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神戸市で起きた教師同士のいじめに関して述べる。もはやこの事件に関しては、新聞やテレビやラジオや週刊誌やその他いろいろなところでさんざん報道され、ワイドショーなどでも何度も取り上げられているので、ここでは詳細なことは繰り返さない。具体的な詳細な内容は世間にいくらでも出回っている。それにこの事件にかかわったいじめ教師のこととかそれらに対する批判とかもなるべく避けたい。そういうことはもうあちこちでいろいろな意見が出ている。ここではただ単に恐ろしいとか悲しいとか嘆かわしいとかそういうありきたりのいつもの事は繰り返したくない。それよりもどうにかしてこういうことが起きないようにしたい。たとえ結論が出なくても、きちんとした解決策が見つからなくても、その方がまだましだと思う。おそらくいじめの加害者ももしも自分達のいじめが暴露されたらどういう反応があるのかわかっていたはずだ。生徒や児童のいじめというのは非常に蔓延しており、それはもう珍しくもない。ところが今回は教師同士のいじめ事件だ。しかもいじめの内容は多種多様であり、ありとあらゆる残虐ないじめ行為をやっている。しかも被害者は複数だ。いじめ主犯格の教師は40歳代の女であり、手下として30歳代の男性教師が3人いたそうだ。被害者の教師は20歳代で新しく赴任してきた教師だ。被害者の男性教師が2人。女性教師の被害者が2人で、これらの教師同士で性行為をするように強要したということも報道されている。いじめが発覚して、加害者側は反省文のようなものを出してはいるが、反省しているような文面ではないし、つい最近まで有給休暇で学校を休んでいた。教員免許は誰も返却していない。いじめの内容については基本的に生徒のいじめと似ているが、より深刻なのはかなり長期間にわたりいじめをやっていること、被害者にかなりのダメージを与えていることがある。いじめの被害を受けた教師は出勤していない。この事件は今でも未解決のまま放置されており、明確な処分も決まっていない。いじめにありがちなのは加害者側はいじめという認識がないということがある。つまり自分達がやったきたことの犯罪性を認識していない。それで今後も同じことを繰り返す危険性が高い。いじめ加害者の教師は学校のいじめ対策をやっており、児童の相談にものっていたというので、より深刻である。生徒児童や保護者に与えたダメージも大きい。今回の事件ではいじめの被害を受けた教師は自殺しようとしていた。それでこれが発覚した。いじめの被害を受けた教師は、年内の職場復帰は無理であるらしい。こういう状態では学校のいじめがなくなるわけがない。そこで何ができるのかを考えてみた。まずは各個人がきちんと意見を述べることだ。学校や教育委員会や文部科学省やPTAとかコメンテイターとかマスコミとかそういうところに自分の意見を代弁してもらうのではなく、きちんと自分の意見を述べることが大切だと思う。もちろんそれだけでは何も解決しない。警察に相談することも重要だ。あるいはいろいろな相談機関に相談するのもいい。家族や友人と話をすることも大切だ。重要なことは自分一人で悩まないことだ。いじめ常習犯はいじめ被害者が誰も相談せず一人で悩むことを要求する。ジレンマ状態に陥らせ、延々と悩み続けることを喜ぶのだ。それからいじめ問題はそう簡単に解決しない。ましてや一人では解決は無理だ。いじめグループというのはたいてい多数である。それでは勝ち目はない。いじめ問題はいじめ被害者が一人で解決するべき問題ではないのだ。しかし、卑劣ないじめ常習犯とか、無責任な組織の連中は、すべて個人の問題だとする。いじめられる側にも問題があるとする。そしてすべてを個人に背負わせようとする。絶対にそういう罠に陥ってはならない。アメリカでもいじめはある。アメリカではいじめ対策としてどのように教えているのかというと、いじめの被害を受けている人が一人で対応するのではなく、すぐに周囲に助けを求めるようにと教えている。