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「天孫族と出雲族の相続人争い」に、ご興味をお持ちでしょうか。実は、天孫族も出雲族も根っこは同じではないか思っています。
@ 父親は誰ですか。
天孫族というのは、一般に、その直接の祖神をアマテラスとしていますが、天孫族の代表である神武天皇の祖神にあたるところの「天孫降臨」したニニギの父親がオシホミミになります。
そこで、『オシホミミの母親はアマテラスですが、父親は誰ですか』、と尋ねると皆さん絶句してしまいますが、父親はスサノオなのです。これは「記紀神話」にも書かれてありますが、アマテラスとスサノオが誓約(うけい)をして「八柱の御子神」を産んだことが書かれてあります。
ところが、対抗する出雲族のルーツにあたる父親もスサノオなのです。ですから大局的に見ると、(スサノオの子供であるところの)異母兄弟たちが相続人争いの権力闘争をして、最後に勝利したのがアマテラスの子孫に過ぎないということになります。
A なぜ、天孫族はスサノオを伏せてしまったのか。
天孫族が先祖の系図を作るにあたって苦心したのがスサノオの存在ですが、スサノオを祖神とすると、制圧した出雲族と同族であるし、首都であった出雲を「国譲り神話」で強奪したことも後世の汚点となりますから、何としても隠すために母系相続制度を利用してアマテラスにしたものと想像します。
(10月を「神無月」といいますが、出雲地方で「神有月」と呼んでいるのは、国々の神々が出雲に参集した名残りと言われます)。
B 古代は母系相続だった。
北九州の女王がアマテラスで、出雲の女王がクシイナダヒメで、両者の夫たる大王がスサノオでした。
アマテラスは、やがて「国譲り神話」で出雲を制圧しましたが、その後の何らかの大変動により、孫のニニギは南九州に落ち延びました。「天孫降臨」が霧島だとか高千穂だとか言われ、神武天皇にいたるまで鹿児島宮崎方面にいたことは歴史的な事実のようです。
(ちなみに、オシホミミの墓所は、遠賀川上流の福岡県田川郡香春町(かわらちょう)の香春(かわら)神社の「忍骨命」というのが定説です)。
C 「宮中八神殿の神」の謎
宮中の八神は第1位から、神産日神(カミムスヒ)、高御産日神(タカミムスヒ)、玉積産日神(タマツメムスヒ)、生産日神(イクムスヒ)、足産日神(タルムスヒ)、大宮売神(オオミヤノメ)、御食津神(ミケツ)、事代主神(コトシロヌシ)の順に祭られていると言われています。
ここで、学者の間で問題にされているのが3点ありますが、第1順位にアマテラス寄りのタカミムスヒよりも出雲との関連が強いカミムスヒがあること、アマテラスが無いこと、出雲神と思われる事代主神が祭られていることです。
D 結局は、「天孫族と出雲族の争い」はスサノオの子孫同士による権力闘争でしたが、これは「伊勢と出雲」、「伊勢と元伊勢」の関係にも当てはまるのではないでしょうか。
子孫の骨肉あい争う姿を見て、祖神のスサノオの大神は、どちらを応援してよいのやら、さぞかし悩んだことでしょう。
★ 有り難う御座いました。今後とも宜しく御願いします。
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