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四季を通じて年4回の交流会を行っていた燦燦会に平成13年前後に長峯基氏が
顔を出すようになる。
その時告発人はプライベートの用事で北九州へ帰省しており、告発人の認知外で、
告発人の夫新谷会長が参議院の応援のために、この長峯基氏を推していたのであった。
告発人はプライベートの要件が済み、宮崎へ戻った際この事実を知り、
燦燦会を政治利用することを止める様説得を行っていた。
その選挙に於いては、個人的に応援するに留まっていたが、昔ある政治家の私設秘書を
していた夫は選挙に対する闘争心が燻る結果となった。
その1年後第2弾でお伝えした延岡市議(告発人の憶測では、
長峯氏の指示によるものと考えている)の取り持ちで安藤氏との交流が始まり、
燦燦会の会員登録を考慮するが、異業種が規定となっている為、
安藤氏の後援会連合会長 佐藤氏(現神楽酒造会長)が異業種の規定を
満たしているため、参入することとなる。
その交流会で参加人として安藤氏も活動する事となるが、長峯氏もまた
この交流会に参加し、旧知の友の様に敬い交流を重ねるのであった。
安藤氏が活動を始めたその頃、氏は県知事選への出馬を表明しており、
告発人の意見を聴きいれた夫は、安藤氏の後援会事務所へ参加する事となった。
告発人は燦燦会を政争の具とすることは許されないことで、安藤氏を推すのであれば、
一建設業人として活動する事を許したのである。
活動を始めた告発人の夫新谷氏はある時、安藤氏の面談を終えた林勇次郎氏・
神崎守次氏を補佐人として更に活動の幅を広げていった。
当時の安藤氏後援会事務所は十数人で一杯になるほどの広さで、駐車場もなく、
近隣のジャスコ駐車場を利用する形であった。
更に、事務所は階段を利用して行かなければならなく、高齢者には不便であった。
この状態では高齢者の支持者たちが安藤氏のビジョンを聴くこともなく、
離れていくことは必然となる可能性があった。
そこで新谷氏は後援会事務所の移転を計画したが、前回の選挙時に中心となった
応援人の意見により、事務所移転は否決となるのである。
以前私設秘書をしていた経験から、この状況では支援者が遠退くのは明白であり、
十分な選挙態勢を作ることは困難であると判断した夫は、平成13年の7月〜8月にかけて
自腹で事務所を準備し、後援会事務所の集会報にて新事務所の案内を行った。
これにより、旧支持者たちからの反感は大きいものであったが、
十分な根回しを行った夫の集会場へ各支援者の多くが集まる事となり、
安藤氏の正式な事務所であると安藤氏本人が表明する事となった。
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