そういう時に助けを求めるという行為は少しも恥ずかしいことではないと教えている。ところが日本では逆にそんなことをすることは恥ずかしいことだとしている。これが根本的に間違っている。日本でいじめがこんなに蔓延化しているのは、助けを求めることが恥ずかしいことだとしており、そういうことができない環境にあるということだ。また各種相談所も基本的に何もしない。話は聞くがそれだけで何もしない。一切何もしないし、電話一本もかけない。いかなる行動もとらない。警察も何もしないことが多い。こういう状況ではいじめがなくならないのは当然だ。いくらいじめをしても、処罰されないし、問題ともされないし、そもそもいじめだと認定すらされない。誰からも注意されないし、すべて被害妄想とされる。こんなにいじめがやりやすい状態の国は珍しい。こういうのはよほど遅れた未発達の国か、完全な独裁国家だけである。しかし、日本はインターネットが普及しており、ほとんどの人がスマホを持っていて、いじめを録画してそれをYouTubeなどに掲載することが増えた。今回の場合には驚くべきことにいじめ加害者の教師がそれをやっており、しかもそのいじめの動画を生徒児童にまで見せつけている。全くいじめが悪いという認識がない証拠だ。今回の事件では教育委員会の対応も問題視されている。神戸方式という独特の人事も原因の一つとなっている。また学校側はこのいじめ犯罪を教育委員会に報告していない。教育委員会は当然文部科学省に報告していない。これは生徒児童のいじめでも同じであり、いじめは絶対に報告しないというのが習慣となっている。いじめの調査というのもアンケート調査だけだ。何よりも学校で起きたことについては警察は一切対応しないというのがおかしい。こういういじめについては、もしも学校以外で起きた場合には警察がすぐに対応するのが普通である。だが、学校であると、ただのいじめとしてうやむやにされる。いじめはまるで黴とかウィルスとか細菌のようなものだ。換気が悪い閉鎖的なじめじめした場所で起きやすい。太陽光が当たらない暗くてじめじめした湿気の多い場所だ。窓もドアもなく外部との接触が断たれた閉鎖的な空間で、そういう組織で起きる。強烈な太陽光に含まれる紫外線がこういうものにとっては有害であり、また換気が良いとこれまた困る。湿気も必要となる。それらは何かというと、閉鎖的な学校。閉鎖的な職場の環境と同じだ。換気をよくするためには窓を開けなければならない。ドアを解放しなければならない。それは組織の閉鎖性、陰湿性を打破し、世間の風を通すということだ。じめじめとした湿気は、いじめ常習犯特有の陰気で陰湿ないじめに執着する態度だ。いじめを反省しないのはすでに腐っているからだ。日本の学校教育はもっと開放的でなければならない。職場は無理かもしれないが、学校には公共性がある。また学校は利益追求のための金儲け集団組織ではない。学校はいじめをするための場所ではない。それにいじめ教師のものでもない。いじめの被害者は別にいじめ問題を解決したり、それに一人で立ち向かう必要はない。そういうことをするのは、警察であり、文部科学省であり、本来は教育委員会だ。各種相談所もあるがそれには権限が与えられていない。またできればこういうことに詳しい人に相談するのが良い。一般的な相談所ではありきたりの回答しか期待できない。そんなものは人生相談のようなもので、抽象的な回答しかない。事態はそんなものよりもはるかに切迫している。こういうことを放置するのは問題だ。その責任はいじめ被害者にあるのではない。またできれば個人的な友人とか家族とか、そういう人に相談するべきだ。もしもそういう人がいなければ、通りすがりの通行人でも良い。ほとんどは相手にされないかもしれないが、話を聞いてくれるかもしれない。それからできるだけいじめの証拠を残しておいてほしい。日記とかメモ書きでもいいが、できればボイスレコーダーとか録画装置とかそういうものがあった方が良い。目撃者がいれば証言してくれるかもしれない。ただし目撃者がいても、いじめの報復を恐れて証言してくれないかもしれない。