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日本の橋の一つの美しい現象を終りに語って、現象が象徴となった、雅名の起源を述べたいと思うのは、これも乏しい日本の橋のためである。名古屋熱田の町を流れている精進川に架せられた裁断橋は、もう昔のあとをとどめないが、その橋の青銅擬宝珠は今も初めのままのものを残し、その一つに美しい銘文が鏤られているのである。和文と漢文とで同様の意味のことが誌されているが、漢文の方はしばらく措き、その和文の方は本邦金石文中でも名文の第一と語りたいほどに日頃愛誦に耐えないものである。
てんしやう十八ねん二月十八日に、をたはらへの御ぢんほりをきん助と申、十八になりたる子をたゝせてより、又ふためともみざるかなしさのあまりに、いまこのはしをかける成、はゝの身にはらくるいともなり、そくしんじやうぶつし給へ、いつかんせいしゆんと、後のよの又のちまで、此かきつけを見る人は、念仏申給へや、卅三年のくやう也。
銘文はこれだけの短いものである。小田原陣に豊臣秀吉に従って出陣戦歿した堀尾金助という若武者の三十三回忌の供養のために、母が架けたという意味をかき誌したものだが、短いなかにきりつめた内容を語って、しかも芸術的気品の表現に成功している点申し分なく、なおさらこの銘文はその象徴的な意味に於ても深く架橋者の美しい心情とその本質としてもつ悲しい精神を陰影し表情しているのである。此岸より彼岸へ越えてゆくゆききに、ただ情思のゆえにと歌われたその人々の交通を思い、それのもつ永劫の悲哀のゆえに、「かなしみのあまりに」と語るこの女性の声は、ただに日本に秀れた橋の文学の唯一つのものというのみでなく、その女性の声こそこの世にありがたい純粋の声が、一つと巧まなくして至上叡智をあらわしたものであろう。教育や教養をことさら人の手からうけた女性でもあるまいが、世の教養とはかかる他を慮らない美しい女性の純粋の声を私らの蕪れた精神に移し、あるいは魂の一つの窓ひらくためにする営みに他ならぬ。三十三年を経てなおも切々尽きない思いを淡くかたってなおさらきびしい、かかる至醇と直截にあふれた文章は、近頃詩文の企て得ぬ本有のものにのみみちている。ははの身には落涙ともなり、と読み下してくるとき、我ら若年無頼のものさえ人間の孝心の発するところを察知し、古の聖人の永劫の感傷の美しさを了解し得るようで、さらに昔の吾子の俤をうかべ「即身成仏し給え」とつづけ、それが思至に激して「逸岩世俊と念仏申し給えや」と、「このかきつけを見る後の世の又後の世の人々」にまで、しかも果無いゆきずり往来の人々に呼びかけた親心を思うとき、その情愛の自然さが、私らの肺腑に徹して耐えがたいものがある。逸岩世俊禅定門というのは金助の戒名である。
出典 『保田與重郎文芸論集』(講談社文芸文庫 1999年 47-49ページ)
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