「年縞」(varve)と呼ぶ。 その「年縞」が数万年にわたって連続して残っている湖沼は世界でもごくわずか。その、理想的な場所が日本にあったのである。 福井県若狭町。人口約1万6000人。人口密度は1平方キロあたり87.7人と、東京23区のおよそ160分の1というゆるりとしたこの町を象徴するのが、とても美しい5つの湖からなる三方五湖だ。5つの湖を囲む低い山々をつなぐ道路、レインボーラインを走ると、それらの湖、日向湖(ひるがこ)、久々子湖(くぐしこ)、菅湖(すがこ)、三方湖(みかたこ)、そして最大の面積の水月湖(すいげつこ)を見ることができる。 三方五湖は琵琶湖の北西、日本海に面して連なる。この地の歴史の深さを物語るかのように難読名も多い。日向湖は海水、三方湖は淡水、久々子湖、菅湖、水月湖は汽水だ。(地図:GoogleMap) 縄文人の生涯の1年1年がわかる
「水月湖」の名を知る日本人は少ない。とりわけ北陸、近畿圏以外での知名度は低い。 だが、「水月湖」をグーグルで”Lake Suigetsu”と英文検索すると、じつに8万2100件がヒットする(2013年8月)。日本でもっとも深い湖、知らぬ日本人がいな秋田県の田沢湖(”Lake Tazawa”)ですら7万件におよばないのだから、面積わずか4.16平方キロ、周囲9.6キロのこの水月湖に、世界がいかに熱い目を向けているかがわかる。 水月湖が世界の歴史の記述を大きく変えるとされているからなのだ。 三方五湖は周囲をめぐる有料道路、三方五湖レインボーライン(11.24km)の何カ所かの展望台から望むことができる。知られざる名勝地だ。2013年3月23日撮影。(写真:山根一眞) 2013年3月、若狭町立若狭三方縄文博物館で始まったばかりの「水月湖年縞パネル展〜湖のしましまからわかること〜」を訪ねたとき、学芸員の小島秀彰さんは、水月湖のボーリングで得た柱状サンプルの一部を樹脂固定したものを指しながら、興奮気味にこう語っていた。
「水月湖の年縞によって、ある縄文人の生涯のすべて、1年1年に何があったかもわかるようになったんです、すごいことでしょう」 確かに、すごいことになった! 水月湖の「年縞」は、同じ条件で同じ場所で、きれいに連続した「年縞」が、1年刻みで7万年分も残っていたのだ。 これが、水月湖の「年縞」を歴史の「ものさし」とすることになったゆえんだ。こんな場所は世界のどこにもない。世界が「水月湖の奇跡」と呼ぶのは当然のことだ。 水月湖の断面図。三方断層によって少しずつ湖底が沈み続けてきたため、水深が深く、また湖底の堆積泥層も厚く保存されてきた。2006年のボーリングで得た「年縞」は73m。1年が0.7mmとすれば10万年を超える計算だが、下部の地層は圧縮されているため基盤層はさらに古い15万年前であることがわかっている。(図:若狭三方縄文博物館提供の元図をもとに山根が作成) 縞の1本1本に膨大な情報
では、これが世界の歴史の「モノサシ」になるとは、どういうことか。 世界のどこかで発掘された遺物の「炭素14」の量がわかったとする。その値が水月湖の「年縞」の、どの縞の「炭素14」と一致するかを調べる。その縞が上から何本目の縞かを勘定すれば、「年」がわかる。たとえば、「4万5834年前だ」と(誤差は±0.25%という正確さで)。 「年縞」からは「何年前」かを知ることができるだけでなく、縞の1本には「年輪」同様に、いや年輪以上に膨大なその年、その時の情報が詰まっている。 1年分の幅はおよそ0.7〜0.8mmにすぎないが、この縞の中には、この年の春、梅雨、夏、秋、晩秋、冬とそれぞれ季節によって異なる堆積物が堆積しており、それぞれの分析から当時の地域の、世界の環境までもがありありと読みとれる。 その縞の情報をすべて読みとれば、過去7万年の環境の変化が、1年刻みで明らかになる(とてつもなく大変な仕事になるが)。 1年分の「年縞」0.7〜0.8mmには、四季折々の堆積物が詰まっている。それぞれの生物死骸や物質を調べることでこの年の環境を読み出すことができる。(図:ゴードン・シュロラウト氏提供の図を山根が改変) 6年かけて年縞を分析
2013年7月15日、三方五湖の湖畔、若狭町立若狭縄文博物館の向いにある福井県三方五湖青年の家のホールで、「水月湖年縞世界へ発信〜水月湖年縞研究発表会〜」が開催された(主催、福井県安全環境部自然環境課、若狭三方縄文博物館)。「水月湖の年縞」の研究発表者は、一時帰国中の英国ニューカッスル大学教授中川毅(たけし)さんだ。 中川さんをリーダーとする英日独の3カ国のチームは、2006年の7〜8月に水月湖でボーリングを行い、およそ73メートルの完全な「年縞」の掘削採取に成功した。それら73メートル分の「年縞」は英国に運ばれ、多くのスペシャリストたちとともに6年かけて分析、整理が行われた。 その成果が、パリでの「世界標準認定」につながったのである。 7月15日の研究発表会では中川さんと私の公開対談が実現、私はさらに京都や東京で中川さんに長時間のインタビューも続けてきた。 2013年7月15日の水月湖年縞研究発表会のようす。山根は中川教授と公開トークを行った。(写真:山根事務所) 中川さんは、どのようにして水月湖の「年縞」に着目したのか、その分析はどのように進めたのか、水月湖の「年縞」は今後、どのような意味を持つようになるのか。何よりも、なぜ中川さんは英国の大学に在籍しながら、日本の水月湖の「年縞」プロジェクトを進めてきたのかを知りたかった。
