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資本主義社会においての資本は、生産活動を行う元手になるもののことで、その蓄積によって、生産活動の拡大を図ることができるとの説明がある。
その資本は、株や債権など最終的には通貨に既存する金融資本と通貨そのものと、
土地や設備など物的資本と、付加価値を創造する人的資本が考えられます。
こうした資本が複合し、 生産手段(工場施設など)と、労働力などの形態を持った「生産資本」と、生産過程を経て生み出された商品の形態を持った 「商品資本」の産業資本に変換され、そうした過程の随所で、銀行によって通貨の形態を持った「預金資本」が生まれ、労賃や配当や利息などを通じ流通し、最終は金融業界に還元され再び金融利鞘を得る目的を持った金融資本に金融業界で様々に加工され金融資本経由で再び生産活動を行う資本になっているのでしょう。
こうした資本主義においての経済成長とは、結果的には通貨資本提供者の不労所得の増財を図ることを目的としていることになります。
しかし、その着地点は、限りある資源を酷使してでも、人間の欲望を喚起し、消費の拡大を図り、あるいは消費地の拡大を図り無制限に生産することに繋がります。
そうしたことでは、人類の中でたった一人でも無限の欲望を持つ人がいれば、
人類全体の欲望の総合計は無限になり有限の地球資源では賄えなくなる。が、
そこは、人々は「合理的」であるから実行可能な範囲の中から最も望ましいパターンの消費を選択するという「最適化原理」と、財の価格は需要量と供給量が等しくなるまで調整されるいう「均衡原理」によって、人類全体の欲望の総合計は調整されるとする論理で説明されています。
通貨発行権者は、そうした論理を用い金融商品を利用し通貨の供給量を調整するのでしょう、
通貨価値の保全を目論む通貨発効権者と、実体経済活動の失速を阻止しようとする
為政者との複雑怪奇な攻防、そしてまた担当者間でなんらかの取引がなされているのでありましょう。
通貨発行権を持つ金融資本家達にとっての経済成長とは、ある経済の活動規模が増大・拡張し、不労所得の蓄積が増し、その蓄財の力を利用し、国家を凌駕する社会的な権限を発揮することであるとの思いが第一義であるように思えます。
金融界の住民にとっては、一つの生産設備は、他の資源と同じような意味を持つ存在でしかなく、彼らは自然資源から、生産設備から自分が必要とする以上の不労所得を得る為、餌を求め枝を飛び移る猿のように、一つの資源から得られる財を征服しては、また次の資源に向かっていきます。
彼らは、一方でこのような「己の利益を最大化するように行動する」という人間像を
「合理的経済人」とよび、誰もが内包している煩悩であるから誰もが同感し称賛するとして正当化します。
また、そうした己の欲望に忠実な個人による自分自身の利益の追求が、その意図せざる結果として社会公共の利益を有効に増進させるとも言います。
資本主義は、貴金属、取り分け希少性にとんだ金(きん)が富の象徴とする重金主義が、他国の金や貴金属を略奪するかのような貿易が盛んになり、そうした貿易に必用な装備を揃えるための資金を募ったことに始まりました。
それは、海難事故などに遭遇した時には出資金は戻らないが、成功した時は出資金に応じて分配する方式でありました。
こうした略奪にも似た重商主義によって集められた資源や商品を転売することによって得た金銀と、そうした行為で集めた金銀とで出資者は金銀を豊富に蓄え、その多くを装飾品に加工するための預り書と引き換えに金銀細工師に預けました。
そうした預り書は金銀に代わって大口の取引で通貨として使われ市中で流通しました。
預っている金銀の殆んどは利用されることないことを知った金銀細工師は、付加価値生産能力のある資産を担保にとり、利息をとり金銀預り書を発行したことが銀行の始りであります。
金本位制において、そんな預り書(=紙幣)の価値を維持するには紙幣の発行高を、保有している金(きん)の量に対しある一定の比率を超えないように留意しなけねばなりません。
しかし、日々増殖する利息分の金(きん)は、まだ存在していないのでありますから、
利息としての金(きん)を蓄積できないとなると、兌換紙幣の価値は毀損します。
それを防止すべく略奪とも思える貿易を推称してでもその分の金銀を得なけねばならなくなるのであります。
こうした兌換紙幣発行の基礎となる貴金属のふんだつ合戦は各地で勃発したことでありましょうが、
第一次大戦後に発生し世界を大恐慌に巻き込んだアメリカの不況は、通貨発行金融組織が戦争特需で賑わう国内景気の通貨需要に応じ貴金属保有高比率を超え通貨を増やしたものの、その後の需要の落ち込みで不況となり、実体経済で使用する通貨の流通が鈍ったことで、
好景気の時増やした通貨の多くが、預金を含む金融資産に留まりがらも日々増殖し、金(きん)対通貨のバランス(比率)を崩すことを危惧した通貨発行権者が、その通貨を金保有高に調整し、通貨価値を保全するために株を暴落をさせたとも考えられます。
第二次大戦は、通貨発行の基になるそうした貴金属にエネルーギー資源の権益権も加わり勃発したのでしょう。
