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2007年の都知事選は、石原が船場吉兆と焼酎箱で叩かれてましたが、公示前に哲学者の池田晶子の急逝の報が入って、その後は石原どころではなくなってしまいました。
今頃になって、そのことに気づいたので。
実録 3.11 オカルト篇
池田晶子 墓碑銘
池田 晶子 1960年8月21日 - 2007年2月23日 哲学者
46歳で肝臓癌で逝去。
2001年の同時テロ後の社会を憂いていた。
週刊新潮連載『人間自身』
最終回「墓碑銘」
2007年3月15日号 没後掲載分
『週刊新潮』には墓碑銘という名物コーナーがある。
故人の足跡や功績を概略で辿るものなので、墓誌という方が正確かもしれない。毎回上手にまとめてあるので、どうやって調べたのだろうと感心する。ひるがえって、いま私が死んだら、このコーナーを書ける人はいないな、いつもそういう感じでいる。大した功績はないし、仕事の本質、池田某という物書きは実は何をしていたのかということを正確に書ける人物はいないだろうというのも、一方の事実だからである。
でも連載している以上、義理でもそれは掲載されるだろう。どうしよう、困ったな、最後に勝手なことを書かれてもな。悩むところなので、いっそ自分で書いておこうとも思った。そして、連載が切れた翌週にパッと切り替えて、本人筆で、かのコーナーに登場する。是は実に清々しい。
とまで計画したことがあるが、あんまり縁起のいい話でもないので、実はまだ書いていない。担当によく因果を含めておこう。
それはさておき、「墓碑銘」と聞いて思い出す逸話がある。古代ローマだったか、現代のローマにあるものだったか、秀逸なものが存在している。向こうはこちらと違い、墓にいろいろな書き物を遺す習慣がある。死後に他人が書いたものか、本人が生前に言付けておいたものかは定かではない。
おそらくそれは一般的には、文字通りの墓誌として、その人の来歴を示すものだろう。いくつで結婚、何児を成し、かれこれの仕事に従事して、こんなふうな人物だった。
散歩代わりのお墓ウォッチング、人々はそれらを読みながら楽しく散策するだろう。墓誌、墓碑ウォッチングというのは、読む者には、その意味で究極の楽しみである。人生つまり、その人の最終形が、そこに刻印されている。人生の〆の一言である。人は記された言葉から人物を想像したり、感心したりしながら読んでくる。
と、そこにいきなり、こんな墓碑銘が刻まれているのを人は読む。「次はお前だ」。
ラテン語だろう。そうでなくとも尋常ではない。楽しいお墓ウォッチング、ギョッとして人は醒めてしまうはずだ。他人事だと思っていた死が、完全に自分のものであったことを人は嫌でも思い出すのだ。それを見越してのこの文句、大変な食わせ物である。
私は大いに笑った。この文句の向こうを張るならどうだろう。「ほっといてくれ」というのは、ひとつあるかな。私の人生がどうであれ、あんたには関係ないでしょうが。死後勝手なことを書かれたくない、死後に名を残したくないという人にはふさわしいでしょう。「死んだ者勝ち」というのも、なかなかいいですね。あんた方、生きている者が勝ちと思っているでしょうが、ほんとにそうかね?
完全に悼辞の逆であるが、「次はお前だ」というこの一言のもつ圧倒的な力にはかなわない。こんな文句を自分の墓に書かせたのはどんな人物なのか、それこそ想像力がかき立てられる。諧謔を解する軽妙な人物である一方、存在への畏怖に深く目覚めている人物ではないかという気がする。生きている者は必ず死ぬという当たり前の謎、謎を生者に差し出して死んだ死者は、やはり謎の中に在ることを自覚しているのである。あるいは、死者を語ることを含め、全ては物語であるという自覚。
これに比べて、我が国の墓碑銘めいたもの、「色即是空」とか「諸行無常」とか、書きたがる人はいますけれども、どうももうひとつですねえ。説明くさくて、謙虚でない。なんかまるで全部わかっているみたいである。まだそんなこと言ってんのという感じになる。こんなことを言いたがる人や遺族は、実は自分が死ぬということをまだわかっていないのである。
それなら私はどうしよう。一生涯存在の謎を追い求め、表現しようともがいた物書きである。ならこんなのはどうだろう。「さて死んだのは誰なのか」。楽しいお墓ウォッチングで、不意打ちを喰らって考え込んでくれる人はいますかね。
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