中川毅さんは、1968年(昭和43年)11月16日、東京に生まれた。父は、肺がんの権威で、がん研有明病院長もつとめた中川健さん(現・名誉院長)である。周囲からは当然医師を目指すだろうと言われていたにもかかわらず、1988年(昭和63年)に京都大学理学部へ進む。子ども時代から、古生物に大きな興味を抱いていたからだった。 小学生時代からぶれない生態学への思い 「小学生時代の本棚には恐竜の本ばかりが並んでいました。『大むかしの動物 』(学研の図鑑、監修・大森昌衛、1972年刊)は、暗記するほど読みましたし、『化石のひみつ 地球や生物のなぞをとく』(学研まんが・ひみつシリーズ、漫画・川崎てつお、監修・小畠郁生、1975年刊)も大好きな本でした」 『大むかしの動物 』の監修者、大森昌衛さんは日本地質学会会長も務めた古生物学者だが、野尻湖の発掘調査団長でもあった。この図鑑を介して、野尻湖から水月湖への知の連鎖がつづいたことになる。 余談になるが、私も少年時代には化石に熱中していた。『化石のひみつ』の監修者、小畠郁生さんは国立科学博物館に在職していた白亜紀の古生物学の権威だが、子ども時代、その国立科学博物館での小畠さんの公開講義に通っている。こういう体験が生涯を通じて科学技術への関心を深めることなった。 「東京学芸大学附属小金井中学校在学中は、当時の生物の先生、橋上一彦先生が指導する生態クラブに所属、多摩川の水質を、上流から下流まで水生生物をもとに調査をしたことからも大きな影響を受け、生態学を目指すことにしたんです」 この中学生による水質調査データは、東京都水道局にとっても貴重なものだったという。 京都大学では生態学の権威である川那部浩哉教授(現・名誉教授)やこの分野のヒーローである日高敏隆教授(動物行動学、2009年没)が活躍していた時代だった。 「僕は、長い時間スケールで環境系をみたいと思うようになったんです。恐竜の時代と絶滅に関心を抱いていたこともあり、化石記録を使い長いスケールでの気候変動や生態系の変化をとらえたいという思いが大きくなって」 小学生時代からぶれることのない思いが、歴史の「世界標準」を手にすることにつながったのである。 子ども時代の読書、少年時代のフィールド体験はいかに大事か。スマホやゲームばかりで遊ばせちゃいけないのだ。 (続く) 【お知らせ】 今年の9月1日は1932年の関東大震災90周年です。死者行方不明約10万人のうち火災による被害者が9万人以上を占めました。今、南海トラフ巨大地震とともに首都直下型地震の襲来は確実です。その首都直下型地震では何が起こるのか、どんな備えが必要なのか。 それを考える講演とパネルディスカッション「巨大災害の想像と現実 〜『破局の日』にしないために わたしたちは今、何を備えるべきか〜」(主催・埼玉県草加市)を8月30日(土)13:30から、獨協大学天野貞祐記念館(東武スカイツリーライン松原団地駅前)で開催、講演のひとつと討議のコーディネーターを山根一眞がつとめます(入場無料)。 関東大震災の記録映像はきわめて少ないのですが、当日、山根が米国で入手した関東大震災の被災直後に欧米人が撮影した貴重フィルムをblu-rayデジタル変換した映像の一部も上映予定です。写真は、その映画フィルムからデジタルパノラマ合成した帝国ホテル屋上からみた焼け野原となった都心部です(初公開)。 ■問い合わせ先:埼玉県草加市
このコラムについて 山根一眞のポスト3・11 日本の力 経験したことのない巨大災害に見舞われて、人類の歴史とは幾多のカタストロフィーを経験し、それを克服してきた歴史なのだということを筆者は実感している。「頑張ろう!」と励ましあうことは大事だが、どう頑張ればいいのかの道しるべが求められている。今、何が必要とされ、どんな行動をとるのが望ましいのか。それぞれの現場に取材して伝えながら提案していく。また、この大災害を、「豊かな文明」のありようを大きく変える時ととらえ、日本が世界でもっとも力強い国となれることを信じて、そのシナリオを探る。 日経BP社 http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20130819/252353/?ST=print |