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鯛の塩焼きは、数千年の時をこえて受けつがれる「日本の味」なのである。 (おっさんひとり飯) 雑談板
http://ossanhitorimeshi.net/?p=9653
鯛を塩焼きにして酒を飲んだ。
鯛の塩焼きは、数千年の時を越え、いまに受けつがれる「日本の味」なのである。
鯛のアラが買ってあり、どうやって食べるかを考えるに、お腹はあまり減っていない。きのうの炒め物に、油をたっぷり使ったからに違いない。
特に卵の場合、油をたっぷり使うとふんわりと仕上がる。卵のタンパク質と油が何かの作用をするからで、マヨネーズとおなじ話だ。
ただしカロリーは、激増することになるのだろう。
でもカロリーなど、あまり気にする必要はないのだ。食べたいと思うものを食べ、何の悪いことがあるだろう。
しかし体は正直なもので、こうしてきのうカロリーを摂りすぎれば、きょうは腹が減らない。
「体が欲するものに忠実でありさえすれば、困ったことにはならないだろう・・・」
ぼくはそう思うのである。
腹が減っていないから、アッサリしたものが食べたいところだ。鯛のアラを、もっともアッサリ料理するとすれば、やはり「塩焼き」だろう。
鯛の塩焼きは、鯛料理として王道中の王道だ。調味料は、本当に塩だけでよく、他の魚を塩焼きするときのように、大根おろしだの、しょうゆだの、スダチだのを添える必要がまったくない。
下手に味を付けてしまうと、せっかくの鯛の味を損なってしまうのだ。
鯛アラを塩焼きするのは、何も難しいことはない。塩を振って焼くだけだ。
いまは家にもガス台が来て、グリルもあるから、何も労せずきれいに焼ける。
グリルがなければ焼き網でもいいし、フライパンでもきれいに焼ける。ただしどれでやるにせよ、魚がくっ付いてしまわないよう、あらかじめよく熱しておくのは必要だ。
鯛は塩焼き、あとはトマ玉炒めの残りがあるから、それを食べる。
それに農家のおばさんのドボ漬け。
三条会商店街、大宮通を東に入ったところで、上賀茂から農家のおばさんが来て、スグキやら、他のいろいろな漬物やら野菜やらを売っているのだが、このドボ漬けも、化学調味料とは無縁の素朴な味で、毎日食べつづけても飽きることがないのである。
あとは汁物が欲しいところだ。これはすぐに思い付いた。
トマトの赤だし。
トマトの赤だしは、前に食べたかどうか覚えていないが、うまいのは間違いないだろう。赤だし味噌の濃厚な味に、トマトの酸味がいいアクセントになりそうだ。
具はほかには厚揚げ、それに冷蔵庫に鶏肉が余っているから、それも入れることにする。
2カップの水に削りぶしのミニパック1袋と赤だし味噌(八丁味噌)大さじ2くらい、酒大さじ2、みりん小さじ2を入れ、火にかける。赤だし味噌は、煮こむほどうまくなるから、先に入れてしまっていいのだ。
鶏肉と厚揚げを10分くらい煮て、最後に8等分のくし切りにしたトマトを加え、トマトがややしんなりするまで、サッと煮て火を止める。
たっぷりの青ねぎと、一味を振って食べるのである。
さて食事の支度は整った。
酒は、冷や酒。
鯛もいい加減に焼けている。
一口食べ、思わず悶えた。鯛はやはり、王者である。
味付けは塩だけなのに、この上ないうまみがあり、しかも余計なえぐみなどが一切ない。
しかも鯛の塩焼きは、サンマやらの塩焼きとは異なり、冷めても味がまったく落ちない。最後の一口まで、夢見心地の気分がつづく。
この味は、「日本の味」そのものだろう。鯛は単体で、日本の味を、過不足なく体現している。
鯛の歴史は古いそうだ。5千年前の縄文時代の遺跡からも、鯛の骨が出てくるらしい。
縄文時代の人たちも、鯛はおそらく、塩焼きにして食べていたに違いない。
日本の味は、鯛にはじまり、それから様々に新たなものが生み出されても、つねに鯛に立ち返っていったのではないだろうか。鯛が単体で体現する日本の味を、ちがった具材を組み合わせ、どう表現できるかが、日本の料理が歩んできた道であった気がするのである。
途中にいくつもの岐路があったことだろう。特に「ニンニク」を使うかどうかは、お隣の朝鮮や中国がニンニクをふんだんに使うことを思えば、日本人も深く悩んだに違いない。
でも日本人は、ニンニクを使わないことにしたのである。古代からつづく日本の味を、「変えない」ことを選択した。
おかげで今でも、縄文時代の味をそのまま、変わらずに味わうことができる。
鯛を食べ、「これこそが日本だ」と、深く思い至ることができるのだ。
日本は、嫌なところも多い。特に組織になったときの無責任体質は、「耐えられない」とすら思う。