それからいじめ常習犯はたいてい一人だけでなく、何人もターゲットを確保しており、同時進行でいじめを繰り返していることが多い。他のいじめ被害者と協力するのも一つの方法だ。警察には必ず相談した方が良い。そうしないと必ず後で、どうして警察に相談しなかったのかと言われる。それからマスコミにも知らせておくこと。ただしマスコミも取り上げてくれないことが多い。たとえ周囲が完全に無視していたとしても、いじめの被害を具体的に詳細に記録することは重要である。日記も証拠になる。負傷したりすればその状況を撮影したり、録画するべきだ。いじめ常習犯は卑劣な連中なので、いじめをしたことは認めないことが多い。何もなかったことにされてしまう。できればいじめの被害を受ける前にあらかじめ対策を考えておくと慌てないで済む。身の危険を感じたら、絶対に学校や職場に行ってはならない。当然いじめ加害者側はそれを喜ぶだろうし、あざ笑うだろうが、こういう連中もいじめをするのが生きがいなので、いじめができなくなると困るのだ。そしてすぐにまた次のいじめのターゲットを見つける。本当にいじめ常習犯というのはどうにもこうにもならない存在であり、頭にあるのはいじめだけである。いじめ中毒ともいえる状況にある。いじめが生きがいであり、趣味であり、人生そのものだ。すでにいじめ人生を選択しているのだ。だがいじめをしているという自覚はなく、いじめが悪いとも考えない。いじめは常識であり、いじめは普通であるとし、いじめに反撃するのは間違っているとしている。奇妙な考え方だ。いじめに関してはそれぞれの国によりかなり対応が異なる。やはりアジア圏などではどこも似たような対応をする。だが西欧諸国では過激な反応をする。いじめを放置してはならない理由は他にもある。それはいろいろな人に影響を及ぼすということだ。いじめの当事者だけでなく、その家族や友人知人、組織全体にまで及ぶ。組織そのもののイメージダウンにもなる。また相手に対する反応のこともある。ある想定外の望んでもいない攻撃を受けたとき、人はそれに反応するが、適正な反応を期待することはできない。そこにはどうしても人間の感情というものが含まれる。人間は機械ではない。過去に起きたことはもう変えることはできないが、同じことが何度も繰り返されるなら愚かであるとしか言えない。またこういうことが放置されることも問題がある。すでにいじめ保険のようなものはできているそうだ。これはいじめによる被害に対して保険をかけ、支給をするというものだ。当然だがこれを目当てにしていじめをすることは許されない。あとはいじめは個人の問題であるとか、いじめられる側に問題があるとか、役所は関係ないなどといういい加減な対応を許してはならない。日本国憲法にもそういう規定がある。いじめは初めは面白半分にやっているが、やがてそれがどんどんエスカレートし、過激になっていく。いじめに熟練すると巧妙になり発覚しないようにしたり、告発ができないようにしたりする。だがいくらいじめに熟練しても、何も良いことはない。どんないじめもいつかは発覚し、いつかは責任を取らねばならない。またいじめに対してどう向き合うのかということも決断しなければならない。いじめをしていて、いじめはしていないだとか、記憶にございませんとかそういうのは通用しない。どこまでも真実が追及される。驚いたことにこういう教師同士のいじめが神戸だけでなく、全国各地で蔓延していることが次々に明らかにされている。このままでは日本の教育は崩壊してしまう。きちんとした対応が必要だ。いじめの被害者個人ができることは限られている。それはいじめの実態を記録し、証拠を残すこと。誰かに相談すること。警察やマスコミに知らせること。身の危険を感じたら外出しないことだ。それ以上のことは要求してはならない。それ以後のことは組織に責任がある。そういうことを無視し、何もしないのであれば、組織に問題がある。
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