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平成8年の10月頃、告発人の夫が宮崎県の北川市のトンネル工事に入った。
3〜4年の工期に渡り所長として従事していた。
トンネル工事に関する周辺住民のクレーム対応や、地元業者との折り合いのつけ方、
また当然であるが技術者としての評価も加わり、他の建設業者のヘッドハンティングの
対象となっていた。
告発者の夫はトンネル工事の竣工と共に、他の建設業者の条件提示により、
その建設会社へ移籍した。
役員待遇で従事する事となった夫は、延岡市にその建設会社の支社を作り、
本格的な宮崎進出を目論んだのである。
延岡支社を作った夫は、建設業者同士が協力出来る体制が整えるために
他人を代表者に据え「燦燦会」なるものを作った。
当時は建設業の集まりで、仕事の請負を模索したが、思うように仕事は受ける事が
出来なかった、燦燦会会長はその座を夫に戻す事になる。
燦燦会の今後を模索した夫は告発者に意見を求め、建設業な絆が出来ていくと。
その意見に対し、夫は東奔西走し、100社に迫る勢いで会員をまとめ上げたのである。
燦燦会の噂は当然、当時の議員関連・選挙に関わるものの耳に入り、選挙時に於いては、十分な力を発揮するであろうと考えられていた。
その様な状況下での平成14年の5月の下旬のある日、告発人の夫がリビングの食卓に
二枚の経歴書をおもむろに置いた。
この二枚に書かれていた経歴の人物は、平成11年の県知事選に落選した安藤氏、
そして15年の県知事選に出馬準備を行っていた牧野氏の2名の物であった。
そして夫は先入観や経歴を省いた状態で、どちらの者が県知事の椅子を獲得出来るか
意見を求めた。
告発人は牧野氏の事を将来的に安定した生活を送る優雅な余生を送る人、
安藤氏の事を最終的に知事の椅子を獲得し、様々な要因で悩むであろうとの
直観的な予見を夫に話していた。
告発人の予感が偶然か、その日の夕刻にある人物が設けた一席で安藤氏と
夫は会談を行っていた。その会談が終了し、自宅に戻って告発人の意見を
聞いたのであった。
この日の会談と告発者の意見により、安藤氏との交流が始まるのである。
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