しかし日本が、何か大切なものを、数千年の時を越え、保ち続けていることもたしかだろう。そのことを、ぼくは鯛を食べるたびに、いつも思うのだ。
日本は世界の中でも、古い考えに固執しつづける、珍しい国なのではないだろうか。明治になって「近代」が入ってきても、まさに和洋折衷建築のように取り入れて、根本的なところは変えずにきている気がするのだ。
その近代が、いま大きな岐路に差し掛かっている。
そのとき、近代以前の考え方をいまに残す日本は、「何かできることがあるのではないだろうか」と、ぼくは酔った頭で、ぼんやりと、考えるともなく考えるのである。
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(転載投稿者)
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外国から「中世」と批判される日本の刑事司法を議論していた法制審の答申案はファシズム化への道 (櫻井ジャーナル) 政治板
捜査や公判のあり方を議論してきた法制審議会の特別部会は7月9日、答申案を「全会一致」で承認されたという。最大の焦点だった取り調べの録音/録画、いわゆる可視化は対象が全刑事裁判の2、3%に止められ、その一方で当局のスパイや協力者を利用して政治/思想的な弾圧にも利用できる司法取引が導入され、通信傍受(盗聴)の対象が拡大されるという内容。容疑者を警察の管理下に置き続けることを可能にする代用監獄は外国からも批判されているが、この仕組みも廃止されないようだ。
日本の制度が民主的でないことは世界的に知られるようになってきた。昨年5月にジュネーブで開かれた国連拷問禁止委員会の「第2回日本政府報告書審査」https://www.youtube.com/watch?v=hkoQjIBA_3Uでも日本側は批判され、モーリシャスの委員から日本の刑事司法について「弁護人に取調べの立会がない。そのような制度だと真実でないことを真実にして、公的記録に残るのではないか。」と指摘されている。「自白に頼りすぎではないか。これは中世のものだ。中世の名残りだ。」とも言われたという。
国連の委員会でここまで言われるのは、「目に余る」と思われているからにほかならない。そうした国際的な評価も法制審議会では意識されて当然なのだが、今回の答申案は警察や検察の意向のみを尊重するかのような代物だった。2、3%を可視化して日本の制度は民主的になったと主張するつもりなのだとしたら、相当の愚か者だ。
モーリシャスの委員から批判された際、外務省の上田秀明人権人道大使は「日本は、この分野では、最も先進的な国の一つだ」と発言、会場で笑い声が起こった。すると、今度は「笑うな。なぜ笑っているんだ。黙れ!黙れ!」と叫んでいる。今回の答申案もこの程度の知性しかない官僚が作文したのであり、これが「大きな改革」につながるとは思えない。
日本の「エリート」が従属するアメリカの支配層は現在、ファシズム体制を強化しようと必死だ。経済が破綻しているアメリカとしては、軍事力で他国を侵略して富を略奪し、富の集中など社会的な矛盾の拡大で不満が高まることを念頭に、監視システムを強化し、警察の重武装化を進めている。つまりファシズム体制の強化。今のところ基軸通貨であるドルを刷る権利で支配体制を維持しているが、いつ破綻しても不思議ではない。
日本もアメリカと同じようにファシズム化を進めている。そうした中で出されたのが今回の答申案であり、ファシズム勢力にとっては大きな前進だった。アメリカの巨大資本は昔からファシズム勢力と親和性が強い。
例えば、1920年代の後半から1940年頃までアメリカの金融資本はドイツへ多額の投資をしている。ナチスの台頭は意に介していない。そうした資金の窓口になったのがディロン・リードやブラウン・ブラザーズ・ハリマンなど。
アメリカの巨大金融機関は1933年、自分たちにとって都合の悪いフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任するとファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画している。この事実はスメドリー・バトラー海兵隊少将とジャーナリストのポール・フレンチが議会で証言し、当然、記録に残っている。
ドイツが降伏する前の月にルーズベルト大統領は執務中に急死、戦後のアメリカ政府はナチス残党の逃走を助け、保護、そして雇っている。同じ頃、日本でも「右旋回」が起こり、戦前の治安人脈が復活している。ウクライナでネオ・ナチを使ってクーデターを実行したのは必然だった。
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