第二次大戦で中心的な役割を果たし戦勝国となったアメリカは、金の価格を1オンス35ドルと定め、世界でただ一国兌換通貨を発行する国家となりました。
その後、世界の経済規模は拡大し、物理的に制約のある金(きん)を基礎に通貨を発行する通貨システムが限界に達し、変動相場制とはなりましたが、ドルは国際決済通貨の地位を保ちながら金との交換を停止しました。
この時、エネルーギー等の資源を基とする資源本位制(=その権益を主張する金融資産)とも表現すべきドル基軸通貨国際金融システムが発足し、現在に至っているのでありましょう。
基軸通貨発行権者が、間接的にでもそうした資源を管理することは、基軸通貨を管理し、国際基軸通貨発行中央銀行を通じ、各国の中央銀行に連なる市中銀行の信用創造を促したり抑えたりすることより、実体経済を管理し、延いては国家を凌駕し民衆を統治管理することにも繋がるのです。
彼らには、民衆を全ての煩悩に支配された愚民と見下し、その愚民に選ばれた為政者に
統治管理させてはならないとする考えが根底にあるのでしょう。
しかし、彼らとて全てを直接管理することは不可能でありましょう。
そこで、金融市場で増殖したマネーが、増殖速度を上げる様々な方法や事例を喧伝し、
有限である真の需要との関係に基づいてはいない金融市場の複雑怪奇なマネーゲームに引き入れ、その中で力量をためし、支配人を定めているのでしょう。
実体経済に基いていない金融商品は放置しておけば膨張して価値の毀損を招きます。
金融資産家やその支配人はその膨張速度を速め実体経済での一次的な需要を創ります、
需要が落ち込んだとき、その一次的な需要を賄うための設備投資で資産バランスを毀損させますと、そうした企業に対し、銀行は信用創造で預金通貨を創りだすことをためらいます。
そのような企業は、バランスシート毀損を通貨で埋めようと、在庫を減らし経費を削減し、在庫投資や経費削減を行いますから、周辺企業の需要も減少し生産も減少します。
資本主義における効率は、通貨を主眼においているのです。
好景気下での資源の無駄を排除するというより流動性の高い通貨や金融資産で資本を充実させ、その力によって統治しようとする所為であります。
そのような資本主義社会での効率を求める所為が複合し、実体経済の需要と供給が縮小すると、設備資産はむろん、商品資産、それに基づく金融資産も対通貨で毀損し、
人的資本は費用と化します。
そうなると、銀行はますます信用創造で新しい預金通貨を創りだすことはできなくなります。
企業などの借り入れ元金は、それまでに信用創造で創りだされすでに流通している預金通貨を充て、借り入れ利息はその後新たに創りだされ流通している通貨の一部をあてる方式で成り立つ通貨金融システムでありますから、経済成長が止まると実体経済では急激に通貨が減少し経済活動が極端に縮小し、生活必需品さえ適切に分配出来なくなるのであります。
それゆえ、政府が国債で預金通貨を調達し、実体経済の需要を補い、その実体経済を基にしている金融資産の毀損を防ぎ銀行の信用創造を促そうとするのでありましょうが、
それをカバーする預金通貨も利付の銀行通貨なのでありますから、
資本主義社会においての経済成長とは、資本家の際限ない不労所得欲望を賄うため、
自然を酷使しても資源を取り出し商品化し、消費を刺激してでも浪費しなけねばならないシステムなのです。
その他の社会的矛盾点の多くも、負債を基にし利息を付けるネガティブマネーとも言うべき通貨発行システムが起因しているのではないかとも思えます。
つまり、現在の通貨も金本位制からは離脱したものの、相変わらず銀行への担保提供(借金)によって創られ、日々増殖する金利が付く銀行通貨で営われ、その金利があくなき経済成長を強要するから、人々の精神と地球資源の荒廃を進めているのではないかと考えています。
人類の成長とは、精神面では利己から利他に。物資面では、分かちあうことに向かうことでありましょうし、
効率とは、自然と共生できる、持続可能な循環型社会を築きつつ、かつ、そうした自然の恵みによる恩恵が出来るだけ多く、広く普遍的に及ぶで所為ではなかろうかと思っております。
それでは、限りある資源の恩恵を今よりも多数の人に行き渡らせる為の成長と効率を
成し遂げるにはどのような方法があるのでしょうか。
そうしたステップへ進むにはまずは現在の金融経済体制のこと、つまりマネーの本質を、迷路に迷い込む恐れもあるが、小賢しく通貨を溜めることもできうる視点で論じることではなく、鳥の視点でそうした負債を基にした利付銀行通貨の矛盾を修正し、場合によってはまったく新しい金融経済体制についての議論を進め深める時ではなかろかと思うしだいであります。が、
この投稿を目にした方々はどのような思いを、考えを抱いおられるのか拝読いたしたく投稿いたした次第であります。
- Re: 虫の目で見る経済成長や効率から、鳥の目で見る経済成長、効率へ・・・。 寂救 2013/10/12 07:08:25
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