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平成十六年六月十二日 朝日新聞朝刊一面に政治的スクープが躍った。
その内容は宮崎県知事支援者の処遇を記した約束念書を元幹部の妻が
福岡高検に告発を行ったという内容であった。
この記事が載った背景には、県知事の直筆念書保有の元幹部の妻(
以下告発者という)を我が一族の政争の具に用いようとする長峯基の野望と、
牧野俊雄が県知事の椅子に座るための陰謀の渦が巻いていた。
告発の半年後、宮崎地検に於いては非合法の不起訴、福岡高検の判断では、
合法ではあるが、嫌疑不十分として不起訴となる。
此の際、安藤は記者会見に於いて平然と無実であることを表明していた。
また、翌日の宮崎県議会で毅然と無実を表明する安藤がそこにいた。
その頃、告発人はこの不起訴処分を覆すために、各人脈を使い、
確実に起訴できる体制を半年にかけ整えていた。
安藤の確証を次々と集めた各人が解散した数日後、安藤が不起訴となり
取材意義が薄れ、各マスコミが引き上げる中、取材記者の一人が告発者宅を
訪問した。その記者、(共同通信社)は、安藤を念書一枚で告発の真意が
県知事を辞職の拝領を欺く安藤が運命の分岐点か、意味深な言葉が確実に
安藤を打倒の確証が他にあると踏んでいたのである。
その記者に、福岡高検の七元書記官を訪ね、告発者が命に替え戦う約束の
安藤の確証を天野検事に伝えた。
平成十八年十二月八日 宮崎地検が安藤に対し官製談合事件最終逮捕状を
出す事になる。
談合事件の起訴に至る迄の詳細は後に語る事とします。
話は変わり談合事件の逮捕状が出た数年後の平成二十一年四月三十日
安藤の逝去を悼み数週後、ある人物より告発者へ「安藤が愚痴の遺言状が
有るので話がしたい」と連絡が入る。
当時告発人は幾多の妨害や嫌がらせにあっており、安藤に関係する人物の
話が信用できない状態の中、宮崎入りをするのには十分な覚悟が必要で
あったが、連絡人の「愚痴の遺言」の言葉に記憶がよみがえった。
なぜならば、安藤との会話の中に最後の言葉に「これは安藤の愚痴です」
ということが常であったためである。
このことにより、告発者は連絡人に会うため宮崎入りを決意した。
安藤は自分の余命を悟った時、真に謝罪を行いたかったのは告発人に
対してであった。
その遺言状には安藤を取り巻く様々な思惑を持った人々の裏切りの数々と
これに対する復讐の依頼であった。
これを読んだ告発人は自分の状況と安藤の状況が重なり、裏切りに対して
の悲しみが再び蘇り、安藤の悲運に対しても涙を落とす事となった。
時は戻り、九年前、長峯一族は告発人を政争の具とし、また牧野敏雄は
知事椅子を獲得する野望の為に告発人を陥れた。
長峯 基は「都城の王」と称える取り巻きの議員達を利用し、
宮崎県全域制覇の証である県知事椅子に基の息子長峯誠を据える計画
であった。
そのために延岡市の票の根固めを行うよう水面下で、
延岡にあった安藤後援会事務所の在席人達に接触を行っていた。
その取りまとめの中心人物として「安藤愚痴の遺言状」にも記された
告発者の夫である後援会元幹部であった。
安藤の二大事件が風化の一途を辿る今、告発人は表に出ることなく
今も己の野望を平然と遂行させる長峯一族に対し制裁を行うことを誓う
のであった。
この第一弾には、安藤を失脚させるために、牧野が告発人に渡した札束の帯封を証拠として画像を載せます。後の真実に関しては時系列に投稿を予定しています。
http://withphoto.co.jp/album/rz250r/124968/
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